先週から始まっています。
状況をわかりやすくするために、地方紙『福島民報』さん記事から。
状況をわかりやすくするために、地方紙『福島民報』さん記事から。
桜の名所、巡って当てて 4月1日から「春のにほんまつドライブスタンプラリー」 福島県二本松市
福島県二本松市の桜の名所を満喫する「春のにほんまつドライブスタンプラリー」は1日から30日まで催される。二本松城、安達ケ原、中島の地蔵桜、合戦場のしだれ桜、岳温泉桜坂など18のスポットを巡り、取得したスタンプの数に応じて豪華賞品が当たる。
にほんまつDMOの主催、日本自動車連盟(JAF)福島支部の協力。スマートフォンの位置情報を使って各スポットでスタンプを集める。賞品は岳温泉宿泊券、安達太良山満喫コース(ロープウエー往復券とバーベキューセット4人分)、牛肉、特産品詰め合わせなど。
スポットは次の通り。
二本松城、蓮華寺、鏡石寺、本久寺、円東寺、安達ケ原ふるさと村、万燈桜(道の駅安達下り線)、智恵子の杜公園、ムトーフラワーパーク、合戦場のしだれ桜、道の駅さくらの郷、道の駅ふくしま東和、中島の地蔵桜、祭田の桜、岳温泉桜坂、日向の人待地蔵桜、島山・稚児舞台の桜、愛蔵寺の護摩ザクラ
というわけで、智恵子生家/智恵子記念館を含む智恵子の杜公園もスタンプ押印地点の一つに。
数年前から桜の街で自薦している二本松市。東北はこれからが桜の本番ですし、また近くなりましたら詳細をご紹介しますが、今月末には毎年恒例の智恵子生家二階部分の特別公開、智恵子紙絵の実物展示などが始まります。
ぜひ足をお運びの上、豪華賞品ゲットにチャレンジなさって下さい。
ちなみに豪華賞品は以下の通り。
また、高村光太郎記念館さんを含む花巻市での同様のスタンプラリーも今月末に始まるようです。そちらも後ほどご紹介いたします。
【折々のことば・光太郎】
桜温泉入浴から始まり、連日の御もてなしに心のびのびと数日を送り、せんかん楼のあつき褥に身を横たへて実に命ののびる思をしました。又山下新太郎の画に誘はれて思ひがけぬリンゴの詩を得たのも喜でした。
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村から花巻町市街地に出、太田村移住前に厄介になっていた総合花巻病院長・佐藤隆房邸に数日滞在、山に帰ってから送った礼状の一節です。
「桜温泉」は、佐藤邸の所在地が桜町だったためのもじり、「せんかん楼」は「潺湲楼」で、光太郎が太田村移住直前の1ヶ月起居していた佐藤邸離れです。
「リンゴの詩」は、佐藤邸で見せられた留学仲間・山下新太郎の絵を見てインスパイアを受け、即興的に作った詩。即興詩ではありますが、光太郎自身気に入ったようで、最晩年の昭和30年(1955)、交流の深かった美術史家・奥平英雄に贈った書画帖『有機無機帖』にもこの詩を書きました。
リンゴばたけに 雨ふりて 銀のみどりの けむるとき リンゴたわゝに 枝おもく 沈ゝとして あかきかな
数年前から桜の街で自薦している二本松市。東北はこれからが桜の本番ですし、また近くなりましたら詳細をご紹介しますが、今月末には毎年恒例の智恵子生家二階部分の特別公開、智恵子紙絵の実物展示などが始まります。
ぜひ足をお運びの上、豪華賞品ゲットにチャレンジなさって下さい。
ちなみに豪華賞品は以下の通り。
A賞 スタンプ18個で応募 岳温泉宿泊券3万円分 抽選で2名様
B賞 スタンプ15個で応募 安達太良山満喫コース 抽選で3名様
ロープウェイ往復券・レストハウスで使えるバーベキューセット券がそれぞれ4人分
C賞 スタンプ15個で応募 エム牧場生体熟成和牛焼肉 抽選で3名様
D賞 スタンプ10個で応募 二本松詰め合わせセット(1万円相当) 抽選で5名様
E賞 スタンプ5個で応募 二本松詰め合わせセット(3,000円相当) 抽選で10名様
F賞 スタンプ3個で応募 肌とうじ1枚 抽選で30名様
また、高村光太郎記念館さんを含む花巻市での同様のスタンプラリーも今月末に始まるようです。そちらも後ほどご紹介いたします。
【折々のことば・光太郎】
桜温泉入浴から始まり、連日の御もてなしに心のびのびと数日を送り、せんかん楼のあつき褥に身を横たへて実に命ののびる思をしました。又山下新太郎の画に誘はれて思ひがけぬリンゴの詩を得たのも喜でした。
昭和22年(1947)5月23日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎65歳
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村から花巻町市街地に出、太田村移住前に厄介になっていた総合花巻病院長・佐藤隆房邸に数日滞在、山に帰ってから送った礼状の一節です。
「桜温泉」は、佐藤邸の所在地が桜町だったためのもじり、「せんかん楼」は「潺湲楼」で、光太郎が太田村移住直前の1ヶ月起居していた佐藤邸離れです。
「リンゴの詩」は、佐藤邸で見せられた留学仲間・山下新太郎の絵を見てインスパイアを受け、即興的に作った詩。即興詩ではありますが、光太郎自身気に入ったようで、最晩年の昭和30年(1955)、交流の深かった美術史家・奥平英雄に贈った書画帖『有機無機帖』にもこの詩を書きました。
リンゴばたけに 雨ふりて 銀のみどりの けむるとき リンゴたわゝに 枝おもく 沈ゝとして あかきかな