昨日は久々に上京しておりました。まずは上野の東京国立博物館(トーハク)さんの常設展示・総合文化展の拝観(その後、国会図書館さんに廻って調べもの)。
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盆中でどんなもんだろうと思っていたのですが、そこそこの人出という程度、押すな押すなの盛況というわけではありませんでした。

真っ先に第18室へ。
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最も見たかった作品が、光太郎の木彫「魴鮄(ほうぼう)」(大正13年=1924)。コロナ禍中の令和3年(2021)にもひっそりと出されていたそうなのですが、その際には気づきませんで……。

同じく木彫の「鯰」(大正14年=1925)と並べて展示されています。
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あまり混んでいなかったので、さまざまな角度から見て撮影出来ました。ラッキーでした。
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魴鮄の大きな特徴である巨大な鰭(ひれ)は体側に畳まれた状態。これを広げて表現すると、光太郎の技倆なら不可能ではないのでしょうが、どうも玩具のようになってしまうような気がします。
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cfc02c35鱗(うろこ)なども省略しています。光太郎、同じことを後に「鯉」の木彫でやろうとしました。鱗を彫ると俗っぽくなる、と。しかし鱗がないとどうにも鯉感が出せず、その処理が難しい、というわけで、結局、「鯉」は完成しませんでした。ただ、土門拳による製作中のスナップが残っています。

この「鯉」、注文したのは新潟の素封家にして美術愛好家・松木喜之七でした。光太郎は「鯉」を完成出来なかったおわびにと、代わりに「鯰」を納品。この「鯰」は、現在、愛知県小牧市のメナード美術館さんで展示中です。

ちなみに松木、太平洋戦争末期の昭和19年(1944)、48歳にもなっていたのに「根こそぎ動員」ということで召集され、その年10月に南方で戦死しています。戦後、短歌も趣味だった松木の遺稿歌集『九官鳥』が上梓され、光太郎も追悼文を寄せました。

「魴鮄」と並べて「鯰」。松木に贈られたのとは別物です。さらにいうなら竹橋の東京国立近代美術館(MOMAT)さんにもまた別の「鯰」が収蔵されています。今回のものが「鯰1」、MOMATさんは「鯰2」、メナードさんで「鯰3」です。
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「魴鮄」がほぼ真っ直ぐな姿態であるのに対し、「鯰」はゆるやかにカーブを描き、そこが実にいいところですね。このカーブの部分を前後両方向からではなく、一方向からのみ彫っているそうで、それは実に難しいとのこと。この「鯰」を見た光太郎の父・光雲は、まずその点に驚いたそうです。プロは着眼点が違いますね。
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また、近代彫刻史の専門家・髙橋幸次氏は、このカーブによって体側にできる空間に面白味がある、とおっしゃっていました。余白の美、的な。そう考えると、晩年に光太郎が取り憑かれた「書」にも通じるような気がします。無理くりかも知れませんが。

光太郎作品はもう1点、ブロンズの「老人の首」も出ています。
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光太郎生前の鋳造で、もしかすると大正15年(1926)に開催された「聖徳太子奉賛展」に出品されたそのものかもしれません。

そして光雲の「老猿」。
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昨年3月、MOMATさんでの「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」以来の拝観。

像高90㌢程なのですが、何度見てもその迫力に圧倒され、巨大な像に見えてしまいます。不思議なものですね。猿の視線が天空へと放散されているせいかもしれません。トーハクさんでは台座を高く設定しているというのもあるのでしょうが。

今回の展示は10月27日(日)までの予定。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

クリスマスにはケーキを作りましたが香料がないので不十分でした。


昭和23年(1948)12月28日 宮崎稔宛書簡より 光太郎66歳

岩手の山中の山小屋で一人クリスマスケーキを焼く66歳……。ケーキと云っても生クリームなどありません。どんなものだったのか……。