3件ほど。

<BSフジサスペンス劇場>『浅見光彦シリーズ22 「首の女」殺人事件』

BSフジ 2019年9月3日(火)  12時00分~13時58分 

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。  光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!

<出演者> 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子 ほか

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初回放映は平成18年(2006)。年に何度かBS放送で再放送が繰り返されています。細かな部分は端折っていますが、大筋では故・内田康夫氏の原作を忠実に踏襲しています。


続いて、直接光太郎には関わりませんが……。

フランス人がときめいた日本の美術館 #45「東京国立博物館『黒田記念館&本館』」

BS11イレブン 2019年9月6日(金)  20時00分~20時58分

フランス人の美術史家、ソフィー・リチャード氏のメッセージをもとに、フレッシュで透明感のある旅人がトキメキの旅へ。日本の美術館の魅力を再発見する、美術館探索ドキュメンタリー。

黒田清輝に鎧と兜▼日本近代洋画の父・黒田清輝が遺した黒田記念館で、明治時代に日本美術界に新風を巻き起こしたその絵画の数々を堪能。本館では人気の「甲冑」を見る。

東京国立博物館の『黒田記念館』は、“日本近代洋画の父"と言われた黒田清輝の、美術教育に対する遺志を実現するために、昭和3年に建てられた。旧歌舞伎座などを手掛けた岡田信一郎が設計し、2002年には東京都有形文化財にも指定されている。
フランスに留学して西洋美術の基礎を学んだ黒田は、帰国後、後進の育成に尽力。当時はタブー視されていたヌード画や、軽やかな色彩の絵『逍遥』を発表するなど、西洋絵画の基本を日本に広げ、美術界に新風を起こした。
そんな黒田が、多忙な中で時間を見つけては別荘で描いたという「雲」をモチーフとした作品や、手軽な木の板に思いつくままを写生した作品を紹介。技法の縛りから解放された自然な絵からは、黒田の意外な一面を見ることができる。
そして、東京国立博物館本館では、美術品としての「甲冑」の展示を見る。美しい鎧で戦うことは、武士にとって非常に重要であったということを示し、今に伝える甲冑の数々…。実用品であり美術品でもある、そんな甲冑の変遷を見ていく。

紹介作品:黒田清輝「湖畔」「智・感・情」「椅子による女」「逍遥」「雲」、甲冑より「金小札紅糸中白威腹巻」「赤糸威鎧」「仁王胴具足」「裾濃威筋兜」ほか

<出演者> 野村麻純

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東京国立博物館さんの別館的な付帯施設、黒田記念館が取り上げられます。光太郎によるブロンズの「黒田清輝胸像」(昭和7年=1932)が展示されており、そちらも紹介してほしいものです。

光太郎の黒田評。

概括してヒウザン会の傾向をのべると、フオウビズム、印象派、後期印象派の三つに分れ、われわれの崇拝の的はゴオガンとゴツホであつた。先輩の中で、われわれの兎も角承認したのは黒田清輝氏ただ一人である。(「ヒウザン会とパンの会」より 昭和11年=1936)

明治二十年代に黒田清輝が帰朝するまでの日本での油絵研究はすべて変則なもので、油絵具はまるで便利な泥絵具であるかのやうに使はれた。西欧の通俗画の馬鹿正直な通俗的受け入れであつた。脂色で下画きをして其上へ色をつけてゆくやうな古風な方法も伝へられたが、其は別に復興期のグリザイユ方式の深い研究からの理解に由るのではなく、たださう画くものださうだからさう画くといふ程度の事であつた。黒田清輝は太陽のやうに日本の油絵の世界を明るくした。画風もラフアエル コランやレオン レルミトやジユール バスチアン-ルパアジユ風の通俗的外光派に属して居り、画面の陰影を黒でなしに紫に画くといふので紫派といはれた通り日本に初めて明るい外光の写生派を樹立したが、油絵研究上の方法や教学の方面にも従来の五里霧中の状態を一掃して、秩序ある勉強の方式をフランスから正しく輸入した。むしろ日本に於ける油絵は此時から本当に始まつたと言つてもいいのである。(「素材と造型」より 昭和15年=1940)


ついでに、「黒田清輝胸像」についても。

今美術学校と黒田記念館とにある黒田清輝先生の胸像は二三年かかつて其後つくつた。これは黒田先生を学生時代によく見てゐたので作りよかつた。先生の頭蓋の形の特異さが殊に彫刻的に面白かつた。所謂法然(ほふねん)あたまである。この頃から私もだんだん彫刻性についての自分自身の会得に或る信念を持つやうになつた。


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最後に、宮城県限定の放映ですが……。

ミヤギテレビ報道特別番組 千年後のあなたへ 私たち二十歳になりました

ミヤギテレビ 2019年9月7日(土)  10時30分~11時00分

東日本大震災の2年後、女川町の高台に「いのちの石碑」を建てた中学生たちは今年、成人式を迎えた。故郷を離れ、震災の風化を感じながらも、いま伝えたいことがある。

女川中学校の生徒たちは、多くの命が奪われた悲しみを繰り返してはいけないと町内21の浜の最大津波到達地点に石碑を建てる活動を始めた。1基目が建ったのは2013年11月。「夢だけは 壊せなかった 大震災」 生徒たちが授業で考えた俳句を刻んだ。あの日から8年半、番組ではそれぞれが子どもの頃に描いた「夢」へ着実に歩む姿と、1000年後の命を守るためのメッセージを伝える。

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このブログでたびたびご紹介しています、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」関連です。そのプロジェクトの中心となって活動してきたかつての中学生達が成人式を迎えたということで、これまでの活動を振り返る内容のようです。

これはぜひ系列の日テレさん系で全国放映もしていただきたいものです。


視聴可能な方、それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩の訳などは素より馬鹿げた事なので、専らあらましを述べたに過ぎない。

雑纂「訳者曰」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

雑誌『星雲』に発表した翻訳「詩篇」(エミイル ブルデル)に附した注から。光太郎は、散文ならともかく、西洋の詩は韻文の要素が強く、原文で読まない限りその魅力は理解できないというスタンスでした。