昨日同様、あまり関係ないかなと思って紹介しないでいたら、光太郎の名を出して報道されてしまった(笑)展示です。
状況をわかりやすくするためにまずNHK仙台局さんのローカルニュースから。
状況をわかりやすくするためにまずNHK仙台局さんのローカルニュースから。
仙台出身の“知られざる詩人” 石川善助の企画展
仙台出身の詩人で将来を期待されながら31歳の若さで亡くなった石川善助の生涯を紹介した企画展が仙台市の仙台文学館で開かれています。
この企画展「詩人・石川善助をたずねて」は仙台文学館で来月30日まで開かれています。
展示詳細はこちら。
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開館25周年記念特別展「詩人・石川善助をたずねて~北方への道のり」
期 日 : 2024年4月27日(土)~6月30日(日)
会 場 : 仙台文学館 宮城県仙台市青葉区北根2-7-1
時 間 : 午前9時~午後5時
休 館 : 月曜日、第4木曜日
料 金 : 一般810円、高校生460円、小・中学生230円 ※各種割引あり
ところで、冒頭にNHK仙台放送局さんの報道をご紹介しましたが、同局制作で東北6県向けに放映されている「ウイークエンド東北」、明日のオンエアで光太郎が大きく取り上げられます。
元々、光太郎終焉の地・東京都中野区の中西利雄アトリエ保存運動の関わりで、保存会の日本詩人クラブ理事・曽我貢誠氏がNHKさんに取材の依頼をされました。すると、その件と、プラス「光太郎智恵子顕彰で頑張る東北の人々」というコンセプトで制作が為されました。
中野アトリエ以外、東北では、GW中に光太郎第二の故郷とも言うべき岩手花巻開催された「土澤アートクラフトフェア2024春」などで、食を通して光太郎顕彰に取り組むやつかの森LLCさんの活動、智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰にあたられている智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~さん主催の「第17回高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~」の模様、それから光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ青森十和田湖から、ボランティアガイドの方のお話。
10分ほどの尺だそうですが、東北6県の皆さん、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
どんな消息よりもよく貴下の全存在を話してくれるのはやはり詩だとおもひました。ますますむきに前進せられん事をのぞみます。
田村は北海道出身の詩人。この当時は新潟に住んでいました。光太郎は戦時中の昭和17年(1942)には田村の詩集『蘭の国にて』の序文を書いた他、この後、昭和28年(1953)には同じく『下界』の題字揮毫も行いました。また、遡れば太平洋戦争開戦直前には田村の編輯した『日本青年詩集』にも序文を寄せましたが、こちらは出版事情の悪化でお蔵入りとなりました。
書簡は田村から自著詩集『風』を贈られた返礼の一節です。単に「ありがとうございます。」ではなく、実に気の利いた文言ですね。
1901(明治34)年に仙台の国分町に生まれた石川善助は、仙台商業学校在学中から詩作に目覚め、校友会誌などに詩を発表し始めます。卒業後、仕事の傍ら、友人と詩誌を刊行、『日本詩人』をはじめとする中央の詩誌に作品を発表するなどし、詩人として将来を嘱望されましたが、1932(昭和7)年、31歳で不慮の事故により命を落としました。
宮城県出身の詩人として、尾形亀之助と並び称されてきた善助ですが、生前に一冊の詩集を出すこともかなわず、その死後に友人たちにより遺稿集として、詩集・随筆集・童謡集がそれぞれ一冊ずつ刊行されることになりました。しかしこれまでその創作活動の全容はあまり知られてきませんでした。
今回、書籍・原稿・書簡・創作ノート・作品掲載詩誌など、現在残されている膨大な石川善助関係の資料の全貌を紹介するとともに、改めて日本近代詩史における善助の位置づけを明らかにし、その詩の魅力を探ります。また、善助は民俗学的視点での随筆や童話、方言を用いた作品も残しており、その多様な表現活動と、仙台のスズキヘキや天江富弥をはじめ、草野心平や宮沢賢治など、様々な人々との交友についても紹介します。
光太郎と石川、当会の祖である草野心平を通して知り合ったようです。その死後に刊行された石川唯一の詩集『亜寒帯』の序文は光太郎が書きました。全文はこちら。
ネット上には展示品の目録が出ていないのですが、おそらく『亜寒帯』の説明の中で、光太郎の序文についても触れられているのでしょう。序文の原稿そのものが残っていればぜひ見てみたいものですが、現存は確認できていません。
ただ、NHKさんの報道でも触れられているとおり、賢治の書簡が出ているとのことで、「ほう」という感じでした。石川は、賢治と親しく戦後には光太郎とも繋がる直木賞作家・森荘已池を通じて賢治と直接会っています。賢治が生前に会った詩人というと、光太郎、黄瀛など、数が限られており、その数少ない一人が石川でした。
また、館の案内文には天江冨弥の名も。天江は仙台出身の児童文学者ですが、やはり光太郎と軽く関わりがありました。
さて、関連行事。既に終わってしまったものもありますが、これからというもののみ。
1.連続講座「石川善助を知ろう」定員:各60名(先着)
ネット上には展示品の目録が出ていないのですが、おそらく『亜寒帯』の説明の中で、光太郎の序文についても触れられているのでしょう。序文の原稿そのものが残っていればぜひ見てみたいものですが、現存は確認できていません。
ただ、NHKさんの報道でも触れられているとおり、賢治の書簡が出ているとのことで、「ほう」という感じでした。石川は、賢治と親しく戦後には光太郎とも繋がる直木賞作家・森荘已池を通じて賢治と直接会っています。賢治が生前に会った詩人というと、光太郎、黄瀛など、数が限られており、その数少ない一人が石川でした。
また、館の案内文には天江冨弥の名も。天江は仙台出身の児童文学者ですが、やはり光太郎と軽く関わりがありました。
さて、関連行事。既に終わってしまったものもありますが、これからというもののみ。
1.連続講座「石川善助を知ろう」定員:各60名(先着)
③「石川善助と宮沢賢治をつなぐもの」
日時:6月29日(土)13:30~15:00
講師:宮川健郎(一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団理事長)
申込み受付開始:6月12日(水)10時~
2. トークイベント
「詩人・石川善助との出会いと、100年前からのメッセージ」
日時:6月1日(土)13:30~15:00
出演:木村健司(石川善助研究者) 聞き手:赤間亜生(当館副館長)
定員:60名(先着)
申込み受付開始:5月15日(水)10時~
3.朗読と音楽の調べ「石川善助・その生と言葉の軌跡」
日時:6月15日(土)13:30~14:30
出演:芝原弘(黒色綺譚カナリア派/コマイぬ) 菊池佳南(青年団/うさぎストライプ)
定員:50名(先着)
申込み受付開始:5月15日(水)10時~
【申込方法】電話で仙台文学館まで(022-271-3020)
ところで、冒頭にNHK仙台放送局さんの報道をご紹介しましたが、同局制作で東北6県向けに放映されている「ウイークエンド東北」、明日のオンエアで光太郎が大きく取り上げられます。
元々、光太郎終焉の地・東京都中野区の中西利雄アトリエ保存運動の関わりで、保存会の日本詩人クラブ理事・曽我貢誠氏がNHKさんに取材の依頼をされました。すると、その件と、プラス「光太郎智恵子顕彰で頑張る東北の人々」というコンセプトで制作が為されました。
中野アトリエ以外、東北では、GW中に光太郎第二の故郷とも言うべき岩手花巻開催された「土澤アートクラフトフェア2024春」などで、食を通して光太郎顕彰に取り組むやつかの森LLCさんの活動、智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰にあたられている智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~さん主催の「第17回高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~」の模様、それから光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ青森十和田湖から、ボランティアガイドの方のお話。
10分ほどの尺だそうですが、東北6県の皆さん、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
どんな消息よりもよく貴下の全存在を話してくれるのはやはり詩だとおもひました。ますますむきに前進せられん事をのぞみます。
昭和22年(1947)11月10日 田村昌由宛書簡より 光太郎65歳
田村は北海道出身の詩人。この当時は新潟に住んでいました。光太郎は戦時中の昭和17年(1942)には田村の詩集『蘭の国にて』の序文を書いた他、この後、昭和28年(1953)には同じく『下界』の題字揮毫も行いました。また、遡れば太平洋戦争開戦直前には田村の編輯した『日本青年詩集』にも序文を寄せましたが、こちらは出版事情の悪化でお蔵入りとなりました。
書簡は田村から自著詩集『風』を贈られた返礼の一節です。単に「ありがとうございます。」ではなく、実に気の利いた文言ですね。