たまたま偶然でしょうが、昨日、東北の地方紙二紙の一面コラムで光太郎が取り上げられました。

まずは『秋田魁新報』さん。

北斗星

2人の女性が向き合う姿で知られる十和田湖畔の「乙女の像」だが、作者の高村光太郎は当初1人だけの像を考えていたという。湖や森を思い浮かべながら構想を練るうち、同じ像を二つ並べるアイデアが浮かんだ。例のない像だったが、現地で見れば周囲と調和していると分かると語っている(「高村光太郎全集11」より)▼「地上に割れてくづれるまで/この原始林の圧力に堪へて/立つなら幾千年でも黙って立ってろ」。像に寄せた詩からは、この場所にふさわしいものを作ったという自負が伝わってくるようだ▼乙女の像が建立されて約70年、十和田湖周辺は変わり続けた。観光客が増え、ホテルや観光施設ができた。しかしバブル崩壊や東日本大震災で客足は減少。ここ十数年は、像がある休屋地区などでホテルや店舗の廃屋が目に付くようになっていた▼先日、久々に乙女の像を訪れると、対岸に新しい建物があるのが見えた。小坂町などが整備した道の駅だ。「十和田湖開発の父」とされる和井内貞行と妻カツが寄り添う銅像もあり、特産のヒメマスをPRしている▼国は十和田湖などの国立公園に、訪日外国人らを呼び込む事業に力を入れている。道の駅もその一環。廃屋も徐々に撤去されて、新たな宿泊施設の誘致に向けて地元で協議が始まった▼再び変わり始めた十和田湖。期待もあるが、オーバーツーリズムなどの不安もよぎる。観光地と国立公園。開発と保全。さて、どんな調和を目指すべきか。

十和田湖は秋田県と青森県にまたがり、光太郎最後の大作「乙女の像」は青森県側の十和田市休屋地区に存在します。
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指摘されている通り、周辺にはかつてホテルや土産物店、飲食店だった建物の廃屋が目立ちます。地元で自嘲的に「ゴーストタウン」と称されることも。残念です。

そんな中、これもコラム中にありますが、秋田県側の小坂町に新たに「道の駅「十和田湖」」がオープンしました。今月12日のことでした。

NHKさんのローカルニュース。

小坂町に道の駅「十和田湖」オープン 観光客でにぎわう

 12日、小坂町に道の駅「十和田湖」がオープンし、十和田湖観光に訪れた大勢の人たちでにぎわいました。
 道の駅「十和田湖」は、小坂町の新たな観光拠点として十和田湖の南側の湖畔に整備されました。
 建物は湖が見渡せる高台にあり、施設の中には、十和田湖の成り立ちや名産のヒメマスの養殖の歴史、それに小坂町の観光名所などがわかりやすく展示されています。
 また、ワインや蜂蜜といった町の特産品や隣接する鹿角市のりんごやぶどうを販売するコーナーも設けられています。
 オープン初日となった12日は好天にも恵まれたこともあり、周辺の道路が一時渋滞するほどで、訪れた大勢の人たちは展示コーナーを見学したり、施設から望む十和田湖の写真を撮ったりして楽しんでいました。
 岩手県の40代の男性は「きれいでとてもいい施設ですね。これから奥入瀬渓流など十和田観光を楽しみたいです」と話していました。
 道の駅は、去年10月にオープンする予定でしたが、特別名勝などに指定されている十和田湖での工事には文化庁の許可が必要で、その申請に向けた事務手続きが行われていなかったため、駐車場の工事が遅れ、オープンが延期されていました。
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観光の新たな拠点となることを期待いたします。

続いて『岩手日日』さん。

日日草

「沈深牛の如(ごと)し」。詩人で彫刻家の高村光太郎は詩「岩手の人」の中で、県人を寡黙で辛抱強く、思慮深い牛のようだと評した。牛は昔から岩手の人々にとって馬と同様に極めて身近な存在だった▼そんな牛と岩手との関わりに焦点を当て、県立図書館が春から夏にかけて開いた企画展。肉牛や乳製品のほか、農耕や運搬に使う役牛として人々の暮らしを支えた歴史、文化などを豊富な資料で紹介した▼江戸時代に沿岸部の産物を内陸に運んだルートを「塩の道」と呼び、重い荷を背に北上高地を越えるには馬より足腰の強い牛が適していたこと。途中、歌われたのが「南部牛追唄」で、隊列の先頭に立つ最強の雄牛を決めるため闘牛大会があったことなどを展示で知った▼開催中、牛を通年で山に放牧する山地酪農に挑み続ける田野畑村の酪農家を24年間追ったドキュメンタリー映画も上映。豊かな自然の中で厳しい現実に向き合いながら希望を持って暮らす大家族の日常が丹念に描かれていて引き込まれた▼日本短角種の産地、久慈市は闘牛の素牛を全国に供給する。東北で唯一の闘牛大会が年4回あり、今年最後の「もみじ場所」があす開かれる。普段は目にすることのない迫力ある闘牛を間近に見れば、牛へのイメージが変わるかもしれない。

008牛と岩手との関わりに焦点を当て、県立図書館が春から夏にかけて開いた企画展」は、「地を往(ゆ)きて走らず~岩手と牛~」。タイトルからして光太郎詩「岩手の人」(昭和23年=1948)由来でした。

会期中の6月に花巻に行きましたので、その際に盛岡まで足を延ばせば良かったのですが、失念しておりました。直接、光太郎に関わる展示物は無く、解説パネルに「岩手の人」が紹介されていた程度のようでしたが、今になって後悔しております。

同様に直接、光太郎に関わる展示物は無く、解説パネルに光太郎の文章が引用されているという企画展示が都内で開催中という情報を得まして、明後日、また上京する用事がありますから廻ってきます。

【折々のことば・光太郎】

雪の上の足あとウサギ キツネ一列なり


昭和25年(1950)1月11日 松下英麿宛書簡より 光太郎68歳
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便箋(というかおそらく原稿用紙)の余白に描いたスケッチから。蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋周辺でのものですね。

松下は中央公論社の編集者。

同じ日に、美術史家の奥平英雄の妻・ちゑ子に贈った書簡にはさらに詳しいキャプション入りのスケッチが描かれていました。
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