公益社団法人日本写真家協会さん主催のイベントです。
第4回知っておきたい写真著作権&肖像権セミナー・名古屋
期 日 : 2024年7月6日(土)
会 場 : 電気文化会館 愛知県名古屋市中区栄二丁目2番5号
時 間 : 14:00~16:00
料 金 : 無料(事前申込制)
第1部 「写真家が守る著作権とフィルムデジタイズ」
講師:髙村達(写真家/日本写真家協会副会長/日本写真著作権協会理事)
髙村達は髙村光雲の曾孫にあたり髙村家の作品と共に著作権の継承者だが、自身の作品制作と並行しつつ作品鑑定やデジタル化によるアーカイブを進めている。本セミナーでは、高村智恵子の紙絵(オリジナル作品)と、フィルムのデジタルアーカイブの現状、そして経年における作品の退色に対して智恵子がさした色をどう再現するのか、写真原板のデジタル化の重要性をお伝えします。
第2部「写真著作権とアーカイブ」-日本人写真家が捉えた1960年代のアメリカの日常
講師:棚井文雄(写真家/日本写真著作権協会常務理事/文化庁文化審議会著作権分科会委員)
「写真著作権」を保持すること、作品の利活用のための「アーカイブ」、その重要性を、1960年代アメリカを捉えた渡邊澄晴の作品の発掘から保存までのドキュメントとともに伝える。これらの作品は、1965年に三木淳によって写真集にまとめられ、半世紀を経てデジタルア ーカイブ化された。そのことは、著作権の重要性とともに、2018年に『アサヒカメラ』が見開きで紹介。写真家にとっての 「写真著作権」「アーカイブ」に必要なこととは?具体例とともに紹介します。
というわけで、光太郎実弟にして鋳金分野で人間国宝だった豊周の令孫・髙村達氏が講師としてご登壇。智恵子の紙絵を例にフィルムからのデジタルデータ化などについてお話しされるとのこと。
実は今月、都内で開催された「アート・ドキュメンテーション学会 第35回(2024)年次大会」でも達氏による同様のお話があったようなのですが、そちらは当日になって知った次第で、このブログではご紹介できませんでした。
智恵子の紙絵はその大半が髙村家に保管されており、達氏の父君で、やはり写真家であらせられた故規氏が撮影されたデータも残っています。ただ、そのデータがおそらくフィルムによるアナログデータなのでしょう。それをデジタル化することに関し、その意義、課題といったお話だと思われます。
規氏、智恵子の紙絵以外にも、伯父・光太郎や祖父にあたる光雲の彫刻作品、父・豊周の鋳金作品も撮影、各種展覧会の図録に使われ続けている他、写真集としても刊行されました。
上画像は規氏ご葬儀の際に祭壇に飾られた三冊。左から『髙村豊周作品集 鋳』(昭和56年=1981 髙村豊周作品集刊行会)、『高村光太郎彫刻全作品』(昭和54年=1979 六耀社)、そして『髙村規全撮影 木彫 髙村光雲』(平成11年=1999 中教出版)。これらに収められた写真のデータ化も、子息の達氏によって進められているのでしょう。
ゆくゆくは彫刻作品等は3Dデータとの作成、しかるべき機関等での保存、そういった方向に進むことを望みます。竹橋の東京国立近代美術館さん等では、そういった取り組みも為されつつあるやに聞きます。下画像は同館インスタグラム、光太郎の親友・荻原守衛の「坑夫」に対しての作業の様子。
そして今回のお話は、智恵子の紙絵に焦点を絞って。彫刻や鋳金とは違い、劣化の激しい素材を使っての作品でして、実際、二本松市の智恵子記念館さんで所蔵している紙絵はかなり褪色が進んでしまっています。元々が光太郎が智恵子の元に届けた千代紙や包装紙などが原材料ですから、いたしかたありません。
デジタルデータとて万全ではないのでしょうが、補完、保存、といった部分では大きく効力を発揮するでしょう。広く美術関係の皆さんに聴いていただきたい内容です。ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
今年は日本の経済界が吉凶いづれかに決定しさうに思はれます。破滅も亦よささうです。一切が淘汰されてしまふのも。
花巻郊外旧太田村での山小屋暮らしも2年余りが過ぎ、ある種の「無常観」に包まれつつあるようです。
というわけで、光太郎実弟にして鋳金分野で人間国宝だった豊周の令孫・髙村達氏が講師としてご登壇。智恵子の紙絵を例にフィルムからのデジタルデータ化などについてお話しされるとのこと。
実は今月、都内で開催された「アート・ドキュメンテーション学会 第35回(2024)年次大会」でも達氏による同様のお話があったようなのですが、そちらは当日になって知った次第で、このブログではご紹介できませんでした。
智恵子の紙絵はその大半が髙村家に保管されており、達氏の父君で、やはり写真家であらせられた故規氏が撮影されたデータも残っています。ただ、そのデータがおそらくフィルムによるアナログデータなのでしょう。それをデジタル化することに関し、その意義、課題といったお話だと思われます。
規氏、智恵子の紙絵以外にも、伯父・光太郎や祖父にあたる光雲の彫刻作品、父・豊周の鋳金作品も撮影、各種展覧会の図録に使われ続けている他、写真集としても刊行されました。
上画像は規氏ご葬儀の際に祭壇に飾られた三冊。左から『髙村豊周作品集 鋳』(昭和56年=1981 髙村豊周作品集刊行会)、『高村光太郎彫刻全作品』(昭和54年=1979 六耀社)、そして『髙村規全撮影 木彫 髙村光雲』(平成11年=1999 中教出版)。これらに収められた写真のデータ化も、子息の達氏によって進められているのでしょう。
ゆくゆくは彫刻作品等は3Dデータとの作成、しかるべき機関等での保存、そういった方向に進むことを望みます。竹橋の東京国立近代美術館さん等では、そういった取り組みも為されつつあるやに聞きます。下画像は同館インスタグラム、光太郎の親友・荻原守衛の「坑夫」に対しての作業の様子。
そして今回のお話は、智恵子の紙絵に焦点を絞って。彫刻や鋳金とは違い、劣化の激しい素材を使っての作品でして、実際、二本松市の智恵子記念館さんで所蔵している紙絵はかなり褪色が進んでしまっています。元々が光太郎が智恵子の元に届けた千代紙や包装紙などが原材料ですから、いたしかたありません。
デジタルデータとて万全ではないのでしょうが、補完、保存、といった部分では大きく効力を発揮するでしょう。広く美術関係の皆さんに聴いていただきたい内容です。ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
今年は日本の経済界が吉凶いづれかに決定しさうに思はれます。破滅も亦よささうです。一切が淘汰されてしまふのも。
昭和23年(1948) 鎌田敬止宛書簡より 光太郎66歳
花巻郊外旧太田村での山小屋暮らしも2年余りが過ぎ、ある種の「無常観」に包まれつつあるようです。