一昨日の第68回連翹忌席上にて、参会の方々が「お土産です」的に書籍等を下さいました。

まず一般社団法人日本詩人クラブの宮尾壽里子氏から同会刊行の『評論・エッセイ 詩界論叢2023』通巻第1集創刊号。500ページ近い厚冊です。
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公式サイトには目次の詳細が出ておらず、こちらの検索網に引っかかりませんでしたが、宮尾氏が「愛と芸術に生きようとした女性~智恵子の場合~『智恵子抄』「智恵子の半生」より」と題する論考を寄せていらっしゃいます。

目次画像は以下の通り。
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ご入用の方、上記リンクをご参照下さい。Amazonさん等でも取り扱いがあります。

続いて当方も加入している高村光太郎研究会ご所属の佐藤浩美氏から文芸同人誌『四人』第107号。
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佐藤氏、光太郎の親友だった作家・水野葉舟の小品「かたくり」」をご紹介なさっています。
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奥付画像を載せておきます。
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高村光太郎研究会からは『高村光太郎研究(45)』。
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昨秋行われた研究発表会、第66回「高村光太郎研究会」での発表を元に、当会顧問であらせられた北川太一先生のご子息・北川光彦氏が「西洋・東洋・時代を超えて 高村光太郎・智恵子が求めたもの」を、武蔵野美術大学さんの教授・前田恭二氏で「新出「手」書簡の後景――米原雲海と口村佶郎」。それから当方も「智恵子、新たな横顔」を寄稿しました。

さらに当方は、この1年間で新たに見つけた『高村光太郎全集』未収の光太郎文筆作品の集成「光太郎遺珠⑱」、昨年1年間の光太郎智恵子、光雲に関わる「高村光太郎没後年譜」も。そして主宰の野末明氏による「高村光太郎文献目録」、「研究会記録・寄贈資料紹介・あとがき」。

こちらも奥付画像を載せておきます。
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もう1冊、光太郎終焉の地・中野の中西利雄アトリエ保存運動にからんで、文治堂書店主・勝畑耕一氏が『中野・中西家と光太郎』という書籍を上梓なさいました。当方、「監修」ということになっております。
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こちらについてはまた改めて詳細をご紹介いたします。

以上、いただきもの等。

001逆に当会から参会の皆様にお配りしましたのが、『光太郎資料61』。北川太一先生が発行されていたものの名跡をお譲りいただき、当会にて年2回発行しております。印刷のみ印刷屋さんに頼み、丁合、綴じ込みは手作業の手作りの冊子です。

目次
 「光太郎遺珠」から 第二十五回 書(二)
 光太郎回想・訪問記  高村光太郎と出会った頃 田口弘
 光雲談話筆記集成 牙彫の趣味/「さび」と渋みと
 昔の絵葉書で巡る光太郎紀行  犬吠埼(千葉県)その一
 音楽・レコードに見る光太郎
  箏曲「千鳥と遊ぶ智恵子」/「地上のモナリザ」
 高村光太郎初出索引
 編集後記

ご入用の方はコメント欄等から当方まで。

書籍類等はこんなところです。

他に、やはり第68回連翹忌ご参会の方々のうち、わざわざ「お土産です」と食品類をお持ち下さったり、「4月2日はお世話になります」と直前に宅配便でお送り下さったりという方が多数いらっしゃいました。多謝。

和洋のスイーツやら中華まんやら漬物やら珈琲/紅茶やら(笑)。2枚目画像は宅配便で宮城県の「女川光太郎の会」さんから届いた笹蒲鉾です。
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妻曰く「実にありがたいんだけど、あんた、いったい何者だと思われてるの?」(笑)。

何者だと思われているんでしょうかね?(笑)。

【折々のことば・光太郎】

「智恵子抄」は今でもかなり読みたがつてゐる人があるやうで、時々人から質問される事がありますから、今日出版するのも無意味ではないやうに思はれます。


昭和22年(1947)4月11日 鎌田敬止宛書簡より

a詩集『智恵子抄』は太平洋戦争開戦直前の昭和16年(1941)8月に龍星閣から刊行され、戦時にもかかわらず昭和19年(1944)の13刷まで増刷されました。その後、戦争の影響で龍星閣は休業。戦後になると店頭からは『智恵子抄』が消えてしまいました。

そこで休業中の龍星閣に代わって、白玉書房の鎌田が『智恵子抄』復刊を企図し、龍星閣の澤田伊四郎から許諾を得たのでお願いします、的な申し入れを光太郎に。その返答の一部です。

そして白玉書房版『智恵子抄』が、この年11月に刊行されました。ところが刊行されてから、澤田の方では「許諾した覚えはない」。この時期、この手のトラブルがいろいろありました。