昨日、智恵子の故郷・福島二本松で開催されたイベント「智恵子純愛通り記念碑第15回建立祭」についてレポートいたします。

「智恵子純愛通り記念碑」というのは、智恵子生家前の約2キロに「智恵子純愛通り」と愛称を付け、智恵子没後70年の顕彰事業として平成20年(2008)に建立されたものです。揮毫は光太郎の令甥、故・髙村規氏でした。 この碑の前にベンチ等設置されていてちょっとしたスペースになっており、そこが最初の会場でした。
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今年、新たに碑のかたわらに光太郎と智恵子の言葉を印刷した大きなボードが設置され、その除幕式を兼ねての実施。ボードの題字揮毫は書家の菊地雪渓氏でした。
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上記は式典後の画像ですが、ここから時系列に沿ってご紹介します。
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除幕に続き、主催者挨拶。三保恵一二本松市長他の祝辞。
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智恵子母校・油井小学校の児童さんなどによる碑への献花。
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油井小学校児童さん、安達中学校生徒さん、さらにやはり智恵子母校・福島高等女学校の後身である橘高等学校生徒さんによる光太郎詩朗読。
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一般の方々も。

光太郎智恵子に関わる文章等も書かれている吹木文音氏。
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主催団体「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」さんの会員の方。
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全員で「ふるさと」を唄ったり、記念撮影をしたりで、ここでのプログラムは終了。

続いて智恵子生家に移動。
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こちらの座敷で、紙芝居「夢を描くひと~高村智恵子」紙芝居上演。作者で、智恵子が学んだ太平洋画会の後身・太平洋美術会ご所属の坂本富江氏によるものでした。坂本氏、書籍『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』を刊行なさったり、光太郎智恵子それぞれの母校、荒川区立第一日暮里小学校さん、油井小学校さんに招かれたりと、多方面でご活躍中です。
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智恵子の生涯を追うのがメインですが、没後のことも。そこで、花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を制作し、終焉の地となった中野の貸しアトリエなども。
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この紙芝居を元にした絵本が制作中で、今年中には刊行されるようです。

その後、近くの地区集会所的な建物に移動して、昼食。
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献花や朗読をして下さった児童生徒さん達にもあらためてスピーチをしてもらったりと、盛りだくさんでした。

ちなみにこちらの壁には、裏山にある光太郎詩「樹下の二人」碑の拓本が掲げられていました。
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昼食後、再び智恵子生家に戻り、吹木氏をご案内。「高村智恵子 レモン祭」期間ということで11月4日(月)までの土日・祝日には通常非公開の生家二階部分の公開が行われています。
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一階もドサクサに紛れて(笑)。
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毎年、春には「高村智恵子 生誕祭」、秋には「高村智恵子 レモン祭」としていろいろなコンテンツが用意されますが、マンネリとならないよう、さらに進化し続けていって欲しいものです。

以上、二本松レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

一昨夜足をすべらして前額に擦過傷をうけ、一太刀うけた形でございます。カサブタが多分その頃までにはとれないだらうとも考へますのでどうかと存じます。

昭和24年(1949)12月27日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎67歳

正月となるし、町へ出て来ないかという誘いに対する返答です。結局、例年通り花巻郊外旧太田村の山小屋で越年しました。