音楽家の田中信昭氏が亡くなりました。
共同通信さん。
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東京混声合唱団(東混)の桂冠指揮者で、文化功労者の田中信昭(たなか・のぶあき)さんが12日午後9時40分、心臓死のため自宅で死去した。96歳。新潟県出身。葬儀は近親者で行う。
1928年、新潟県生まれ。56年に東京芸術大を卒業し、東混を創立。常任指揮者に就任し、作曲家と協力して合唱音楽のレベルの向上に尽力した。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など数多くのオーケストラの来日公演で合唱指揮を務め、桐朋学園大客員教授や国立音楽大招聘教授などを歴任。97年、東混の桂冠指揮者となり、2016年に文化功労者に選ばれた。
NHKさん。
脚本は山本鉱太郎氏、監修は当会顧問であらせられた、故・北川太一先生、そして作曲は仙道作三氏。登場人物は光太郎智恵子二人だけという破格のオペラで、智恵子役は連翹忌ご常連、さらに女川光太郎祭にも欠かさずご参加下さっている本宮寛子氏が演じられました。ちなみに演出は光太郎とも交流のあった萩原朔太郎令孫・朔美氏でした。
田中氏、平成3年(1991)、日暮里サニーホールさんでの再演時にも指揮を務められました。
合唱指揮の第一人者として知られ「東京混声合唱団」の創立に関わるなど、長年にわたって日本の合唱界をけん引してきた指揮者で文化功労者の田中信昭さんが9月12日に亡くなりました。96歳でした。
田中さんは新潟県の出身で中学校の音楽教師を経て東京藝術大学の声楽科に入りました。
大学を卒業した1956年に声楽科の有志とともに「東京混声合唱団」を創立して常任指揮者に就任、日本で有数のプロの合唱団に育て上げました。
田中さんは日本語による合唱曲の創作に力を尽くし、さまざまな作曲家に依頼して曲を作ってもらい、460曲に及ぶ合唱曲を初演しました。
また、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演や、NHK交響楽団など数多くのオーケストラ公演で合唱の指揮を取りました。
全国のアマチュア合唱団の指導にも積極的に取り組み、こうした功績が評価され2016年には文化功労者に選ばれています。
関係者によりますと田中さんは9月5日、自宅で転倒して入院していましたが、退院後の12日、自宅で亡くなったということです。
8月末、東京混声合唱団の演奏会に指揮者として出演したのが最後のステージになったということです。
田中氏、平成元年(1989)10月6日、赤坂の草月ホールで開催された「オペラ智恵子抄」初演の際、伴奏の10人編成アンサンブルの指揮をなさって下さいました。脚本は山本鉱太郎氏、監修は当会顧問であらせられた、故・北川太一先生、そして作曲は仙道作三氏。登場人物は光太郎智恵子二人だけという破格のオペラで、智恵子役は連翹忌ご常連、さらに女川光太郎祭にも欠かさずご参加下さっている本宮寛子氏が演じられました。ちなみに演出は光太郎とも交流のあった萩原朔太郎令孫・朔美氏でした。
田中氏、平成3年(1991)、日暮里サニーホールさんでの再演時にも指揮を務められました。