一昨日、9月24日(火)から1泊2日で東北に行っておりました。レポートいたします。
まずは光太郎第二の故郷・岩手花巻。また後ほどご紹介いたしますが、10月末に花巻で光太郎と宮沢賢治がらみのイベントが予定されていて、そのための打ち合わせでした。少しだけ予告しておきますと、光太郎と交流のあった照井謹二郎・登久子夫妻が主宰、光太郎もその公演を何度も見た児童劇団「花巻賢治子供の会」の関係です。光太郎が見た公演の際に出演していた方々、それから賢治実弟・清六令孫の宮沢和樹氏、そして当方でいろいろ語らせていただきます。
打ち合わせの前に、東北新幹線新花巻駅からレンタカーで、旧太田村の高村光太郎記念館さんへ。現在、特に企画展示は行っていないのですが、「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」のフライヤーを置いてもらうために立ち寄りました。
秋の気配も漂い、赤とんぼが群れを成していました。
隣接する高村山荘。光太郎が戦後の7年間の蟄居生活を送った山小屋が、二重の套屋(とうおく・カバーの建物)内に保存されています。
ここに居るであろう光太郎の分霊にご挨拶。花巻を訪れる際のルーティンです。
続いて道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん方面へ。
途中、古民家を保存、公開、活用している施設「新農村地域定住交流会館・むらの家」さんの前を通ったところ、ユニークな案山子(かかし)がずらり。車を駐めて拝見しました。
パリ五輪の出場選手や、今年発行された新札に肖像が使われている渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎等々。
そういえば太田地区の皆さん、以前も案山子制作やってたっけな、あの時は光太郎案山子もあったけど、今年はないの? と思ったら、ありました。案山子とはちょっと違うのかも知れませんが。さらに制作者は太田小学校の児童さんたちのようで。
「高村山荘行きねこバス」だそうで、本当にあったらいいですね(笑)。
で、道の駅。
何と、こちらにも案山子軍団(笑)。
そしてやはり光太郎案山子(笑)。
大沢温泉さんからの帰りの光太郎だそうで、首には本物の大沢温泉さんのタオル(笑)。笑わせていただきました。
道の駅で当方大好物の林檎を買い込み、街に戻って上記イベント打ち合わせ。その後、当方も大沢温泉さんに。
この日はテレビのロケが入っていました。愛知テレビさんの番組で、レポーターはアーティスティックスイミング元日本代表の青木愛さんだそうでした。
翌日は、以前から行こうと思っていた秋田県美郷町へ。そちらは明日、レポートいたします。
【折々のことば・光太郎】
去る二十日に花巻行。二泊してかへりました。廿一日には宮沢賢治十七回忌記念の賢治祭あり、小生も一席漫談をやりました。
賢治の忌日・9月21日には現在も「賢治祭」が開催されています。今年も盛大に執り行われたとのことでした。
この年の花巻文化劇場に於ける光太郎の「漫談」。地方紙『花巻新報』にその筆記録が載り、『高村光太郎全集』では第20巻に後半部分が掲載されていますが、10年ほど前に前半部分を見付けました。少し読みにくいのですがコピペします。
まずは光太郎第二の故郷・岩手花巻。また後ほどご紹介いたしますが、10月末に花巻で光太郎と宮沢賢治がらみのイベントが予定されていて、そのための打ち合わせでした。少しだけ予告しておきますと、光太郎と交流のあった照井謹二郎・登久子夫妻が主宰、光太郎もその公演を何度も見た児童劇団「花巻賢治子供の会」の関係です。光太郎が見た公演の際に出演していた方々、それから賢治実弟・清六令孫の宮沢和樹氏、そして当方でいろいろ語らせていただきます。
打ち合わせの前に、東北新幹線新花巻駅からレンタカーで、旧太田村の高村光太郎記念館さんへ。現在、特に企画展示は行っていないのですが、「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」のフライヤーを置いてもらうために立ち寄りました。
秋の気配も漂い、赤とんぼが群れを成していました。
隣接する高村山荘。光太郎が戦後の7年間の蟄居生活を送った山小屋が、二重の套屋(とうおく・カバーの建物)内に保存されています。
ここに居るであろう光太郎の分霊にご挨拶。花巻を訪れる際のルーティンです。
続いて道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん方面へ。
途中、古民家を保存、公開、活用している施設「新農村地域定住交流会館・むらの家」さんの前を通ったところ、ユニークな案山子(かかし)がずらり。車を駐めて拝見しました。
パリ五輪の出場選手や、今年発行された新札に肖像が使われている渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎等々。
そういえば太田地区の皆さん、以前も案山子制作やってたっけな、あの時は光太郎案山子もあったけど、今年はないの? と思ったら、ありました。案山子とはちょっと違うのかも知れませんが。さらに制作者は太田小学校の児童さんたちのようで。
「高村山荘行きねこバス」だそうで、本当にあったらいいですね(笑)。
で、道の駅。
何と、こちらにも案山子軍団(笑)。
そしてやはり光太郎案山子(笑)。
大沢温泉さんからの帰りの光太郎だそうで、首には本物の大沢温泉さんのタオル(笑)。笑わせていただきました。
道の駅で当方大好物の林檎を買い込み、街に戻って上記イベント打ち合わせ。その後、当方も大沢温泉さんに。
この日はテレビのロケが入っていました。愛知テレビさんの番組で、レポーターはアーティスティックスイミング元日本代表の青木愛さんだそうでした。
翌日は、以前から行こうと思っていた秋田県美郷町へ。そちらは明日、レポートいたします。
【折々のことば・光太郎】
去る二十日に花巻行。二泊してかへりました。廿一日には宮沢賢治十七回忌記念の賢治祭あり、小生も一席漫談をやりました。
昭和24年(1949)9月26日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎67歳
賢治の忌日・9月21日には現在も「賢治祭」が開催されています。今年も盛大に執り行われたとのことでした。
この年の花巻文化劇場に於ける光太郎の「漫談」。地方紙『花巻新報』にその筆記録が載り、『高村光太郎全集』では第20巻に後半部分が掲載されていますが、10年ほど前に前半部分を見付けました。少し読みにくいのですがコピペします。
白熊は雪がふれば元気になるが私も冬になると元気になる
賢治さんは雨ニモマケズだが僕は子供みたいにすぐ九十度位熱が出る、賢治さんの詩は誰でも知つているが、判る人はない、一歩一歩だんだんに深く進んでもらいたい、賢治は詩人である、詩はさけられないもので、誰れでも梅の花を見ていると体中が香がしてきて始めて見たような気がするが、人一倍謳うのが詩人である、この詩精神は誰でもありこれのない者は存在そのものがつまらない、この詩精神のない政治家は政治家でなくただの事務家でいやおうなしに肩に担いでやつているだけである、詩精神のある政治家は、あふれるような生き生きしたものを持つているし、この詩精神があれば一つの世界ができて美しくなる、義務でなく本当の仕事ができるし、これは金には替えられない、これをやれば一月に幾らになると考えれば精根がつきる、詩の精神は人を救うが、本当に人を救うものは宗教である
◇賢治は法華経に生きた
賢治は法華経の世界で、これを読んで皆んなが無上道に入るように云つた、徹頭徹尾法華経に生きた人間であつて、僕はそれまで信仰していない、宮澤さん自身から云えば唯法華経を信じて、仏の世界に入つてくれればよく、賢治さんに向つて詩人だといつても嬉しくない、ちつとも自分の思うことをいつてくれないと思う、賢治は一行書いても詩になる、僕等はその詩に魅せられる、賢治は宗教家で詩人、この二つをもつている、賢治には五感のよさがある、中学時代啄木に影響された、その後急に詩を書き始めた、春と修羅のころから急に……一字書いても詩になり魅力がある
おおしくは月の夜を 雪の降るらし 黒雲 乱れたり
教わつてできたものではなく、こつちが圧倒される、賢治の詩を本当に読める人は偉いものだ
「おおしくは……」は賢治の「文語詩稿一百篇」中の一篇からの引用。正確には「鶯宿はこの月の夜を雪ふるらし、黒雲そこにてたゞ乱れたり」です。
光太郎の賢治評、なかなか的確ですね。
「おおしくは……」は賢治の「文語詩稿一百篇」中の一篇からの引用。正確には「鶯宿はこの月の夜を雪ふるらし、黒雲そこにてたゞ乱れたり」です。
光太郎の賢治評、なかなか的確ですね。




















