事前に情報をキャッチできず、放送終了となってしまったのですが、最近のラジオ番組とテレビ番組で光太郎が取り上げられていました。

まずラジオ番組。3月28日(木)のNHK FMさんの「ラジオ深夜便」で、俳優の山本學さんが光太郎詩「十二月八日」「一億の号泣」「山林」の朗読。
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調べてみましたところ、1月9日(火)の放送では、ご自身の認知症についてのお話もなさっていました。その際にも朗読が流れたのでしょうか?

当方、令和元年(2019)に山本さんの光太郎詩朗読を生で拝聴いたしました。同じ年には西日本で公演を重ねられましたが、その後、ご体調を崩されて……というお話を聞いておりました。そのあたりのお話があったようです。3/28の放送は4月3日(水)まではネットで聞き逃し配信があったとのことでしたが、連翹忌等でバタバタしており、それも聞き逃してしまいました。

また同様の放送等があることを期待いたします。

続いてテレビ。4月2日(火)、第68回連翹忌の日の朝、テレビ朝日さん系の「グッド!モーニング」。こちらでは番組内で視聴者向けにクイズ形式で4つの「検定」というコーナーがあって、そのうちの「林修のことば検定スマート」で、光太郎が問題に取り上げられました。おそらくその日が命日だった関係でしょう。
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問題は「作品に悪戯をされた高村光太郎、何をした?」。

明治39年(1906)、欧米留学に出た光太郎は、最初の滞在地・ニューヨークのアート・ステューデント・リーグの夜学に通っていました。そこで人種差別の洗礼を受けます。作りかけの光太郎彫刻が、翌日登校してみると腕が逆に付けられていたり、と。そこで、犯人が判ったところで光太郎の取った対応は? という問題です。ちなみに当方、平成30年(2018)に光太郎の母校・荒川区立第一日暮里小学校さんにゲストティーチャーで招かれた際、似たような問題を6年生の児童の皆さんに出題しました(笑)。そのころの児童の皆さん、覚えておいででしょうか(笑)。

視聴者はリモコンの青・赤・緑のボタンで解答する仕組みで、正解するとポイントがもらえ、その後抽選でプレゼントに応募できるとのこと。そこで三択。
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画像はリアルタイムで試聴していた方がのちほど送って下さいました。このコーナー、緑の選択肢は常にダジャレ的なものだそうで、今回の「せびるな与えるから」のココロは……
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座布団一枚! ですね(笑)。

となると青「相手作品に悪戯」か赤「戦って決着」のどちらかが正解です。

話は変わりますが、このブログサイト、だいたい1日の閲覧数は100件ちょっとです。多い日でも数百件、少ない日は2桁。ところがこの日、朝の段階で3,300件を超えました。大バズりです。「何事だ?」と思ったら、どうもこの番組の全国の視聴者の皆さんが、正解発表までの間にネットで急いで調べ、その結果、当会サイトにたどり着かれたようです。

このサイト、翌日になると前日のアクセス状況レポートが見られる仕組みで、それによると12年前のロンドン五輪の頃に書いた「光太郎と柔道(その2)。」という記事にアクセスが集中していました。なるほど、まさに「作品に悪戯をされた高村光太郎、何をした?」について書いたものでした。

で、正解は……
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相手もレスリングだかボクシングだかをやっていたという学生でしたが、身長180センチ超、留学前にボディービル的なこともやっていた光太郎、怪しげな柔道技でギブアップを取りました。

先程も書きましたが、正解してポイントをゲット→ポイントをためてプレゼントに応募→抽選で賞品がもらえる、という流れです。調べてみたところ、現在の賞品はA賞が「ナノバブルシャワー3Dヘッド」、B賞で「ヨーグルトメーカー 自動メニュー7種 」、C賞だと「 尾西の携帯おにぎり4種(24袋)」だそうで。
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当会サイトで調べて当たった方、分け前よこせ! ですね(笑)。

またまた「ちなみに」ですが、この番組の林修氏のコーナーでは、以前にも光太郎。平成27年(2015)には当時あった「林修の金曜言葉塾」というコーナーで連翹忌会場の日比谷松本楼さんが取り上げられ、光太郎にも触れられました。その際はテレ朝さんから制作協力依頼があり、かなり詳しく光太郎に触れるということでお手伝いしたのですが、実際のオンエアでは当初予定が大幅に短くカットされていました。

何にせよ、光太郎について取り上げて下さるのはありがたいことですし、今回、当会サイトにたどり着いた皆さんがさらに光太郎について興味を持って下されば、幸いです。

【折々のことば・光太郎】

紙がうまくゆかないので字が書けずにゐましたが、漸く色紙大の和紙を入手しましたので、「陽光」の文字を一枚に一字づつにして三種類書きました。別封第四種便で発送いたしました。


昭和22年(1947)4月20日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎65歳

書も巧みだった光太郎への揮毫依頼、戦前からけっこうあったのですが、この時期からさらに増えました。この時書かれた「陽光」の書、未見です。ぜひ見てみたいものですが……。