若干先の話ですが、申込締め切りがありまして……。
期 日 : 2024年6月9日(日)
会 場 : なはんプラザ COMZホール
岩手県花巻市大通一丁目2番21号 東北本線/釜石線花巻駅前
岩手県花巻市大通一丁目2番21号 東北本線/釜石線花巻駅前
時 間 : 10:30~14:00
料 金 : 1,500円(昼食代金込み)
申 込 : kotarocafe@gmail.com (下記フライヤー画像にQRコード有り)
〆 切 : 5月27日(月) 先着100名
申 込 : kotarocafe@gmail.com (下記フライヤー画像にQRコード有り)
〆 切 : 5月27日(月) 先着100名
趣 旨 :
ここ数年「高村祭」の中止が続いていること等から、一般市民はもちろん、毎年高村祭に参加していた小中高生達の高村光太郎に関する認知度・親密度の低下が懸念される。
ここ数年「高村祭」の中止が続いていること等から、一般市民はもちろん、毎年高村祭に参加していた小中高生達の高村光太郎に関する認知度・親密度の低下が懸念される。
宮沢賢治を世に出した人であると言う事を含め、光太郎の偉業について、各種企画展のみならず、次世代を担う子供達との対談やふれあいの場を設けることから光太郎顕彰の維持向上を継続的に図っていく必要がある。
内 容 :
10:30~12:00 アーティストのまなざしにふれて
① 「光太郎にかかわる総合学習」の状況について 花巻市立太田小学校長 藤田聖子氏
② 花巻南高校の取り組み紹介
「文芸誌作品・詩朗読及び感想」「智恵子のエプロン紹介」
内 容 :
10:30~12:00 アーティストのまなざしにふれて
① 「光太郎にかかわる総合学習」の状況について 花巻市立太田小学校長 藤田聖子氏
② 花巻南高校の取り組み紹介
「文芸誌作品・詩朗読及び感想」「智恵子のエプロン紹介」
文芸部・家庭クラブ生徒数人及び担当教師
③ 「光太郎の愛した山口山の自然」 岩手県環境アドバイザー 望月達也氏
アドバイザー 高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明
12:15~12:50 おいしいランチ 光太郎を食べよう
TOM CREPERIE&DERIさんのお弁当
ドリンク&デザート やつかの森LLC
12:50~13:15 参加者交流
前半は、花巻市内の学校さんの光太郎に関する取り組みの紹介および、岩手県環境アドバイザー・望月達也氏による光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の山口山の環境説明。
学校さんは、まず光太郎の山小屋近くにあった旧山口小学校の後身の太田小学校さん。「後身」というか、元々山口小学校は光太郎が移住した時点では太田小学校の山口分教場で、光太郎が暮らしていた間に山口小学校に昇格、しかし光太郎没後にまた太田小学校に統合されて廃校となった経緯があります。そちらの「総合的な学習」の時間での学年ごとの取り組みを、校長先生がご紹介下さるそうです。
もう1校、花巻南高校さん。こちらは宮沢賢治の妹にして「あめゆじゆとてちてけんじや」のトシの母校にして、日本女子大学校を卒業後、トシも教壇に立った花巻高等女学校の後身です。文芸部さんが光太郎と宮沢家や花巻とのつながりについて調べた結果などを、家庭クラブさんは昨年このブログでご紹介した「智恵子のエプロン」(大正時代の雑誌『婦人之友』で紹介されました)を実際に作って下さったそうで、その紹介。
順番的には学校さん2校が先で、トリが望月氏です。望月氏のパワーポイントのスライドショーを添付ファイルで送っていただき拝見しましたが、改めて旧太田村山口山、貴重な自然が残っている里山だな、という感じでした。
後半はランチタイム。メインディッシュはガレットとデリのお店TOM CREPERIE&DERIさんのお弁当。こちらは令和3年(2021)に、紫波町の店舗で「GOOD LIFE TABLE 高村光太郎をたべよう」というイベントを開催して下さったお店で、やはり光太郎がらみのメニューとなるのではないでしょうか。
ドリンクとデザートは、花巻で「食」を軸に光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんのご提供。
その後、閉会行事的に少し時間を取って、13:15終了だそうです。
当会も共催として名を連ねさせていただいており、当方も参上、コメンテーター的なことをやらせてていただく予定です。
皆様方もぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
花巻の水害にも驚きましたが賢治忌への参集者の多いのにもおどろきました。あの夜の鹿踊は見事でした。
「水害」はカスリーン台風によるものです。
「賢治忌」は9月21日。光太郎は旧太田村在住中、この日に合わせてほぼ毎年花巻町に出て、賢治忌で講演を行ったりしていました。「参集者の多いのにもおどろきました」とありますが、戦後2年が経過し、こうしたイベントへの他地域からの参加も以前より容易になったのでしょうし、清六と光太郎の編集になる『組合版宮沢賢治文庫』の刊行も始まって、賢治ファンの増殖につながったのでしょう。
この年の講演については、筑摩書房版『高村光太郎全集』に漏れていましたが、10年ほど前、『新岩手日報』に筆記が掲載されていたのを発見しました。一字一句、光太郎が語ったとおりではないとは思われますが、概要は捉えられます。若干読みづらいのですが、原文のまま。
アドバイザー 高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明
12:15~12:50 おいしいランチ 光太郎を食べよう
TOM CREPERIE&DERIさんのお弁当
ドリンク&デザート やつかの森LLC
12:50~13:15 参加者交流
前半は、花巻市内の学校さんの光太郎に関する取り組みの紹介および、岩手県環境アドバイザー・望月達也氏による光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の山口山の環境説明。
学校さんは、まず光太郎の山小屋近くにあった旧山口小学校の後身の太田小学校さん。「後身」というか、元々山口小学校は光太郎が移住した時点では太田小学校の山口分教場で、光太郎が暮らしていた間に山口小学校に昇格、しかし光太郎没後にまた太田小学校に統合されて廃校となった経緯があります。そちらの「総合的な学習」の時間での学年ごとの取り組みを、校長先生がご紹介下さるそうです。
もう1校、花巻南高校さん。こちらは宮沢賢治の妹にして「あめゆじゆとてちてけんじや」のトシの母校にして、日本女子大学校を卒業後、トシも教壇に立った花巻高等女学校の後身です。文芸部さんが光太郎と宮沢家や花巻とのつながりについて調べた結果などを、家庭クラブさんは昨年このブログでご紹介した「智恵子のエプロン」(大正時代の雑誌『婦人之友』で紹介されました)を実際に作って下さったそうで、その紹介。
順番的には学校さん2校が先で、トリが望月氏です。望月氏のパワーポイントのスライドショーを添付ファイルで送っていただき拝見しましたが、改めて旧太田村山口山、貴重な自然が残っている里山だな、という感じでした。
後半はランチタイム。メインディッシュはガレットとデリのお店TOM CREPERIE&DERIさんのお弁当。こちらは令和3年(2021)に、紫波町の店舗で「GOOD LIFE TABLE 高村光太郎をたべよう」というイベントを開催して下さったお店で、やはり光太郎がらみのメニューとなるのではないでしょうか。
ドリンクとデザートは、花巻で「食」を軸に光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんのご提供。
その後、閉会行事的に少し時間を取って、13:15終了だそうです。
当会も共催として名を連ねさせていただいており、当方も参上、コメンテーター的なことをやらせてていただく予定です。
皆様方もぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
花巻の水害にも驚きましたが賢治忌への参集者の多いのにもおどろきました。あの夜の鹿踊は見事でした。
昭和22年(1947)9月25日 宮沢清六宛書簡より 光太郎65歳
「水害」はカスリーン台風によるものです。
「賢治忌」は9月21日。光太郎は旧太田村在住中、この日に合わせてほぼ毎年花巻町に出て、賢治忌で講演を行ったりしていました。「参集者の多いのにもおどろきました」とありますが、戦後2年が経過し、こうしたイベントへの他地域からの参加も以前より容易になったのでしょうし、清六と光太郎の編集になる『組合版宮沢賢治文庫』の刊行も始まって、賢治ファンの増殖につながったのでしょう。
この年の講演については、筑摩書房版『高村光太郎全集』に漏れていましたが、10年ほど前、『新岩手日報』に筆記が掲載されていたのを発見しました。一字一句、光太郎が語ったとおりではないとは思われますが、概要は捉えられます。若干読みづらいのですが、原文のまま。
◇…ここに来て二年になる、岩手はいい、風土に接し実際に経験をつむと東京にいたとき考えていたのと賢治さんの相ぼうが大部違つて来た、理解が深まつたようだ、芸術そのものは独立しているものだがその人の時代を越え、土地を越え、国をも越えて世界中に広まる性質をもつものである、必ずしもその人を知らなくともいい、ぼくらはボードレールもフランスのパリも知らなくても詩はわかるように賢治さんを知らぬ東京でも詩はわかる、判るほど詩は強い
◇…本質的には―大綱のところは世界のどこへ行つてもわかるけれども智のうがこまかい言葉の中にある、肉体的にも奥のあるような人間的親しみが言葉の陰にかくされている、真正面から詩をよむのではわからない、文字ばかと机の上でコネていては本当の詩は生れない、妙な言いかたかも知れないが文学的詩人というものは多いが人間的詩人というものは実に少ない、賢治さんは世界に通ずる本当の詩人だと思う
◇…賢治さんはそのほか生活の中でせられたことが全部詩となり行動そのままが詩で、ラヂウムが放射されるように体から放射された一つ一つが詩ということがこちらへ来てこまかく聞いたり、みたりしてはつきりわかつた、賢治さんの根底は宗教つまり法華経の実に熱烈な実行家で、その念願にもえて行動がともないそれが生れつきの詩人的素質と結びついているが、宗教詩人のようなくさみもなく、大きく自然から受けるものを素直に自分の体を通じてうたつている、自然にうたつたことが自ら法華経の教えにピツタリ合つて自然にうたつているようにみえる、これはえらく精進されたのですが――ともかくご自分で行者として精進されたばかりでなく一般の人を無上道に誘おうとして自分の体を投げ出して働いた、こうした中から人工で出来ないものを実現してくれた、これは非常に貴い
◇…賢治さんがいたということは将来の日本の詩人へ暗示を与える、また岩手は社会主義的詩人石川啄木をうみ対照的なのも面白いし時代を前後して出たのも輝かしいことだ、こゝに来てダンダン感ずることは岩手の国のよさ岩手県人の性格、人間の厚みなどこの性格は今後の日本の大きな背骨になるのだと考える