新刊です。
2024年4月23日 野村進著 講談社 定価2,200円+税
「人間、死ぬとなぁ、魂がぐぅーっと浮き上がっていくんだよ。それで、どんどんどんどん上昇していく。ところが、天井でぶつかって、一度反転するんだ。すると、ベッドの上には自分の骸(むくろ)がある」
「やがて、かなたに小さな光が見えてくる。その光に向かって、どんどんどんどん走っていく。どんどんどんどん走っていく。でも、息切れしないんだ。なぜか? ……死んでるから」
大俳優・丹波哲郎は「霊界の宣伝マン」を自称し、映画撮影の合間には、西田敏行ら共演者をつかまえて「あの世」について語りつづけた。中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。
「死ぬってのはなぁ、隣町に引っ越していくようなことなんだ。死ぬことをいつも考えていないと、人間、ちゃんとした仕事はできないぞ。おまえも、いつでも死ぬ覚悟、死ぬ準備をしといたほうが、自分も楽だろう」――
丹波は1922年(大正11年)、都内の資産家の家に生まれ、中央大学に進んだ。同世代の多くが戦地に送られ、生死の極限に立たされているとき、奇跡的に前線への出征を逃れ、内地で終戦を迎える。
その理由は、激しい吃音だった。
終戦後、俳優を志した丹波は、舞台俳優を経て映画デビューし、さらに鬼才・深作欣二らと組んでテレビドラマに進出して大成功を収めた。
高度成長期の東京をジェームス・ボンドが縦横に駆け抜ける1967年の映画『007は二度死ぬ』で日本の秘密組織トップ「タイガー・タナカ」を演じ、「日本を代表する国際俳優」と目されるようになる。
テレビドラマ「キイハンター」、「Gメン’75」で土曜午後9時の「顔」となり、抜群の存在感で「太陽にほえろ!」の石原裕次郎のライバルと目された。
『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画にも主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた。
その丹波が、なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。
数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。
丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか。
若かりし頃に書かれた熱烈な手紙の数々。
そして、終生背負った「原罪」――。
「死は待ち遠しい」と言いつづけ、「霊界」「あの世」の素晴らしさを説きつづけた大俳優の到達した境地を解き明かすことで、生きること、そして人生を閉じることについて洞察する、最上の評伝文学。
目次
俳優の故・丹波哲郎さんの評伝です。元々は同じ講談社さんの『週刊現代』に連載されていた「巨弾ノンフィクション 丹波哲郎は二度死ぬ 大スターはなぜ晩年に「大霊界」へ傾斜したのか」ですが、それを全面改稿。最終的に450ページ超の大著となっています。
第五章がまるまる昭和42年(1967)封切り、丹波さんが光太郎を演じた松竹映画「智恵子抄」がらみ。他の章でも「智恵子抄」に言及されている箇所が散見されます。それだけ「智恵子抄」が丹波さんにとって大きな意味をもつ作品だったというわけで。
しかし、周囲はそうは考えなかったようです。本文より。
ところが、『智恵子抄』以降、俳優・丹波哲郎のあらんかぎりの能力を引き出そうとする監督やプロデューサーは、ついにひとりも現れなかった。
丹波は長年、『智恵子抄』のような人間の本質を追求していく作品への出演を待ち望んでいたのに、来る役も来る役も、同工異曲の代わりばえしないものばかり。次第に俳優としての将来に自分の力のみではどうにもならない限界を感じ、新しい道を切り開いていく決意を固めたのだろう。
「新しい道」が、のちの「霊界」への傾倒です。この部分、丹波さんと「Gメン’75」で共演された原田大二郎さんのおっしゃった内容ですが、野村氏も激しく同意なさっているようです。
それから『週刊現代』さんでの連載時にも触れられていましたが、奥様の貞子夫人の存在が『智恵子抄』を鬼気迫るものたらしめたという考察が、さらに突っ込んでなされています。貞子夫人、結婚後ほどなくして難病のポリオに罹患、自力での歩行もほぼ不可能な状態だったそうです。後年、丹波さんがその奥様に贈られた自費出版の冊子は『智恵子抄』ならぬ『貞子抄』だったそうで。
ところが丹波さん、奥様一筋だったかというとそうではなく、他に「愛人」が二人。そのうち一人との間には「隠し子」まで。しかし、世間一般に言う「愛人」「隠し子」というニュアンスではなく、貞子夫人にも世間にも包み隠していませんでした。現代では「芸能人の不倫」というと、それだけで芸能界から抹殺されかねない風潮ですが、いい悪いは別として、それが通っていた時代だったんだなぁと思いました。
「いい悪いは別として、それが通っていた時代」ということになりますと、丹波さんの破天荒ぶりすべてに当てはまるような気がします。撮影時の遅刻、セリフを覚えてこない、他の俳優さんへのあからさまな対抗意識などなど。しかし、それらも時と場合で、確信犯的に、言い換えれば「丹波哲郎はかくあるべき」という虚像を演じるために、わざと遅刻したりしていらしたそうです。セリフを覚えないというのも作品によってで、意に沿わない役を続けさせられる場合などに、制作陣への皮肉として「どうせいつも同じようなものなんだから」的な感じだったそうで、カメラに写らないように共演者の胸にカンペを貼ったりして凌がれていたとのこと。そういうのも時と場合による確信犯で、五社英雄監督などは「丹波がセリフを覚えてこないなど、ありえない」と断言なさったそうです。
現代ではこういう豪快な俳優さん、存在し得ないのでしょう。
野村氏の筆は、そんな丹波さんに対し、全体的にはリスペクトに貫かれつつも過剰に心酔するでもなく、さりとてゴシップ的に悪行の数々を暴くでもなく、冷静に進められています。そして丹波さんを取り巻いた芸能界や社会全体へのある種の提言に満ちています。
また、故人を含め、数多くの人々の丹波さん評や、それぞれとのエピソードも読み応えがありました。三船敏郎さん、仲代達也さん、西田敏行さん、森田健作さん、宮内洋さん、里見浩太朗さん、原田大二郎さん、若林豪さん、谷隼人さん、岡本富士太さん、浜美枝さん、鶴田浩二さん、若山富三郎さん、明石家さんまさん、ビートたけしさん、ショーン・コネリーさん、伊丹十三さん、丹波義隆さん……。
ちなみにカバーを外した状態がこちら。この装幀もすばらしいと思いました。
ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
一週間に亘る大豪雨で諸川氾濫、小生の畑も水びたしとなり相応に影響があります。今日は雨やみましたが晴れません。
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村。自然の脅威には逆らえませんでした。
目次
プロローグ
魂は生きつづける 二人の名優 子どもの心」を持った人
第一章 坊や猿
ツツジ御殿の一族 盗み食いの代償
第二章 第三の男
第二章 第三の男
天の配慮 貞と貞子 満たされぬ魂 オレも役者なんだよ
第三章 救いの神
第三章 救いの神
テレビの時代 ルーズベルトの病 動かぬ足 徹マンの理由
第四章 007
捕虜と軍刀 タイガー・タナカ 国辱映画 三船敏郎の忠告 国際スター誕生
第四章 007
捕虜と軍刀 タイガー・タナカ 国辱映画 三船敏郎の忠告 国際スター誕生
第五章 智恵子抄
病身の妻 志麻子にかけた催眠術 「智恵子抄」から「貞子抄」へ
第六章 ボスとファミリー
第六章 ボスとファミリー
伝説のテレビドラマ 陽子にはナイショだぞ 声を鍛えろ “勝ち逃げ”の深作
最高の褒め言葉 「TBSの天皇」と呼ばれた男 天性のリーダー
最高の褒め言葉 「TBSの天皇」と呼ばれた男 天性のリーダー
第七章 人間革命
映画界の三大ホラ吹き 来るものは拒まず 日本で一番いい役者は
人間、死んだらどうなるか オレは演技に開眼した 降霊会の超常現象
「人間革命」から学んだこと
人間、死んだらどうなるか オレは演技に開眼した 降霊会の超常現象
「人間革命」から学んだこと
第八章 留めのスター
運命の出会い 森田健作の確信 「自分のセリフに感動しちゃって」
芝居は顔じゃないんだよ 『八甲田山』のふんどし男
芝居は顔じゃないんだよ 『八甲田山』のふんどし男
第九章 宿命の少女
尻に刻まれた「怨」の字 密教の秘儀 一億二千万円をつぎ込み
今生のカルマ たらちねの母
今生のカルマ たらちねの母
第十章 死は「永遠の生」である
母の死でわかったこと 守護霊様のお導き 芸能界のパパとママ スターの中のスター
第十一章 大霊界
明るく、素直に、あたたかく 素晴らしき永遠の世界 天国の入り口を見つけた
左の胸にしこりが 二十九歳の新人プロデューサー 谷底から霊界へ
さんまのまんまに登場
さんまのまんまに登場
第十二章 不倫と純愛
E子さんと隠し子 十六歳の出会い クルマひとつで家を出るから 情熱の手紙
狂気が全てを解決する もうひとりの息子
第十三章 死んだら驚いた
童女天使 ポーに捧げる舞台 大槻教授と宜保愛子 オレが来たから、もう大丈夫
見えないものが見える オーラの泉
第十四章 天国の駅
正月のハワイ旅行 五十年目の別れ 散骨の海 死は待ち遠しい 冥土の土産に
最後の芝居 あの世を見てきた 穏やかな旅立ち
最後の芝居 あの世を見てきた 穏やかな旅立ち
エピローグ
草刈正雄から堺雅人へ 食わず嫌いをしない人 「いずれわかるよ」 ジキルとハイド
あとがき
主要参考文献・資料
俳優の故・丹波哲郎さんの評伝です。元々は同じ講談社さんの『週刊現代』に連載されていた「巨弾ノンフィクション 丹波哲郎は二度死ぬ 大スターはなぜ晩年に「大霊界」へ傾斜したのか」ですが、それを全面改稿。最終的に450ページ超の大著となっています。
第五章がまるまる昭和42年(1967)封切り、丹波さんが光太郎を演じた松竹映画「智恵子抄」がらみ。他の章でも「智恵子抄」に言及されている箇所が散見されます。それだけ「智恵子抄」が丹波さんにとって大きな意味をもつ作品だったというわけで。
しかし、周囲はそうは考えなかったようです。本文より。
ところが、『智恵子抄』以降、俳優・丹波哲郎のあらんかぎりの能力を引き出そうとする監督やプロデューサーは、ついにひとりも現れなかった。
丹波は長年、『智恵子抄』のような人間の本質を追求していく作品への出演を待ち望んでいたのに、来る役も来る役も、同工異曲の代わりばえしないものばかり。次第に俳優としての将来に自分の力のみではどうにもならない限界を感じ、新しい道を切り開いていく決意を固めたのだろう。
「新しい道」が、のちの「霊界」への傾倒です。この部分、丹波さんと「Gメン’75」で共演された原田大二郎さんのおっしゃった内容ですが、野村氏も激しく同意なさっているようです。
それから『週刊現代』さんでの連載時にも触れられていましたが、奥様の貞子夫人の存在が『智恵子抄』を鬼気迫るものたらしめたという考察が、さらに突っ込んでなされています。貞子夫人、結婚後ほどなくして難病のポリオに罹患、自力での歩行もほぼ不可能な状態だったそうです。後年、丹波さんがその奥様に贈られた自費出版の冊子は『智恵子抄』ならぬ『貞子抄』だったそうで。
ところが丹波さん、奥様一筋だったかというとそうではなく、他に「愛人」が二人。そのうち一人との間には「隠し子」まで。しかし、世間一般に言う「愛人」「隠し子」というニュアンスではなく、貞子夫人にも世間にも包み隠していませんでした。現代では「芸能人の不倫」というと、それだけで芸能界から抹殺されかねない風潮ですが、いい悪いは別として、それが通っていた時代だったんだなぁと思いました。
「いい悪いは別として、それが通っていた時代」ということになりますと、丹波さんの破天荒ぶりすべてに当てはまるような気がします。撮影時の遅刻、セリフを覚えてこない、他の俳優さんへのあからさまな対抗意識などなど。しかし、それらも時と場合で、確信犯的に、言い換えれば「丹波哲郎はかくあるべき」という虚像を演じるために、わざと遅刻したりしていらしたそうです。セリフを覚えないというのも作品によってで、意に沿わない役を続けさせられる場合などに、制作陣への皮肉として「どうせいつも同じようなものなんだから」的な感じだったそうで、カメラに写らないように共演者の胸にカンペを貼ったりして凌がれていたとのこと。そういうのも時と場合による確信犯で、五社英雄監督などは「丹波がセリフを覚えてこないなど、ありえない」と断言なさったそうです。
現代ではこういう豪快な俳優さん、存在し得ないのでしょう。
野村氏の筆は、そんな丹波さんに対し、全体的にはリスペクトに貫かれつつも過剰に心酔するでもなく、さりとてゴシップ的に悪行の数々を暴くでもなく、冷静に進められています。そして丹波さんを取り巻いた芸能界や社会全体へのある種の提言に満ちています。
また、故人を含め、数多くの人々の丹波さん評や、それぞれとのエピソードも読み応えがありました。三船敏郎さん、仲代達也さん、西田敏行さん、森田健作さん、宮内洋さん、里見浩太朗さん、原田大二郎さん、若林豪さん、谷隼人さん、岡本富士太さん、浜美枝さん、鶴田浩二さん、若山富三郎さん、明石家さんまさん、ビートたけしさん、ショーン・コネリーさん、伊丹十三さん、丹波義隆さん……。
ちなみにカバーを外した状態がこちら。この装幀もすばらしいと思いました。
ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
一週間に亘る大豪雨で諸川氾濫、小生の畑も水びたしとなり相応に影響があります。今日は雨やみましたが晴れません。
昭和22年(1947)8月3日 宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村。自然の脅威には逆らえませんでした。