昨日開幕の企画展示です。
それにしても、市から詳細情報が出たのが開会前日の午後。もう少し早く告知できませんかと常々申し上げているのですが、無視されている状態です。何だかなぁ、という感じですが……。
何はともあれ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
小生自然の中に包まれてゐるやうな生活をしてゐますが、東洋の先輩賢哲の例にはならはぬ気で居ります。小生の彫刻製作をはばむものはもつと現世的な諸条件であり卻つて深刻な感があります。
「東洋の先輩賢哲」は、俗世間との交わりを絶って山に隠遁していた中国の竹林の七賢、我が国の兼好法師あたりをイメージしているのでしょうか。彼等とは異なり、自らの戦争責任に対する処罰を自ら行っているという感覚が見て取れます。
期 日 : 2024年10月5日(土)~11月30日(土)
会 場 : 花巻高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 会期中無休
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円
高村山荘は別途料金
展示の見どころ
同館での同様の展示は、平成29年(2017)12月~翌年2月、令和元年(2019)9月~11月に続き、これで3回目になります。所蔵している光太郎書の数が多く、常設展でもかなりの数を出していますが、それでも展示しきれないのでこうして普段は所蔵庫にしまわれているものを出しています。今回が初展示という作品も出ています。 宮沢家との縁で戦火の東京から花巻へ疎開した高村光太郎。その後太田村山口へ移住した光太郎は自らの戦争責任に対する悔恨の念がつのり、あえて不自由な生活を送り、彫刻制作を一切封印します。山居生活では文筆活動に取り組み、数々の詩を世に送り出す一方で、大小さまざまな「書」を遺しました。
『乙女の像』制作のため帰京した後、晩年の病床でも数々の揮毫をした光太郎は、死の直前に自らの書の展覧会の開催を望んでいたことが日記に残されています。
この企画展では光太郎による晩年に執筆された芸術評論『書についての漫談』を紹介しながら、彫刻・文芸と並び、光太郎第三の芸術とも言われる「書」を通じて太田村時代の造形作家としての足跡をたどります。
展示構成
書額および書軸等 8点
直筆原稿 7点
拓本(縮小複製) 1点
資料合計 16点(参考 常設展示の書は大小各種合わせて18点)
展示の見どころ
出品する書額及び書軸はすべて実物で、光太郎の肉筆を間近でご覧いただけます。
『書額 乾坤美にみつ』『色紙幅 義にして美ならざるなし』『画賛幅 うつきしきもの満つ』の三作は旧展示施設の高村記念館を通じて、当地では初公開の作品です。
また、最晩年に執筆された『書についての漫談』からは、光太郎幼少時代の書との出会いから、著名人の作風を例示しての批評など、光太郎の「書」についての考え方を窺い知ることができます。
それにしても、市から詳細情報が出たのが開会前日の午後。もう少し早く告知できませんかと常々申し上げているのですが、無視されている状態です。何だかなぁ、という感じですが……。
何はともあれ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
小生自然の中に包まれてゐるやうな生活をしてゐますが、東洋の先輩賢哲の例にはならはぬ気で居ります。小生の彫刻製作をはばむものはもつと現世的な諸条件であり卻つて深刻な感があります。
昭和24年11月21日 森荘已池宛書簡より 光太郎67歳
「東洋の先輩賢哲」は、俗世間との交わりを絶って山に隠遁していた中国の竹林の七賢、我が国の兼好法師あたりをイメージしているのでしょうか。彼等とは異なり、自らの戦争責任に対する処罰を自ら行っているという感覚が見て取れます。