3月となり、そろそろ受験シーズンも終わりに近づきつつありますね。

そんな中、先月25・26日に行われた国公立大学の2次試験のうち、京都大学さんの前期日程文系国語の問題に光太郎の文章が出題されました。

昭和15年(1940)11月に書かれ、翌年元日発行の雑誌『知性』第4巻第1号に発表された「永遠の感覚」の全文です。
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小問が5問設定され、全て記述式。字数制限はありませんが、解答欄のスペースから適度な長さで書け、ということですね。

大手予備校河合塾さんによる解答例。

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同じく代々木ゼミナールさん。
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駿台予備校さん。
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来年度以降の受験生向けでしょうか、「問題分析」も。

駿台予備校さん。
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河合塾さん。
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ちなみにこの問題、随筆扱いで、文学的文章としての出題でした。筑摩書房さん『高村光太郎全集』では第5巻、すなわち美術評論の巻、それから光太郎生前にはやはり評論集的な位置づけの『美について』(昭和16年=1941、道統社)に収められているのですが。しかし同じくこの文章を収めた『高村光太郎選集 第Ⅴ巻』(昭和26年=1951)は副題が「随想 上」で、まぁ、どちらとも取れるかなというところです。

それにしても、泉下の光太郎、このような形で自分が書いた文章が俎上に乗せられていることに苦笑しているかもしれません(笑)。

【折々のことば・光太郎】

何か揮毫する事はいつでもしますが、紙が乏しいです。和紙が不自由ですから紙さへお送りあれば書きます。


昭和21年(1946)10月18日 寺神戸誠一宛書簡より 光太郎64歳

自身では書家を名乗ったことはありませんが、特に戦後になって花巻郊外旧太田村に移ってから、頼まれて書を揮毫する機会が大幅に増えました。そして書けば書くほど、その腕前が上がっていったようです。

しかし戦後の物資不足が解消していなかったこの時期、やはりきちんとした紙は不足していまして、時に粗悪なボール紙や障子紙に揮毫することもありました。