ネット上で情報を見つけました。三重県から朗読の公演情報です。
文色草子朗読組(あいろぞうしろうどくぐみ)による、大人のための朗読会です。
第3回文色草子朗読ライブ 詩人、四人。 高村光太郎×柴田トヨ 茨木のり子×東君平
期 日 : 2024年6月30日(日)
会 場 : 四日市市立図書館 2階視聴覚ホール 三重県四日市市久保田一丁目2-42
時 間 : 午前10時30分から
料 金 : 無料
文色草子朗読組(あいろぞうしろうどくぐみ)による、大人のための朗読会です。
高村光太郎×柴田トヨ 茨木のり子×東君平 この4人の作品の中から21作品を9人で朗読します。
フライヤーによれば、光太郎詩は「当然事」(昭和3年=1928)、「象」(昭和12年=937)、「牛」(大正3年=1914)、「人類の泉」(大正2年=1913)、「道程」(大正3年=1914)。まだあるかも知れません。
「詩人、四人。」だそうで、光太郎以外には、満101歳まで現役であらせられた故・柴田トヨ氏、女流詩人の草分けの一人・茨木のり子、絵本作家の故・東君平氏。光太郎とこの3人の作品で、どのような化学反応が起こるかな、という感じですね。
お近くの方(遠くの方も(笑))、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
ただの来訪なら構はないのですが、こちらに住み込まうといふ意図のあるのがイヤです。他の人の来訪とは性質が違ふので困ります。こんな人に来られてはやりきれず、北海道の奥へでもゆきたくなります。場合によつてはアメリカへ移住するのもいいなどと空想してゐます。
昭和23年(1948)2月16日 宮崎稔宛書簡より 光太郎66歳
光太郎、ストーカー被害に遭っていました。相手は戦前から知っていた老女。趣味で短歌などを詠んでいたようです。光太郎のアトリエがあった駒込林町に近い根津に住んでいて、そのころはどうということもなかったのですが、戦後、光太郎が花巻郊外旧太田村に隠棲をはじめると、「身の回りの世話をしたい」などと手紙を寄越し、実際に太田村まで押しかけてきたことも。
その被害は昭和27年(1952)、「乙女の像」制作のため太田村を後にして再上京したあとも続いたようです。