昨日は愛車を駆って埼玉県東松山市に行っておりました。市役所さん向かいの総合会館さんで開催中の「彫刻家 高田博厚展2024」を拝観して参りました。高田博厚は光太郎と知遇を得たことから彫刻の道を志し、光太郎もその才能を高く買っていた彫刻家です。
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入口には過去のポスター一覧。
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昨年一昨年は市民文化センターさんでの開催でしたが、今年は第1回の平成30年(2018)からコロナ禍で中断となる前年の令和2年(2020)までの会場に戻りました。
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メインである高田の彫刻群(鎌倉にあった高田のアトリエ閉鎖に伴い、東松山市に寄贈されたもの)以外に、過去2年間は地元の高校生などによる展示品も多く出品され、スペースが多く取れる市民文化センターさんでの開催でしたが、今年はそれがなかったため、元の会場に戻ったようです。あるいは逆に元の会場に戻すために他の出品物を用意しなかったのかも知れませんが。

そんなわけで、今年はこぢんまりとした展示でした。

高田の彫刻群。
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すべてではありませんが、彫刻と、モデルの人物を描いたデッサンが組み合わされており、面白いと思いました。左下はコクトー、右下がロマン・ロラン。
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哲学者・アラン(左下)、マハトマ・ガンジー(右下)。
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鎌倉のアトリエの再現。
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パネルで高田と同市の関わりの紹介。光太郎にも触れられています。
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キーマンは同市の元教育長であらせられた故・田口弘氏。氏は高田との深い交流から、東武東上線高坂駅前の彫刻プロムナード整備などにも尽力されました。

光太郎胸像を含む、その彫刻プロムナードの解説タペストリーも展示。
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光太郎、高田、そして田口氏の関連年譜。
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おおもとは当方が作成したものです(笑)。
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カラーコピーの簡易図録(無料)をゲット。
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ところで昨日は、というか一昨日から今日までの3日間で、同市に於いて日本最大級のウォーキングイベントである日本スリーデーマーチが開催されています。昨日は中日(なかび)でした。そのため市内を歩いている参加者の皆さんが多く、市役所さんの駐車場が閉鎖、駐車に少し苦労しました。
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このスリーデーマーチを同市に誘致したのも田口氏。その裏にはやはり光太郎。右上画像は平成19年(2007)のものです。

ちなみに、そんなこんなのお話を、毎年、同市の生涯学習施設「きらめき市民大学」さんの講座で話させていただいております。今年も9月の末にべしゃくって参りました。この講座と高田博厚展とで、年に2回は同市にお邪魔しています。

スリーデーマーチの混雑と交通規制を避け、往路と違う道で帰ろうとしたら、期せずして市立図書館さんの前に出ました。「ついでだから見ていくか」と、地下駐車場へ。

何を、というと、こちらです。
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田口氏がいわゆる「終活」の一環として、平成28年(2016)に同市へ寄贈した光太郎関連の品々を展示する「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」です。氏の没後、平成30年(2018)にオープン、こけら落とし記念の講演もさせていただきました。
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光太郎からの書簡類(複製)。
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贈られた書(複製)。
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田口氏が集められた光太郎関連のスクラップや、氏が行ったご講演の原稿等。
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このあたりは固定の展示ですが、光太郎著書類は定期的に入れ替えているようです。
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左上は光太郎訳のロマン・ロランの戯曲『リリユリ』(大正13年=1924)。右上はやはりロマン・ロランで片山敏彦訳の『愛と死の戯れ』(同)。光太郎の題字揮毫・装幀です。
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ロダン系で、左から光太郎訳の『ロダンの言葉』(大正5年=1916)、同じく『続ロダンの言葉』(同9年=1920)、光太郎著の評伝『ロダン』(昭和2年=1927)。

ミニ展示ですが、なかなか見応えがあります。

「彫刻家 高田博厚展2024」は今月14日(木)まで。併せてこちらの「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」、彫刻プロムナードと、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

十九日には賢治詩碑の除幕式ある由にて招待をうけましたので、是非参列いたしたいと存じますが、久しぶりにて先生はじめ皆様にもおめにかかりたく、十八日午後参邸一泊をお願ひ申上げます。

昭和25年(1950)3月15日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎68歳

「賢治詩碑」は、宮沢賢治が奉職していた花巻農学校跡地(現・ぎんどろ公園)に建てられた「早春」詩碑(左下)。
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やはりこの年、花巻温泉に建てられた光太郎詩「金田一国士頌」を刻んだ碑(右上)と、どうやら同じ石材から切り出された双子の碑です。林檎を包丁でスパッと半分に切った状態を思い浮かべていただけると話が早いのですが、なるほど、二つの碑を碑面で合わせればぴったりくっつきそうです。