ともに再放送ですが、テレビ放映情報です。
まず、岩手系。
まず、岩手系。
NHK BS 2024年6月16日(日) 午前6:00~7:00
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルといわれる岩手県の釜石線。賢治のふるさと花巻、河童と馬の里遠野、鉄の町・釜石を結ぶ。この鉄路に思いを込めて暮らす人々を訪ねる。
釜石線の前身は明治13年に鉄鉱石を運ぶために作られた釜石鉱山鉄道。日本で3番目の路線だった。近年はSL銀河が人気を博したが、昨年運行終了。そんな鉄道をコスプレで応援する家族、早朝の列車で大谷翔平の母校に通いダンスに熱中する少女、子どもやぶさめで地域の伝統を守る「撮り鉄」宮司、東日本大震災からよみがえった釜石の居酒屋と常連客の絆、宮沢賢治の銀河を手作りアクセサリーで表現する女性職人、思いをたどる旅。
語り 松たか子 井上二郎 渡邊佐和子
語り 松たか子 井上二郎 渡邊佐和子
〇オープニング
花巻と釜石を結ぶJR釜石線 愛称「銀河ドリームライン」
子どもたちが歌う、宮沢賢治 作詞作曲「星めぐりの歌」
〇これからもずっと見送り隊(遠野市)
観光列車「ひなび」
土日・祝日に「柏木平駅」近くで観光列車を見送る活動をする見送り隊
道の駅と宮守川橋梁、通称「めがね橋」
令和5年まで走っていた「SL銀河」
人気アニメキャラクターの観光列車
〇鉄だけじゃないぞ(釜石市)
2024年現在、全日本鉄鋼弓道大会三連覇中の製鐵会社の弓道部
鉄製の鳥居を構える「山神社(さんじんじゃ)」
製鐵会社の歴史と鉱山跡
仙人峠と釜石線開通までの道のり
〇カッパと馬の遠野物語(遠野市)
カッパ渕とカッパおじさん
カッパが多く棲んでいたと伝わる猿ヶ石川
馬を大切に扱う家の間取り~曲り家
〇宮司は撮り鉄(遠野市)
800年の歴史をもつ「遠野郷八幡宮」
ホップの蔓(つる)から作られた和紙の御朱印
〇青春のレール(花巻市)
大リーグで活躍する大谷翔平選手や菊池雄星選手が卒業した花巻東高等学校
ダンス部
〇守とお恵(釜石市)
かつての吞ん兵衛横丁の店主と常連で再出発した飲み屋
〇花巻発 温泉郷行き(花巻市)
花巻電鉄レール跡のサイクリングロード
宮沢賢治もたびたび訪れた、1200年の歴史を持つ温泉
〇残雪の幸せ争奪戦(花巻市)
早池峰山(はやちねさん)
早池峯神社~「蘇民祭(そみんさい)」
〇夢を射止める馬場(遠野市)
遠野郷八幡宮で春から秋にかけて月に一度開催される朝市
5月5日に行われる子ども流鏑馬(やぶさめ)
〇賢治の銀河に憧れて(遠野市)
宮沢賢治の世界をイメージして作品作りをするアクセサリー作家
卯子酉(うねどり)神社
初回放映が6月4日(火)でした。拝見しようと思っていたのですが、うっかり録画予約を失念し、まだ見ていません。
宮沢賢治がメインで、説明欄に光太郎の名がないのですが、「宮沢賢治もたびたび訪れた、1200年の歴史を持つ温泉」とあり、光太郎も訪れたどこかの温泉が紹介されたと思われます。その前に「花巻電鉄レール跡のサイクリングロード」とありますし。
もう1件。こちらは光太郎がメイン。
中学・高校で学ぶ文学作品の魅力を10分間でコンパクトに解説します。朗読は、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんです。20年近く前に制作されましたが、最新の映像技術により、高画質のハイビジョン映像でお楽しみいただけます。今回は、高村光太郎の詩人としての代表作「道程」。詩の完成までの経緯を紹介するとともに、様々な人に、この詩を自由に解釈してもらい、その人なりの朗読を聞かせてもらいます。
【朗読】加賀美幸子
「20年く前に制作されました」ということで、何度も再放送されてきましたし(最近だと今年2月)、実はネット上でも常時視聴可能なのですが、ハイビジョンリマスター版だそうで、DVDで保存するにはいいと思います。
タイトルのの通り10分間番組ですが、なかなか濃い内容です。
scene 01 詩人・彫刻家 高村光太郎
『道程』は、1914年、大正時代に書かれた詩です。それまでの詩とは違い、ふだん話している言葉、口語体で書かれていました。若者が持つ将来への不安と、前向きな決意が感じられることから、多くの人々に親しまれてきました。この詩の作者は高村光太郎。詩人として、また彫刻家として、明治末から昭和にかけて活躍しました。
scene 02 西洋の芸術から受けた衝撃
光太郎は、8人兄弟の長男として生まれました。父は、明治時代を代表する木彫り彫刻家高村光雲です。偉大な父光雲のあとを継ぎ彫刻家になることは、光太郎にとってごく当たり前のことでした。14歳のとき、東京美術学校、いまの東京芸術大学の予科に入学します。美術学校を卒業した光太郎は、1906年、海外へ留学。アメリカやヨーロッパで学びました。そこで目の当たりにしたのは、西洋の最先端の芸術でした。欧米と日本、その文化の違いに光太郎は衝撃を受けます。
scene 03 新しい芸術を生み出す苦しみ
それぞれぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
今日は二日で例年の通り書初をやりました。硯凍らず。「顕真実」と「金剛心」と四枚書きました。
花巻郊外旧太田村の山小屋での生活も、足かけ4年目、数え年で66歳となりました。
正月二日は書き初めをする習慣があったそうで、戦前からだったのかもしれません。「顕真実」「金剛心」ともに仏典由来の語です。この頃、これらの書き初めは世話になっている人々に進呈するのが常で、この年の書き初めは複数現存しています。
初回放映が6月4日(火)でした。拝見しようと思っていたのですが、うっかり録画予約を失念し、まだ見ていません。
宮沢賢治がメインで、説明欄に光太郎の名がないのですが、「宮沢賢治もたびたび訪れた、1200年の歴史を持つ温泉」とあり、光太郎も訪れたどこかの温泉が紹介されたと思われます。その前に「花巻電鉄レール跡のサイクリングロード」とありますし。
もう1件。こちらは光太郎がメイン。
NHK Eテレ 2024年6月19日(水) 午前6:00~6:10
中学・高校で学ぶ文学作品の魅力を10分間でコンパクトに解説します。朗読は、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんです。20年近く前に制作されましたが、最新の映像技術により、高画質のハイビジョン映像でお楽しみいただけます。今回は、高村光太郎の詩人としての代表作「道程」。詩の完成までの経緯を紹介するとともに、様々な人に、この詩を自由に解釈してもらい、その人なりの朗読を聞かせてもらいます。
【朗読】加賀美幸子
「20年く前に制作されました」ということで、何度も再放送されてきましたし(最近だと今年2月)、実はネット上でも常時視聴可能なのですが、ハイビジョンリマスター版だそうで、DVDで保存するにはいいと思います。
タイトルのの通り10分間番組ですが、なかなか濃い内容です。
scene 01 詩人・彫刻家 高村光太郎
『道程』は、1914年、大正時代に書かれた詩です。それまでの詩とは違い、ふだん話している言葉、口語体で書かれていました。若者が持つ将来への不安と、前向きな決意が感じられることから、多くの人々に親しまれてきました。この詩の作者は高村光太郎。詩人として、また彫刻家として、明治末から昭和にかけて活躍しました。
scene 02 西洋の芸術から受けた衝撃
光太郎は、8人兄弟の長男として生まれました。父は、明治時代を代表する木彫り彫刻家高村光雲です。偉大な父光雲のあとを継ぎ彫刻家になることは、光太郎にとってごく当たり前のことでした。14歳のとき、東京美術学校、いまの東京芸術大学の予科に入学します。美術学校を卒業した光太郎は、1906年、海外へ留学。アメリカやヨーロッパで学びました。そこで目の当たりにしたのは、西洋の最先端の芸術でした。欧米と日本、その文化の違いに光太郎は衝撃を受けます。
scene 03 新しい芸術を生み出す苦しみ
3年後、帰国した光太郎は、日本の古い美術界の慣習にことごとく反発します。展覧会に作品を出品せず、美術界を批判する評論、エッセイや、詩などを次々に発表し続けました。父の期待に応えられず、新しい芸術を生み出すこともできないまま、当時の光太郎はもがいていました。
scene 04 智恵子との出会い
そんなとき転機が訪れます。のちに妻となる長沼智恵子との出会いです。光太郎はそれまでの生活を改め、生まれ変わることを決意します。出会ってから3年後、二人は結婚。その年発表されたのが『道程』です。1914年、31歳のときの作品でした。「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ/常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ/この遠い道程のため/この遠い道程のため」。
scene 05 広く共感を呼ぶ詩
自分の人生を自分の力で切り拓いていこうという強い決意がこめられた光太郎の『道程』。この詩は、いまも卒業や入学、就職など、人生の転機を迎えるときに、広く読み継がれています。入学したばかりの不安と、大学生活でどんなことが起きるんだろうという期待を持って読んだという大学一年生。将来への不安のなか、自分を奮い立たせるような気持ちで読んだという就職活動中の大学四年生。親としての責任や、家族のことを考えたという31歳の夫婦。さまざまな受けとめ方があります。
scene 06 自立する決意
昭和33年に発行された高村光太郎全集第三巻。ここに、初めて雑誌に掲載されたときの『道程』の原型が収められています。オリジナルの『道程』は、102行からなる、いまとはまったく違う詩だったのです。光太郎は、この詩をばっさりと削っていきます。残したのは、自立を宣言する最後の部分のみでした。わずか9行のこの詩に光太郎がこめた思い。それは、偉大な父との精神的な決別であり、新しい人生を自分の力で切り拓く決意です。
それぞれぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
今日は二日で例年の通り書初をやりました。硯凍らず。「顕真実」と「金剛心」と四枚書きました。
昭和23年(1948)1月2日
宮崎稔宛書簡より 光太郎66歳
宮崎稔宛書簡より 光太郎66歳
花巻郊外旧太田村の山小屋での生活も、足かけ4年目、数え年で66歳となりました。
正月二日は書き初めをする習慣があったそうで、戦前からだったのかもしれません。「顕真実」「金剛心」ともに仏典由来の語です。この頃、これらの書き初めは世話になっている人々に進呈するのが常で、この年の書き初めは複数現存しています。