東京藝術大学大学美術館での企画展です。
期 日 : 2024年9月6日(金)~10月20日(日)
会 場 : 東京藝術大学大学美術館 東京都台東区上野公園12-8
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日(ただし9月16日(祝)、9月23日(振)、10月4日(振)は開館し翌日休館)
料 金 : 一般900円(800円)、高・大学生450円(350円)( )は前売り料金
展覧会概要
台湾出身者初の東京美術学校留学生として知られる彫刻家・黄土水(1895-1930)。東アジアの近代美術に独自の光彩を与える彫刻家として近年ますます評価を高めており、本国では2023年に代表作《甘露水》(1919)が国宝に指定されました。
本展では、国立台湾美術館からこの《甘露水》を含む黄土水の作品10点(予定)と資料類を迎えて展示するとともに、藝大コレクションより彼が美校で学んでいた大正から昭和初期の時期を中心とした洋画や彫刻の作品48点(予定)をあわせて紹介します。
日本の伝統的感性と近代美術との融合をめざした黄土水の師・高村光雲とその息子光太郎、《甘露水》にも通じる静かな情念をたたえた荻原守衛や北村西望の人物像、あるいは藤島武二、小絲源太郎らが手掛けた20世紀初頭の都市生活をモチーフとした絵画、台湾出身の東京美術学校卒業生の自画像作品など、バラエティに富んだ作品群を用意してお待ちしております。
台湾随一の彫刻家・黄土水が母校に帰ってくる――その歴史的瞬間を自らの眼でお確かめください。
みどころ
1 台湾の国宝《甘露水》、日本初上陸!
昨年国宝に指定されたばかりの黄土水の代表作《甘露水》。台湾本国では同年、国立台湾美術館にて本作を含む黄土水の大回顧展が開かれ大きな話題を集めました。早くも本年、彼の母校(東京美術学校)の後身である東京藝術大学に本作がお目見えします。彼の他の作品群とともに本作を観る絶好の機会となります。
2 黄土水の学んだ時代、日本の美術界は......?
黄土水が東京美術学校に入学した1915年から東京で病にて夭折した1930年までの時代は日本の近代美術においても大きな激動期でした。本展ではこの時代に活躍した高村光雲、高村光太郎、平櫛田中、荻原守衛、朝倉文夫、建畠大夢といった彫刻家、あるいは藤島武二、和田英作、小絲源太郎、津田青楓、石井鶴三(彼は彫刻家でもあります)ら洋画家の作品を紹介します。台湾からやってきた青年黄土水が東京で何を学んだか。それを知ることで黄土水への理解がより深まることでしょう。
3 台湾出身の洋画家たち
東京藝術大学大学美術館の顕著な特長として、卒業生たちの作品が遺されていることを挙げなければなりません。本展でもその利点を活かし、陳澄波や顔水龍、李梅樹といった近年評価を高めている台湾出身の近代洋画家たちの作品群約10点を紹介します。
関連行事 シンポジウム「黄土水とその時代――日本と台湾の近代美術史をたどる」
というわけで、台湾出身で東京美術学校に留学していた彫刻家・黄土水(明治28年=1895~昭和5年=1930)をメインに据えた展示です。
黄が留学のため来日したのは大正3年(1914)、光太郎は既に母校を離れていましたが、父・光雲はまだ現役で後進の指導に当たっていました。そこで黄も当初はアカデミックな彫刻で官展系の入選を果たしていましたが、徐々に文学性を排した方向に進み、鳥獣魚介をモチーフとしたりしていく感じで、そこに光太郎や、さらに光太郎が心酔していたロダンの影響を指摘する説もあります。ただ、光太郎との直接の面識はなかったと思われ、『高村光太郎全集』にその名は現れません。
美校を卒(お)えた後の黄は、日台を行き来しながら活動し、昭和5年(1930)、池袋で亡くなっています。フライヤーに使われているのは代表作の一つ「甘露水」(大正10年=1921)。大理石です。
で、師・光雲や光太郎などの作品も展示されます。
プレスリリースによれば、光雲作品は木彫「聖徳太子像」。それから光太郎の親友・碌山荻原守衛のブロンズ「女」も。
光太郎に関しては、プレスリリースに名はあるものの、出される作品名が明記されていません。そこで電話で問い合わせたのですが「出品目録が作られていなくて分かりません」とのこと。
同館所蔵の光太郎作品は以下の通りですが、おそらくブロンズの「獅子吼」、木彫の「紅葉と宝珠」、同じく「蓮根」あたりが出るのではないかと思われます。
始まりましたら早い内に見に行きますので、またご紹介します。
皆様もぜひ足をお運びください。すぐ近くの東京国立博物館さんでは、常設展「総合文化展」で、光雲の「老猿」、光太郎の「鯰」と「魴鮄」も出ていますし、あわせてどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
池の端仲町にもう“酒悦”が復活したかとなつかしく存じました。味も殆ど以前と変りなく、東京の風趣を感じます。智恵子も好きだつたのでよくあの店へ買ひにいつた事を思ひ出します。
「酒悦」は現在も続く佃煮や漬物のメーカーです。本店は上野の不忍池のほとりだったのですね。
関連行事 シンポジウム「黄土水とその時代――日本と台湾の近代美術史をたどる」
期 日 : 2024年9月6日(金)
会 場 : 東京藝術大学大学美術館地下2階 展示室2
時 間 : 13:00~16:10
料 金 : 無料
黄土水という彫刻家を中心に、大正・昭和初期の日本と台湾の美術、そして東京美術学校の事歴に注目があつまるこの機会に、東京藝術大学大学美術館は、台湾の専門家と本学の教員によるシンポジウムを開催いたします。黄土水の近年の再評価がどのようになされたか、そしてそれが日・台近代美術史研究に与えたインパクトがどのようなものであったかをご紹介いただきながら、黄土水と東京美術学校の関係に注目してゆきます。
講演1 薛燕玲(国立台湾美術館学芸員)
「近代台湾初の彫刻家――黄土水芸術「ローカルカラー」の表現」
講演2 岡田靖(東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学准教授)
「古きモノからの学びとその保存修復、そして新たな彫刻表現へ」
講演3 村上敬(東京藝術大学大学美術館准教授 *本展担当者)
「解題『黄土水とその時代』」
パネルディスカッション
登壇者:薛燕玲、村上敬、岡田靖(モデレーター:熊澤弘)
というわけで、台湾出身で東京美術学校に留学していた彫刻家・黄土水(明治28年=1895~昭和5年=1930)をメインに据えた展示です。
黄が留学のため来日したのは大正3年(1914)、光太郎は既に母校を離れていましたが、父・光雲はまだ現役で後進の指導に当たっていました。そこで黄も当初はアカデミックな彫刻で官展系の入選を果たしていましたが、徐々に文学性を排した方向に進み、鳥獣魚介をモチーフとしたりしていく感じで、そこに光太郎や、さらに光太郎が心酔していたロダンの影響を指摘する説もあります。ただ、光太郎との直接の面識はなかったと思われ、『高村光太郎全集』にその名は現れません。
美校を卒(お)えた後の黄は、日台を行き来しながら活動し、昭和5年(1930)、池袋で亡くなっています。フライヤーに使われているのは代表作の一つ「甘露水」(大正10年=1921)。大理石です。
で、師・光雲や光太郎などの作品も展示されます。
プレスリリースによれば、光雲作品は木彫「聖徳太子像」。それから光太郎の親友・碌山荻原守衛のブロンズ「女」も。
同館所蔵の光太郎作品は以下の通りですが、おそらくブロンズの「獅子吼」、木彫の「紅葉と宝珠」、同じく「蓮根」あたりが出るのではないかと思われます。
始まりましたら早い内に見に行きますので、またご紹介します。
皆様もぜひ足をお運びください。すぐ近くの東京国立博物館さんでは、常設展「総合文化展」で、光雲の「老猿」、光太郎の「鯰」と「魴鮄」も出ていますし、あわせてどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
池の端仲町にもう“酒悦”が復活したかとなつかしく存じました。味も殆ど以前と変りなく、東京の風趣を感じます。智恵子も好きだつたのでよくあの店へ買ひにいつた事を思ひ出します。
昭和24年(1949)4月21日 堀尾勉宛書簡より光太郎67歳
「酒悦」は現在も続く佃煮や漬物のメーカーです。本店は上野の不忍池のほとりだったのですね。