花巻で光太郎顕彰にあたられている民間の方々の活動をご紹介します。

まず「光太郎を知る会」さん。文字通りの会で、かつて花巻及び郊外旧太田村に足かけ8年を過ごした光太郎の生活ぶりなどを、当時の光太郎日記などの読み合わせをする読書会的な感じで繙いていく活動などをなさっています。今年2月に当方が花巻にお邪魔した際、わざわざお集まり下さいまして、懇談させていただきました。

かつて花巻では毎年5月15日、光太郎が昭和20年(1945)に花巻の宮沢賢治実家に疎開のため東京を発った日を記念して、「高村祭」が開催されていました。最初は「高村記念祭」という名称でしたが、いつの頃からか「高村祭」となりました。
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第一回は、光太郎が歿して2年後の昭和33年(1958)。宮沢家、そして賢治の主治医だった佐藤隆房、それから旧太田村民の皆さんたちなどの醵金で、光太郎が暮らした山小屋の套屋(カバーの建物)と初の本格的な光太郎詩碑が作られ、そのお披露目という意味合いもあったようです。光太郎実弟の豊周をはじめ、当会の祖・草野心平や伊藤信吉、会田綱雄ら、錚々たるメンバーも来花。おそらく当会顧問であらせられた北川太一先生も列席なさったのではないでしょうか。

その頃撮られたと推定される16㍉フィルムから。
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もう少し後、昭和40年頃の絵葉書から。
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高村祭はこの詩碑の前で連綿と続けられていたのですが、コロナ禍前の令和元年(2019)に行われた第62回以後、途絶しています。再開のめどは立っていません。

そこで、「光太郎を知る会」さん、その代わりにということで5月15日(水)に詩碑前にお集まり下さり、皆さんで詩碑に献花、さらに光太郎詩の朗読をなさったそうです。ちなみに詩碑の地下には、分骨的に光太郎の遺髯が埋められています。
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かつての高村祭では、こうした朗読は市内の学校の生徒さんが行って下さっていましたし、児童の皆さんは器楽合奏や歌唱など、さらに途絶する直前には花巻農高さんによる鹿踊りの披露もありました。器楽合奏は高村祭が始まった頃には、実際に光太郎から寄贈された楽器を使用してのものでした。

そうした若い世代の光太郎顕彰行事参加の機会が無くなってしまったことに危機感を抱き、地元の太田振興会さんで、昨日このブログでご紹介した 「五感で楽しむ光太郎ライフ」を企画なさったという流れです。

さて、もう一つの顕彰団体、やつかの森LLCさんの取り組み。

まず、GW中の5月4日(土)、5日(日)に開催された、「土澤アートクラフトフェア2024春」へのご参加。こちらは光太郎と交流のあった画家・萬鉄五郎の出生地である花巻市東和町を会場に「絵画、陶芸、木工、アクセサリー、イラスト、写真、革製品、ガラスなど色々な手作りの品物が並ぶアート市。展示会場は、空き家・空き地はもちろん、営業中の店舗や、実際に生活している家屋まで、さまざまな場所が利用され、商店街や美術館前が彩られます。」だそうで。

光太郎が自作したメニューの現代風再現や、光太郎が使った食材の活用など、「食」を中心とした光太郎顕彰活動がメインのやつかの森LLCさんですので、お弁当の販売で参戦なさったとのことです。
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初日は110食、45分で完売だったそうです。すごいですね。

それから、5月15日(水)、毎月恒例の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。メニュー考案にやつかの森LLCさんが入られています。
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何事も継続していくことは困難も伴うと存じますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

ちなみに「土沢アートクラフトフェア」の件、光太郎智恵子顕彰にあたる東北の人々というコンセプトで6月1日(土)、NHKさん東北6県向けの「ウイークエンド東北」という番組内で取りあげられるそうです。詳細が入りましたらまたご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

もう秋でススキ、ハギ、ヲミナヘシがさかん。栗もキノコももう直です。

昭和22年(1947)9月25日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎65歳

山小屋周辺で採れる栗やキノコは貴重な食材でした。