都内から演劇公演の情報です。
今回の「一人芝居智恵子抄」は、令和元年(2019)に富山で上演されたものの再演のようです。
本編の前に、日替わりでゲストの方が朗読をなさるそうです。題目は宮崎春子「紙絵のおもいで」(昭和34年=1959)。春子は智恵子の姪にあたり、智恵子が昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院後、当時の一等看護婦の資格を持っていたことから、病院で一緒に生活する付き添いをしていました。そしてほとんど唯一、智恵子の紙絵制作の現場を目撃した人物です。
春子は戦争が終わった昭和20年(1945)12月、光太郎の仲立ちで、光太郎と親交のあった茨城の詩人・宮崎稔と結婚しました。光太郎はそれ以前の同年始めに智恵子紙絵の約3分の1を宮崎家に疎開させており、上記は戦後になってそれを見る春子を写したショットです。
招待券を頂いてしまいまして、お邪魔します。ただ、日程調整がうまくゆかず最終日になっていまいますが。
皆様も是非どうぞ。
【折々のことば・光太郎】
智恵子の病状記を書いておいて下さる事は興味もあるし一般の参考にもなると思いひます、春子さんとお二人で協力されたら面白いとおもひます、 病状と一緒に切抜絵制作の実際をもみたまま書かれるやうにとおもひます、 今盛岡で切抜絵の展覧会をやつて居ます。末日頃小生も一寸見にゆくつもりでゐます。
春子の夫・稔に宛てた書簡から。主に春子への聞き書きのような形で稔が智恵子の病状記録を残そうとしていたようですが、この時点ではそれは実現しませんでした。
盛岡での紙絵展は4月19日~30日、川徳画廊で開催されていました。宮崎家とは別に花巻の佐藤隆房宅に疎開させた紙絵の中からセレクトしてのものでした。
劇団「喜び」40回記念公演 一人芝居 智恵子抄
期 日 : 2024年11月21日(木)~11月24日(日)
会 場 : 荻窪小劇場 東京都杉並区荻窪3-47-18 第五野村ビル1F
時 間 : 開場 13:30 開演 14:00
料 金 : 前売 一般4,000円 中高生2,000円 当日 一般4,500円 中高生2,000円
彫刻家であり詩人でもある、高村光太郎その妻智恵子。珠玉の愛の物語『智恵子抄』を一人芝居でお届けします。
出 演 : 茶山千恵子
朗 読 : 一柳みる(劇団昴) 西山水木(下北澤姉妹社)
小飯塚貴世江(キヨエコーポレーション)
彫刻家であり詩人でもある、高村光太郎その妻智恵子。珠玉の愛の物語『智恵子抄』を一人芝居でお届けします。
皆さまへ、高村光太郎「智恵子抄」との出逢いは、20代後半でした。 あの頃は人生が180度変わる出来事に襲われ、それ以来私は、人を信じる事が出来なくなりました。 トンネルの中を歩いているような数年を過ごしたある時、祖父の書斎で「智恵子抄」を見つけました。 何気なくパラパラと捲り、随筆「智恵子の半生」を読むうちに涙がとめどなく流れ嗚咽していました。 ようやく心の糧になるものに巡り会えた! そんな気持ちでした。それから毎日、智恵子抄を読むうちに、 光太郎 智恵子の生き様に涙し、また励まされ、胸をときめかせました。 稀有な愛の世界を一人でも多くの人に伝えたい。それが私の願いになっていきました。 地元富山では、10年前から一人芝居として「智恵子抄」を公演し好評を得て再演を重ねました。 もっと沢山の方に知って頂きたくて、東京公演を決定しました。
皆様のお越しを心よりお待ちしています♡
出 演 : 茶山千恵子
朗 読 : 一柳みる(劇団昴) 西山水木(下北澤姉妹社)
小飯塚貴世江(キヨエコーポレーション)
本編の前にゲストの朗読があります(15分) 宮崎春子 「紙絵のおもいで」
富山県高岡市ご在住の茶山千恵子氏。地元で光太郎智恵子に関する市民講座講師を務められたり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたりと、精力的に活動されています。今回の「一人芝居智恵子抄」は、令和元年(2019)に富山で上演されたものの再演のようです。
本編の前に、日替わりでゲストの方が朗読をなさるそうです。題目は宮崎春子「紙絵のおもいで」(昭和34年=1959)。春子は智恵子の姪にあたり、智恵子が昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院後、当時の一等看護婦の資格を持っていたことから、病院で一緒に生活する付き添いをしていました。そしてほとんど唯一、智恵子の紙絵制作の現場を目撃した人物です。
春子は戦争が終わった昭和20年(1945)12月、光太郎の仲立ちで、光太郎と親交のあった茨城の詩人・宮崎稔と結婚しました。光太郎はそれ以前の同年始めに智恵子紙絵の約3分の1を宮崎家に疎開させており、上記は戦後になってそれを見る春子を写したショットです。
招待券を頂いてしまいまして、お邪魔します。ただ、日程調整がうまくゆかず最終日になっていまいますが。
皆様も是非どうぞ。
【折々のことば・光太郎】
智恵子の病状記を書いておいて下さる事は興味もあるし一般の参考にもなると思いひます、春子さんとお二人で協力されたら面白いとおもひます、 病状と一緒に切抜絵制作の実際をもみたまま書かれるやうにとおもひます、 今盛岡で切抜絵の展覧会をやつて居ます。末日頃小生も一寸見にゆくつもりでゐます。
昭和25年(1950)4月23日 宮崎稔宛書簡より 光太郎68歳
春子の夫・稔に宛てた書簡から。主に春子への聞き書きのような形で稔が智恵子の病状記録を残そうとしていたようですが、この時点ではそれは実現しませんでした。
盛岡での紙絵展は4月19日~30日、川徳画廊で開催されていました。宮崎家とは別に花巻の佐藤隆房宅に疎開させた紙絵の中からセレクトしてのものでした。