先月封切りの映画「風よ あらしよ 劇場版」に関し、新聞に載った評をご紹介します。
『北海道新聞』さん。
『北海道新聞』さん。
映画「風よ あらしよ」柳川監督 声上げる大切さ今も■女性の自由と自立 命懸けた伊藤野枝
大正期の女性解放運動家・伊藤野枝を描いた村山由佳の評伝小説が原作の「風よ あらしよ」が札幌・シアターキノで上映されている。2022年に放送されたNHKドラマの劇場版で、わずか28年の生涯を激しく生き抜いた野枝を演じるのは吉高由里子。吉高が主演した連続テレビ小説「花子とアン」でディレクターを務めた柳川強が演出を手がけた。
家を支えるためだけの結婚を蹴り上京した野枝は、平塚らいてう(松下奈緒)の言葉に感銘を受け、青鞜社に入る。女学校時代の教員・辻潤(稲垣吾郎)と結婚するも、やがて関係は破綻。無政府主義者大杉栄(永山瑛太)と出会い、生涯のパートナーとして関係を深めていく。
大杉の妻や愛人との四角関係など〝自由奔放〟な側面が強調されがちだが、原作では野枝が、困ったときに助け合う「共助」の思想を掲げていたことが描かれる。柳川は「彼女の思想は、新自由主義の台頭によって社会の分断が進み、人とのつながりが持ちづらくなっている現代社会にリンクする。映画でもこの点を大切にしたいと思った」と語る。
大学時代に、宮本研による戯曲「ブルーストッキングの女たち」を見て以来、野枝にひかれ続けていたという。女性が声を上げることが今以上に難しかった時代に臆することなく貧困や男女不平等など社会矛盾に異を唱え、個としての自由や自立を訴えた野枝。彼女を演じるのは「吉高さんしか思い浮かばなかった」と明かす。かれんでキュートなイメージが強いが、「野枝を激情型の人物像にするのは簡単なんだけど、それは彼女の一面でしかない。人との距離感をすっと縮めることができる人という野枝のイメージが吉高さんに重なりました」。
1923年(大正12年)の関東大震災直後の混乱に乗じて多くの朝鮮人や、社会主義者、アナキストらが虐殺された。大杉と野枝も、大杉のおいで当時6歳だった橘宗一とともに憲兵の甘粕大尉(音尾琢真)らに殺され、遺体は井戸に投げ込まれた。
映画は井戸の底から空を見上げるシーンで始まり、終わる。柳川は「100年前の出来事だけれど、当時の空気感は今とそんなに違わない。個人の自由が権力や集団に阻害されるとき、個人として声を上げるのは確かに難しい。でも、そうありたいと思い続けることはできる。そのきっかけになればうれしい」と話す。
2023年、2時間7分。脚本は矢島弘一。シネマアイリス(函館)、シネマ・トーラス(苫小牧)、大黒座(浦河)でも上映予定。
『東京新聞』さん。
映画では村山由佳氏の原作にある光太郎智恵子登場シーンは残念ながら割愛されていますが、智恵子が表紙を描いた『青鞜』創刊号がモチーフとして随所に使われ、光太郎智恵子と交流のあった人々が多数登場、なかなかの見応えです。
公開終了してしまった上映館も多いのですが、これからというところもあります。まだという方、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
小生は胎教を信ずる者です。もし赤さんが出来たのなら日常の精神と行ひとをつとめて清浄に、敬虔な日を送るべきです。
春子は智恵子の姪にして、その最期を看取った元看護師です。前年に光太郎の仲介で、詩人の宮崎稔と結婚しました。翌年には男の子が無事誕生。宮崎夫妻は何と「光太郎」と命名してしまいました。
『東京新聞』さん。
映画「風よ あらしよ 劇場版」 伊藤野枝の生涯描くNHKドラマを再編集 時代が野枝に追いついてきた
100年前の日本で女性解放運動の第一線に立ち、近年、再評価が進む伊藤野枝(のえ)(1895~1923年)。波乱の生涯を描くNHKドラマを再編集した映画「風よ あらしよ 劇場版」が公開中だ。
手掛けたのは柳川強。沖縄返還やアイヌ民族といった骨太の題材をドラマにしてきた演出家は、野枝の魅力をこう語る。「今よりよっぽど男尊女卑の考え方が強かった時代に、世間の目をものともせず声を上げる。その奔放さに引かれた」
野枝(吉高由里子)は福岡県の貧しい家に生まれた。「元始、女性は太陽であった」と男社会に疑問を突きつけた青鞜社の平塚らいてうに憧れ、親の決めた嫁ぎ先を飛び出す。無政府主義者・大杉栄(永山瑛太)のパートナーとなった末に、28歳の若さで憲兵に殺害されてしまう。
映画はその歴史を追いつつ子育てや料理、掃除といった日常も丁寧にすくい上げる。「主義主張よりも、生活の中にこそ、にじむものがある」と柳川。「主義者」につきまとう先鋭的なイメージではなく、根底にある素朴な「助け合いの精神」に光を当てる。
柳川と吉高は、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で組んだ。原作は村山由佳の同名小説。柳川は言う。「#MeToo運動など、『声を上げる』という動きは今とリンクしている。時代が野枝に追いついてきたのかもしれない」
映画では村山由佳氏の原作にある光太郎智恵子登場シーンは残念ながら割愛されていますが、智恵子が表紙を描いた『青鞜』創刊号がモチーフとして随所に使われ、光太郎智恵子と交流のあった人々が多数登場、なかなかの見応えです。
公開終了してしまった上映館も多いのですが、これからというところもあります。まだという方、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
小生は胎教を信ずる者です。もし赤さんが出来たのなら日常の精神と行ひとをつとめて清浄に、敬虔な日を送るべきです。
昭和21年(1946)10月24日 宮崎春子宛書簡より 光太郎64歳
春子は智恵子の姪にして、その最期を看取った元看護師です。前年に光太郎の仲介で、詩人の宮崎稔と結婚しました。翌年には男の子が無事誕生。宮崎夫妻は何と「光太郎」と命名してしまいました。