登場人物は智恵子のみの一人芝居です。
「平体まひろ 一人芝居『売り言葉』」が10月10日から14日まで東京・雑遊にて上演される。
平体まひろ ひとり芝居『売り言葉』
期 日 : 2024年10月10日(木)~10月14日(月)
会 場 : 雑遊 新宿区新宿3-8-8 新宿O・Tビル
時 間 : 10月10日(木)・10月11日(金) 19:00~
10月12日(土)・10月13日(日) 14:00~/18:00~
10月14日(月) 12:00~
10月12日(土)・10月13日(日) 14:00~/18:00~
10月14日(月) 12:00~
料 金 : 10月10日(木)のみ3000円 他は一般 4000円 U25 3000円
〈出演〉 平体まひろ
〈出演〉 平体まひろ
〈スタッフ〉
演出:下平慶祐 舞台監督:齋藤美由紀 音響:丸田裕也 音響オペレーター:池田優美
照明:阪口美和 舞台美術:竹邊奈津子 当日制作:岡田珠美、渋谷真樹子
宣伝美術:平体まひろ 企画・制作:プテラノドン
「平体まひろ 一人芝居『売り言葉』」が10月10日から14日まで東京・雑遊にて上演される。
「売り言葉」は、野田秀樹が執筆した戯曲で、2002年に大竹しのぶの一人芝居として上演されたもの。彫刻家で詩人の高村光太郎の妻・智恵子の半生をモデルに描かれた作品だ。
約1年弱舞台活動を休止していた平体まひろは本作に向けて「一年弱舞台活動をお休みしていました。ということを知っている方はそんなおらんだろとも思いつつ、自分にとっては覚悟を決めてのことだったので、活動再開にあたっても覚悟を決めて、ひとり芝居に挑戦することにしました。沢山の方々のお力をお借りしながら、自分に売り言葉をふっかけながら、皆様に楽しんでいただくべく励みます。ぜひお運びください!」とコメント。
また演出を手がける下平慶祐は「高村智恵子が狂気に溺れていく戯曲、と聞くとおどろおどろしいと思うかもしれませんが、読んでみると全く違う印象を抱きました。私自身かなり『おどろ』いたのですが、この戯曲に描かれていたのは、普遍的な、とりわけ女性が、必死に人生と向き合っていく様子です。つまり、死を必することが狂っているということ?それなら自分の人生は? なんてことを考えながら、この作品を皆様に送ります」と意気込みを述べた。
「売り言葉」、元々は大竹しのぶさんの一人芝居として野田秀樹氏が作られ、平成14年(2002)に南青山スパイラルホールさんを会場に初演されました。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わずさまざまなところで上演されています。
たまたま偶然でしょうが、令和元年(2019)には、当方の把握している限り6組もの異なる劇団/個人の方が上演、一昨年で2本、昨年も1本の公演がありました。
この手の脚本(ほん)の中で、光太郎ディスり度が最も高い(これでアンチ光太郎になってしまったという方もいらっしゃるようで)ものですが、それだけに生々しい人間ドラマという意味では秀逸です。
ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
真亀の老母逝去の由、気の毒な老年だつたと思ひますが、やむを得ません。
「真亀の老母」は智恵子の実母・セン。宮崎の妻・春子は、センの三女・ミツの子で、智恵子にとっては姪にあたり、当時の一等看護婦の資格を持っていて、南品川ゼームス坂病院に起居して智恵子の付き添いを務めました。春子が幼い頃にミツが夫のDVに耐えかねて実家に戻り、ほどなく早世したため、センは孫の春子を養女として戸籍に入れました。そこで戸籍上は光太郎のみならず宮崎の義母ということにもなり、「老母」としているわけです。
智恵子もそうですが、センもかなり数奇な人生を送りました。家業の長沼酒造破産後は五女のセツの元に身を寄せ、千葉の九十九里浜真亀納屋で暮らし、ゼームス坂病院に入院する前、昭和9年(1934)には心を病んだ智恵子を半年余り受け入れていました。
また演出を手がける下平慶祐は「高村智恵子が狂気に溺れていく戯曲、と聞くとおどろおどろしいと思うかもしれませんが、読んでみると全く違う印象を抱きました。私自身かなり『おどろ』いたのですが、この戯曲に描かれていたのは、普遍的な、とりわけ女性が、必死に人生と向き合っていく様子です。つまり、死を必することが狂っているということ?それなら自分の人生は? なんてことを考えながら、この作品を皆様に送ります」と意気込みを述べた。
「売り言葉」、元々は大竹しのぶさんの一人芝居として野田秀樹氏が作られ、平成14年(2002)に南青山スパイラルホールさんを会場に初演されました。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わずさまざまなところで上演されています。
たまたま偶然でしょうが、令和元年(2019)には、当方の把握している限り6組もの異なる劇団/個人の方が上演、一昨年で2本、昨年も1本の公演がありました。
この手の脚本(ほん)の中で、光太郎ディスり度が最も高い(これでアンチ光太郎になってしまったという方もいらっしゃるようで)ものですが、それだけに生々しい人間ドラマという意味では秀逸です。
ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
真亀の老母逝去の由、気の毒な老年だつたと思ひますが、やむを得ません。
昭和24年(1949)10月27日 宮崎稔宛書簡より 光太郎67歳
「真亀の老母」は智恵子の実母・セン。宮崎の妻・春子は、センの三女・ミツの子で、智恵子にとっては姪にあたり、当時の一等看護婦の資格を持っていて、南品川ゼームス坂病院に起居して智恵子の付き添いを務めました。春子が幼い頃にミツが夫のDVに耐えかねて実家に戻り、ほどなく早世したため、センは孫の春子を養女として戸籍に入れました。そこで戸籍上は光太郎のみならず宮崎の義母ということにもなり、「老母」としているわけです。
智恵子もそうですが、センもかなり数奇な人生を送りました。家業の長沼酒造破産後は五女のセツの元に身を寄せ、千葉の九十九里浜真亀納屋で暮らし、ゼームス坂病院に入院する前、昭和9年(1934)には心を病んだ智恵子を半年余り受け入れていました。