明治19年(1886)5月20日、福島県安達郡油井村(現・二本松市)に生を受けた智恵子を偲ぶイベントです。

第17回高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~

期 日 : 2024年5月19日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館とその周辺 福島県二本松市油井漆原町35
時 間 : 9:00~14:00
料 金 : 2,000円(お弁当付き)
主 催 : 智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~


高村智恵子ゆかりの地を説明付きで巡ります。霞ヶ城公園の「智恵子抄」詩碑前で参加者の詩朗読。
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昨年も参加させていただきました。要項に記載がありませんが、主催の「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」の方の車輌に分散しての移動です。行程はほぼ同一ですが、それぞれの場所で智恵子や光太郎の息吹が感じられますので、なかなかよい試みかと。

特に智恵子生家は現在、通常非公開の二階部分(智恵子居室や光太郎も泊まった部屋)の公開が為されています。智恵子の実家・長沼家は裕福な造り酒屋だったですので、しつらえのあちこちに工夫が垣間見えして、古建築好きの方にもおすすめです。
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ちなみに智恵子の父・今朝吉は、家業の造り酒屋以外にも、同じ福島の白河にあった白河醸造の監査役も務めていました。まぁ、名誉職のようなものかも知れませんが。
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その父・今朝吉が大正6年(1917)に歿し、弟・啓助があとを継ぐと家業はどんどん傾き、昭和に入ると恐慌のあおりで破産してしまいましたが。

昨年と異なるのは最後の「参加者による詩の朗読」の場所。昨年は生家/記念館裏手の鞍石山にある「樹下の二人」詩碑前でしたが、今年は二本松城(霞ヶ城)内の智恵子抄詩碑前で行うそうです。

昨日書いた安達太良山間の山開きが同日で、どちらに参加しようか迷ったのですが、こちらを選びました。

話せば長いことながら、光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエ保存運動の関係で、とりまとめ役の曽我貢誠氏がNHKさんに連絡をとったところ、仙台放送局のディレクター女史が4月2日(火)の連翹忌にご参加下さり、アトリエ保存の件、さらに光太郎智恵子顕彰にあたる東北の人々というコンセプトで6月1日(土)、東北6県向けの「ウイークエンド東北」という番組内で10分程の放映が行われることになりました。そのロケも入ると云うことで、こちらに参上しようと決めた次第です。

他に光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に料理を通して光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの取材も為されたとのこと。

この件はまたのちほど詳しくご紹介いたします。

さて、第17回高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

待望のクマゼミ到着、感謝に堪へません。よく捉へられたものです。小生は先年つひに失敗、今まで熟覧出来なかつた蟬です。実に美しいので今夏中に彫刻したいと思つてゐます。


昭和22年(1947)8月6日 東正巳宛書簡より 光太郎65歳

東は三重県在住。光太郎の求めに応じ、東日本では珍しいクマゼミ標本を送りました。

さらに東からは彫刻用の椿の木材、ヤギという珊瑚の一種なども送られ、光太郎はこれらで蟬を彫ったようです。ただし、作品として発表することはせず、技倆を鈍らせないための鍛錬などのためという側面が強かったようです。

実際に蟬の彫刻の目撃談が複数あり、宮沢賢治実弟・清六の妻に木彫(?)の帯留めも贈りました。ただし現存が確認できていません。

この頃の短歌で「太田村山口山の山かげに稗をくらひて蝉彫るわれは」という歌もあり、揮毫した色紙等も複数残されています。
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