中野区で開催、そして今日閉幕の、光太郎終焉の地にして第一回連翹忌会場だった中野区のをメインに据えた、さん主催の展覧会「」にスタッフとして毎日詰めておりまして、昨日は午前中の当番を終え、北鎌倉に向かいました。
光太郎のすぐ下の妹・しづ(静子)の令孫御夫妻が経営されているさんでの展示「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その11」を拝観。
一昨年から関連行事として朗読会が催されるようになり、一昨年と昨年はその日に合わせて伺っていたのですが、今年はアトリエ展の搬入・会場設営の日とかぶってしまい、その後もいろいろあって昨日になって漸くお邪魔した次第です。
こちらに伝わる光太郎がらみの品々、そしてすぐお近くにお住まいの尾崎喜八令孫・石黒敦彦氏がお持ちの品々で、光太郎と尾崎喜八の一家との交流の様子などを展示。
基本、カフェですので、同じ空間でお客さんが普通に珈琲を召し上がっています。
そのかたわらにとんでもなく貴重なものが並んでいて、毎年のことながら不思議な感じです。
特に貴重なのが、光太郎ブロンズ「聖母子像」(大正13年=1924)。光太郎オリジナルではなく、ミケランジェロ作品の模刻ですが、おそらくこの一点しか鋳造されていませんし、石膏原型の現存が確認できていません。一点物です。尾崎夫妻の結婚祝いにと贈られた物。尾崎の妻・實子は光太郎の親友・水野葉舟の息女でした。
当初予定では11月26日(火)まででしたが、会場の都合により明日までに変更になってしまいました。その日程変更の件もご紹介が遅れまして、申し訳なく存じます。
ご都合の付く方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
いい音楽が流れるなかで心ゆくばかり踊る法悦を小生も想像出来るやうな気がします、
舞踊家の藤間節子(のち黛節子と改名)が、前年、帝国劇場で「智恵子抄」を含むリサイタルを開催、この年、再演が為されるということで、その報せに対する返信です。
光太郎のすぐ下の妹・しづ(静子)の令孫御夫妻が経営されているさんでの展示「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その11」を拝観。
一昨年から関連行事として朗読会が催されるようになり、一昨年と昨年はその日に合わせて伺っていたのですが、今年はアトリエ展の搬入・会場設営の日とかぶってしまい、その後もいろいろあって昨日になって漸くお邪魔した次第です。
こちらに伝わる光太郎がらみの品々、そしてすぐお近くにお住まいの尾崎喜八令孫・石黒敦彦氏がお持ちの品々で、光太郎と尾崎喜八の一家との交流の様子などを展示。
基本、カフェですので、同じ空間でお客さんが普通に珈琲を召し上がっています。
そのかたわらにとんでもなく貴重なものが並んでいて、毎年のことながら不思議な感じです。
特に貴重なのが、光太郎ブロンズ「聖母子像」(大正13年=1924)。光太郎オリジナルではなく、ミケランジェロ作品の模刻ですが、おそらくこの一点しか鋳造されていませんし、石膏原型の現存が確認できていません。一点物です。尾崎夫妻の結婚祝いにと贈られた物。尾崎の妻・實子は光太郎の親友・水野葉舟の息女でした。
当初予定では11月26日(火)まででしたが、会場の都合により明日までに変更になってしまいました。その日程変更の件もご紹介が遅れまして、申し訳なく存じます。
ご都合の付く方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
いい音楽が流れるなかで心ゆくばかり踊る法悦を小生も想像出来るやうな気がします、
昭和25年(1950)6月2日(日) 藤間節子宛書簡より 光太郎68歳
舞踊家の藤間節子(のち黛節子と改名)が、前年、帝国劇場で「智恵子抄」を含むリサイタルを開催、この年、再演が為されるということで、その報せに対する返信です。