本日開催される女川光太郎祭のため、昨夜から宮城県女川町に来ております。
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昭和6年(1931)の今日、新聞「時事新報」の依頼で紀行文「三陸廻り」執筆のため、光太郎は東京を発ちました。おそらく芝浦港から三陸汽船の船で、塩竈港へ。その後、約一ヶ月かけ、宮城と岩手の太平洋沿岸を主に船で廻りました。

平成のはじめ、それを記念して女川町の貝(佐々木)廣氏が中心となって、当時の女川海浜公園に光太郎文学碑が建立され、その後、毎年8月9日に女川光太郎祭が開催されるようになりました。
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平成23年(2011)、東日本大震災の津波で町中心部は壊滅、この碑は倒壊し、貝(佐々木)氏も帰らぬ人となってしまいました。
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光太郎祭の運営はその後、奥さまの英子さんが引き継ぎ、コロナ禍での中断を経て、昨年から旧に復して開催されています。

町内外の方々による光太郎詩文の朗読、アトラクションの音楽演奏、おまけで当方の記念講演など。

つつがなく終わることを祈念いたしております。