過日、光太郎第二の故郷・花巻と、仙台で開催された箏曲奏者の元井美智子さんと朗読の荒井真澄さんのお二人がコラボなさった公演3件の模様を、元井さんがYouTubeにアップなさいました。
まず花巻の賢治の広場さんで開催された「夏、花巻で奏であう 光太郎、賢治、箏と声」。
まず花巻の賢治の広場さんで開催された「夏、花巻で奏であう 光太郎、賢治、箏と声」。
こちらに関しては、地元紙『岩手日日』さんが記事にして下さっています。
荒井さんは、高村光太郎の「レモン哀歌」や「松庵寺」、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の序文や「星めぐりの歌」を朗々と読み上げた。元井さんは、あえて音を外すなど作品の世界観や朗読の調子に寄り添いながら即興演奏した。
会場には約50人が詰めかけ、時には目を閉じて朗読に聴き入っていた。市内から訪れた永田豊さん(83)は「光太郎の文章は朗読に合わないと思っていたが、琴の演奏と合わさって格調高さを感じた」と語った。
2人は光太郎関連の行事で出会い、今回のイベントを企画した。荒井さんは「想像以上に多くの人が来てくれた。自分が作品から受けとったものを、そのままお客さんに届けられたと思う」、元井さんは「花巻の人の光太郎と賢治への愛を強く感じた。これからも岩手の風景を自分の音に落とし込んでいきたい」と話していた。
続いて、荒井さんの地元・仙台市の「となりのえんがわ」さんでの「旅するお箏 となりのえんがわdeコンサート」。7月19日(金)の開催でした。
さらに7月23日(火)、同じく仙台市での「夏の朝、音を描くコンサート 箏の調べと智恵子抄」。
お二方のさらなるご活躍を祈念いたします。
【折々のことば・光太郎】
毎年御厄介をお願ひいたしますが、又十月の法要月がまゐりますので松庵寺に都合を問合わせましたところ十月九日が最も都合よろしき旨返事をいただきましたので、八日に花巻にまゐりたく、甚だ恐縮ながら又々お邪魔仕りたく存じ居りますが御都合お悪き時は何卒御遠慮なく御申聞かせ下されますやう願上げます。
10月5日が智恵子の命日、父・光雲のそれは10月10日、そして母・わかは9月10日が命日と云うことで、ほぼ毎年、賢治の広場ハナマルカフェさんの裏手、松庵寺さんで10月に法要を営んでもらっていました。
佐藤雪江は総合花巻病院長にして賢治の主治医、そして昭和20年(1945)、光太郎が花巻郊外旧太田村に移る直前の約1ヶ月、自宅離れに光太郎を住まわせてくれた佐藤隆房夫人でした。
夏詩の世界観 箏と朗読で 光太郎・賢治作品題材に催し・花巻
ボイスパフォーマーの荒井真澄さん(仙台市)と箏曲演奏家の元井美智子さん(東京都)は18日、朗読会「夏、花巻で奏であう 光太郎、賢治、箏と声」を花巻市上町の賢治の広場で開いた。同市ゆかりの詩人の作品を情感豊か朗読と箏の調べで表現し、聴衆を楽しませた。荒井さんは、高村光太郎の「レモン哀歌」や「松庵寺」、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の序文や「星めぐりの歌」を朗々と読み上げた。元井さんは、あえて音を外すなど作品の世界観や朗読の調子に寄り添いながら即興演奏した。
会場には約50人が詰めかけ、時には目を閉じて朗読に聴き入っていた。市内から訪れた永田豊さん(83)は「光太郎の文章は朗読に合わないと思っていたが、琴の演奏と合わさって格調高さを感じた」と語った。
2人は光太郎関連の行事で出会い、今回のイベントを企画した。荒井さんは「想像以上に多くの人が来てくれた。自分が作品から受けとったものを、そのままお客さんに届けられたと思う」、元井さんは「花巻の人の光太郎と賢治への愛を強く感じた。これからも岩手の風景を自分の音に落とし込んでいきたい」と話していた。
続いて、荒井さんの地元・仙台市の「となりのえんがわ」さんでの「旅するお箏 となりのえんがわdeコンサート」。7月19日(金)の開催でした。
さらに7月23日(火)、同じく仙台市での「夏の朝、音を描くコンサート 箏の調べと智恵子抄」。
お二方のさらなるご活躍を祈念いたします。
【折々のことば・光太郎】
毎年御厄介をお願ひいたしますが、又十月の法要月がまゐりますので松庵寺に都合を問合わせましたところ十月九日が最も都合よろしき旨返事をいただきましたので、八日に花巻にまゐりたく、甚だ恐縮ながら又々お邪魔仕りたく存じ居りますが御都合お悪き時は何卒御遠慮なく御申聞かせ下されますやう願上げます。
昭和23年(1948)9月27日 佐藤雪江宛書簡より 光太郎66歳
10月5日が智恵子の命日、父・光雲のそれは10月10日、そして母・わかは9月10日が命日と云うことで、ほぼ毎年、賢治の広場ハナマルカフェさんの裏手、松庵寺さんで10月に法要を営んでもらっていました。
佐藤雪江は総合花巻病院長にして賢治の主治医、そして昭和20年(1945)、光太郎が花巻郊外旧太田村に移る直前の約1ヶ月、自宅離れに光太郎を住まわせてくれた佐藤隆房夫人でした。