新年度となり、早くも1週間が過ぎました。

当会としましては、年間最大の催し、光太郎を偲ぶ連翹忌の集いが4月2日ということで、それが終われば新たな年度という感覚です。完全な年中行事で、「また一年頑張ろう」という感じで。

また、一般社会人の皆さんは4月1日が年度始めですが、児童生徒学生の皆さんは今日あたりから行われる入学式/始業式を以て年度始めと捉えられるのではないでしょうか。

そんなこんなですが、先月31日の『宮崎日日新聞』さん、一面コラム。

くろしお 道程を見守る目

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」。詩人高村光太郎の、教科書にも載る有名な詩「道程(どうてい)」の冒頭だ。わずか9行。何もない荒野に、だれかが歩んでこそ道は切り開かれていくことを教えてくれる▼110年前の1914年に発表されたこの詩、当初は102行に及ぶ大作だった。そちらの方は大自然の中、手探りで進むべき道を模索するしかない若者の決意がより情熱的にうたわれている。「人類の道程は遠い そして其(そ)の大道はない」と覚悟を問うようだ▼今日で一般の会社や学校の年度は終わる。明日から新しいステージに踏み出す人は同様の覚悟を抱えていることだろう。先人の残した道をなぞりながら試行錯誤を繰り返し、自分だけの道ができる。道に車輪が通ると轍(わだち)が出来て、それがまた後進の指針になる▼先日、宮崎市で「宮崎芸術文化人団 轍」という文化団体の設立会があった。県内の芸術家や文学者のほか学者や実業家らが名を連ね、地域文化の振興や県文化賞への推薦を目的に掲げる。轍という漢字の中には「育」の字がある。後進を育てる意図が団体の名称の由来に込められているのだろう▼厳しさに満ちた「道程」だが「父」に「僕から目を離さないで守ることをせよ」と命令口調で説く。「父」は神的な存在、自然、先達者を含め、広く共同体を指すのではないか。荒野に放り出された新人も団体も、地域の温かい理解や支援があって道を歩める。

ちょうど110年前の大正3年(1914)3月、雑誌『美の廃墟』に発表された初出の「道程」に触れて下さいました。

詩「道程」は記述の通り、最初は102行の長詩。それが10月に刊行された第一詩集『道程』収録の際にばっさりカットされ、現在流布している9行の最終詩形となりました。このあたり、繰り返しこのブログサイトでご紹介しています。

そのたびに触れているのですが、初出発表形の102行バージョンを「全文」としてSNS上などに紹介される方が多くて閉口しています。「全文」とされると、まるで9行の最終詩形がまがいもので「全文」からの抜粋に過ぎず、正しくは102行の形だ、というニュアンスになってしまいます。

そうではなく102行の初出発表形は光太郎自身がボツにし、9行の最終詩形に書き直したわけで、決して「抜粋」として流布しているわけではありません。

102行の初出発表形は、それはそれで優れた詩ですので、花巻高村光太郎記念館さんでは声優の堀内賢雄氏による朗読を流していたりします。つい最近も芥川賞作家・九段理江氏の小説『しをかくうま』に引用されたりもしました。ただ、あくまで光太郎自身がボツにした「初出発表形」、乃至は「原型」ですので、「全文」という表現は使わないでいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

さて、今年は3月に入ってから気温が低い日が続き、桜の開花がここ数年で最も遅かったようですね。しかし、関東などでは4月の入学式シーズンに満開というのが本来の姿だったように思います。ここしばらくが温暖化の影響で異常だったような……。

千葉県の当方自宅兼事務所周辺もまさに今がいい感じです。

昨日、車で5分程の桜の名所での撮影。
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自宅兼事務所から徒歩30秒の公園も、隠れ名所です。今朝の撮影。
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ついでですので、光太郎詩、ずばり「さくら」。
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   さくら

 吉野の山の山ざくら
 山いちめんにらんまんと
 呼吸(いき)するやうに咲きにほふ
 この気高さよ 尊さよ

 春の日あびて山ざくら
 ただ一心に 一斉に
 堂堂と咲く 咲いて散る
 このいさぎよさ きれいさよ

 顕花部被子類双子葉門(けんくわぶひしるいさうしえふもん)
 離弁花区薔薇科桜属(りべんくわくいばらくわさくらぞく)
 世界にまたとない種属
 日本の国花 山ざくら

 ぼくらの胸に花と咲く
 大和心のはげしさを
 姿にみせる山ざくら
 この凛凛しさよ 親しさよ


昭和16年(1941)4月、雑誌『家の光』に寄稿されたもので、光太郎詩には珍しい七五調口語定型詩です。日中戦争は泥沼化、その打開を目論んでの太平洋戦争開戦まであと半年あまり、そんな時期ですから、この詩もキナ臭さがぷんぷん漂っていますが……。

明日も桜がらみで。

【折々のことば・光太郎】

小森さんにたのまれて夜雨詩集の表紙の字を書きました。


昭和22年(1947)4月24日 宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳

「夜雨」は横瀬夜雨。光太郎より5歳年長の明治11年(1878)生まれの詩人です。生涯くる病に悩み、歩行も困難だったそうです。歿したのは昭和9年(1934)でした。

まだ病状がそれほでなかった明治34年(1901)に撮られた集合写真に光太郎と共に写っています。
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投稿雑誌『文庫』(内外出版協会)が百号を記念し、上野の韻松亭で投書家の集まり「春期松風会」を催した際のもの。ただし、この時点で互いに面識があったか(あるいはこの時に出来たか)は不明です。数えで光太郎は19歳、横瀬は24歳でした。

「詩集」は昭和22年(1947)5月に南北書園から刊行された『野に山ありき』。書籍中に光太郎の題字揮毫である旨の記述がありませんが、上記の書簡など、さらに筆跡から光太郎の手になるものであることは明らかです。
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