先週末に開幕しましたが、昨日になって市のHPに情報が出ました。
期 日 : 2024年4月27日(土)~7月7日(日)
会 場 : 花巻高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 会期中無休
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円
高村山荘は別途料金
展示の見どころ
彫刻家で詩人として知られる高村光太郎は、昭和二十年の空襲で東京のアトリエを失い、同年五月に賢治の実家を頼って花巻に疎開しました。東京からの疎開後に滞在した先々で目にした岩手の初夏の光景に感動した光太郎は、花や山菜などをスケッチして残しました。
また、山口集落(現 花巻市太田)での自然に囲まれた暮らしの中で接した植物もスケッチに残されており、自然を題材にした詩集の構想がうまれました。
結局詩集は未刊に終わったものの、光太郎が山の暮らしの中で詠んだ詩や散文、スケッチは文芸誌や雑誌、詩集『智恵子抄 その後』に掲載され、世に知られることとなりました。
今回のテーマ展『山のスケッチ』では、光太郎が花巻で過ごした七年間で描いたスケッチを中心に紹介し、自然を題材にした散文の原稿などの資料を展示します。
展示資料
散文『七月一日』直筆原稿(初公開資料)4枚
素描集『山のスケッチ』より鉛筆画および精密複製10点
他、山のスケッチに登場する草花写真パネル
展示の見どころ
散文『七月一日』直筆原稿は今回が初公開の資料です。本作は昭和21年に執筆され、昭和25年に刊行された詩集「智恵子抄 その後」に掲載されました。文中では当地で収穫された山菜が光太郎自身によって調理され、食卓にあがる様子が山菜の描写と共に詳細に記されています。東京在住時代に刊行された最初の「智恵子抄」は有名ですが、花巻在住当時に刊行された「智恵子抄 その後」の存在は広く知られてはいません。現在刊行されている「智恵子抄」の原型となった詩集で詠まれた花巻の自然を、今回の展示を通じて知っていただければ幸いです。
風薫る5月となり、同館や隣接する高村山荘(光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋)周辺にも山野草が色とりどりの花を付けたり、新緑が萌え立ったりしていると思われます。ぜひ足をお運びの上、展示と共に自然美もご堪能下さい。
【折々のことば・光太郎】
海草でヤギといふ彫刻材ある由、小生始めて聞く事でまるで此迄知らず、むろん彫つた経験がありません。根付材になりのかと想像しますが、使つてみたいと存じますので、あまり面倒でなかつたら小さいのでいいですから御送り下さいませんか。苟も彫刻に関する事は何でもやつてみたいと存じます。
「ヤギ」は「海草」というより珊瑚の一種です。東は三重県在住。あちらの方の海で産出していたのでしょうか。
花巻郊外旧太田村の山小屋在住中、作品としての彫刻は一点も発表しなかった光太郎ですが、技倆を鈍らせないための鍛錬などのために彫刻刀をふるっていました。現存が確認できていませんが、宮沢賢治実弟・清六の妻に木彫(?)の帯留めも贈りましたし、「蟬」を彫っていたという目撃談も複数存在します。
風薫る5月となり、同館や隣接する高村山荘(光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋)周辺にも山野草が色とりどりの花を付けたり、新緑が萌え立ったりしていると思われます。ぜひ足をお運びの上、展示と共に自然美もご堪能下さい。
【折々のことば・光太郎】
海草でヤギといふ彫刻材ある由、小生始めて聞く事でまるで此迄知らず、むろん彫つた経験がありません。根付材になりのかと想像しますが、使つてみたいと存じますので、あまり面倒でなかつたら小さいのでいいですから御送り下さいませんか。苟も彫刻に関する事は何でもやつてみたいと存じます。
昭和22年(1947)7月13日 東正巳宛書簡より 光太郎65歳
「ヤギ」は「海草」というより珊瑚の一種です。東は三重県在住。あちらの方の海で産出していたのでしょうか。
花巻郊外旧太田村の山小屋在住中、作品としての彫刻は一点も発表しなかった光太郎ですが、技倆を鈍らせないための鍛錬などのために彫刻刀をふるっていました。現存が確認できていませんが、宮沢賢治実弟・清六の妻に木彫(?)の帯留めも贈りましたし、「蟬」を彫っていたという目撃談も複数存在します。