地方紙2紙の記事から。
まずは長野県松本平地区をカバーする『市民タイムス』さん。少し前の記事で、今月初めのものです。
まずは長野県松本平地区をカバーする『市民タイムス』さん。少し前の記事で、今月初めのものです。
笑顔と涙の巣立ちの日 高校卒業式
松本市内の多くの高校で1日、卒業式が開かれた。本年度は新型コロナウイルスの5類移行に伴って制限がほとんどなくなり、会場にはマスクを外した笑顔と歌声が広がった。卒業生は友達や恩師との思い出を胸に、晴れ晴れとした表情で学びやを巣立った。
松本美須々ケ丘高校は、近くのキッセイ文化ホールで式典を行った。4年ぶりに吹奏楽部の生演奏で卒業生276人が入場し、保護者や在校生の温かい拍手で迎えられた。久保村智校長は式辞で高村光太郎の詩「当然事」を紹介し、日常への感謝を忘れないよう呼びかけ「皆さんのかけがえのない人生が心身ともに健康であり、自分、他者、社会のために大いに活躍することを願っている」とはなむけの言葉を送った。
卒業生が企画・運営する「第2部」では友達や恩師、後輩、家族に感謝の思いを伝えた。全校生徒の合唱では会場中に澄んだ歌声が響き、多くの卒業生の目に涙が光っていた。前生徒会長の3年・松山葉南さん(18)は「多くの人に支えられた3年間だった。高校での経験を生かして自分らしく頑張りたい」と決意を新たにしていた。
光太郎詩「当然事」、少し長いのですが全文は以下の通り。
初出は昭和3年(1928)、仲間うちで出していた雑誌『東方』の創刊号でした。翌年には新潮社から刊行の『現代詩人全集』に収められ、その際に若干の改訂が施されています。
光太郎詩としてはあまり有名なものではないのですが、ちりばめられたひと言ひと言にこの頃の光太郎の人生観等がよく表されていますね。そして万人にも共通するような部分も多いと思います。
式辞で取り上げて下さった校長先生、グッジョブです(笑)。
もう1件、宮城県の『石巻日日新聞』さんから。過日も取り上げさせていただいた、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」がらみです。
大震災の教訓など、「次世代に伝えるべきこと」の大切さが感じられます。
当方としては、光太郎智恵子、光雲らの事績、その精神を「次世代に伝えるべきこと」として伝えていこうと、改めて思う次第です。
【折々のことば・光太郎】
堀辰雄氏の「風立ちぬ」雪の中のこの小屋で落手、どんなによろこんだかしれません。
堀辰雄の代表作『風立ちぬ』。光太郎も読んだのですね。どちらかというと若い人向けのというイメージがありますが、数え65歳でこれを楽しめる感性、見習いたいものです。
光太郎詩「当然事」、少し長いのですが全文は以下の通り。
当然事
あたりまへな事だから
あたりまへな事をするのだ。
空を見るとせいせいするから
崖を出て空を見るのだ。
太陽を見るとうれしくなるから
盥のやうなまっかな日輪を林中に見るのだ。
山や谷の木魂(こだま)と口をきくのだ。
海へ出ると永遠をまのあたり見るから
船の上では巨大な星座に驚くのだ。
河のながれは悠悠としてゐるから
岸辺に立つていつまでも見てゐるのだ。
雷は途方もない脅迫だから
雷が鳴ると小さくなるのだ。
嵐がはれるといい匂だから
雫を浴びて青葉の下を逍遥するのだ。
鳥が鳴くのはおのれ以上のおのれの声のやうだから
桜の枝の頬白の高鳴きにきき惚れるのだ。
死んだ母が恋しいから
母のまぼろしを真昼の街にもよろこぶのだ。
女は花よりもうるはしく温暖だから
どんな女にも心を開いて傾倒するのだ。
人間のからだはさんぜんとして魂を奪ふから
裸という裸をむさぼつて惑溺するのだ。
人をあやめるのがいやだから
人殺しに手をかさないのだ。
わたくし事はけちくさいから
一生を棒にふつて道に向かふのだ。
みんなと合図をしたいから
手をあげるのだ。
中身だけつまんで出せる詩を書くのだ。
詩が生きた言葉を求めるから
文(あや)ある借衣(かりぎ)を敬遠するのだ。
愛はぢみな熱情だから
ただ空気のやうに身に満てよと思ふのだ。
正しさ、美しさに引かれるから
磁石の針に化身するのだ。
あたりまへな事だから
平気でやる事をやらうとするのだ。
初出は昭和3年(1928)、仲間うちで出していた雑誌『東方』の創刊号でした。翌年には新潮社から刊行の『現代詩人全集』に収められ、その際に若干の改訂が施されています。
光太郎詩としてはあまり有名なものではないのですが、ちりばめられたひと言ひと言にこの頃の光太郎の人生観等がよく表されていますね。そして万人にも共通するような部分も多いと思います。
式辞で取り上げて下さった校長先生、グッジョブです(笑)。
もう1件、宮城県の『石巻日日新聞』さんから。過日も取り上げさせていただいた、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」がらみです。
続けることで原動力に 「いのちの石碑」建立メンバー 母校の女川中で講演
自然災害や津波から1千年先の命を守るため、女川町内に21基の「いのちの石碑」を建立した東日本大震災当時の中学生。そのメンバーが11日、女川中学校で震災を考える講演を開き、1―2年生70人が受講した。震災の記憶を風化させることなく、後世につないでいく大切さを学んだ。
石碑建立は、発災直後、女川一中(今の女川中)の1年生(現在24―25歳)が取り組んだ伝承活動。町内21カ所の浜の津波到達地点より高い場所に石碑を建て「有事はこの石碑より高台に逃げてもらう」ことで未来の命を救う狙いがある。
令和3年までに全て建立し、碑には津波から命を守るために生徒が考えた3つの対策①互いに絆を深める②高台へ避難できるまちづくり③記録に残す―と記されている。
講演したのはメンバーの阿部由季さん、伊藤唯さん、鈴木美亜さんの3人。震災を知らない後輩に向け、阿部さんは発災直後の心境を「今の自分にできることは何と考える毎日だった」と回顧。「友人と一緒に卒業式で歌うはずの歌を避難所で歌い、皆さんが喜んでくれた。小さなことでも続けることで誰かの原動力になる」と訴えた。
「町を襲う津波を思い出し、今も眠れない日がある」と打ち明けた伊藤さんは「伝承活動も最初は嫌々参加したが、今は充実感や幸せを感じる。一緒に活動してきた仲間のおかげ」と感謝した。
「防潮堤を作らない女川の復興まちづくりをどう思うか」という中学生の問いに、鈴木さんは「高い防潮堤を作ってもそれだけでは不十分。津波から命を守るなら高台避難が大事」と強調。「女川は海と共存してきた。身近に海を感じられる今の女川が私は好き」と話した。
聴講した生徒会長で2年生の高橋莉生さんは「講演を通じて普段から友人や家族、地域と絆を深めることが大事と学んだ。ありがとう、おはよう、おやすみなどのあいさつからしっかりと交わしたい」と語っていた。
発災当時の出来事などを語った(左から)阿部さん、伊藤さん、鈴木さん
大震災の教訓など、「次世代に伝えるべきこと」の大切さが感じられます。
当方としては、光太郎智恵子、光雲らの事績、その精神を「次世代に伝えるべきこと」として伝えていこうと、改めて思う次第です。
【折々のことば・光太郎】
堀辰雄氏の「風立ちぬ」雪の中のこの小屋で落手、どんなによろこんだかしれません。
昭和22年(1947)1月11日 角川書店宛書簡より 光太郎65歳
堀辰雄の代表作『風立ちぬ』。光太郎も読んだのですね。どちらかというと若い人向けのというイメージがありますが、数え65歳でこれを楽しめる感性、見習いたいものです。