2月12日(月)、13日(火)と1泊2日で光太郎第二の故郷・岩手花巻方面に行っておりました。レポートいたします。

1日目。あちら方面に行く際には、ほぼほぼ毎回これに乗る東北新幹線やまびこ53号で北へ。特に急ぐ場合でもなければ全席指定のはやぶさ号は使いません。

途中、智恵子の故郷・福島二本松を通りますが、この日は智恵子の愛した安達太良山の上に拡がる「ほんとの空」が実にみごとでした。
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正午前、新花巻駅着。花巻在住の方々のSNS等で情報を得てはいましたが、ほんとうに雪が全くなく、驚きでした。この日のためにワークマンさんで防水のブーツを購入して履いていったのですが(笑)。
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右上画像はこの日の夕刻、宿で見たその日の『岩手日報』さん。除雪に当たられている業者さん、この冬は商売あがったりだそうで。まあ、安全面等を考えれば積雪が少ないのも悪くはないのかもしれませんが、農業面等で春以降の水不足が心配という声も多く聞かれました。

新花巻駅の観光案内的なスペースでは、花巻東高さん出身の菊池雄星投手、大谷翔平選手にまつわるコーナーがリニューアルされていました。
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駅前でレンタカーを借り受け、市内西部、旧太田村の高村光太郎記念館さんへ。市街地からだらだらと長い坂を上り続けてたどりつく奥羽山脈山麓ですので、さすがにこちらでは雪が見られました。
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令和5年度共同企画展「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」の一環として開催されている「光太郎からの手紙」を拝見。今回の展示では、当方、読めないという字を読んであげた程度であまり関わりませんでしたが。
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劇作家・女優の渡辺えりさんのお父さま、故・渡辺正治氏に宛てた葉書。宮沢賢治にも触れられています。
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平成28年(2016)に寄贈されたものですが、これまで展示する機会が無く、この手の一般公開は初めてです。当方、20年ぶりくらいに現物を拝見しました。

その他は、光太郎の花巻疎開やその後の生活などに支援を惜しまなかった、総合花巻病院長・佐藤隆房とその家族に宛てたもの。
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佐藤編著の『高村光太郎山居七年』(初版 昭和37年=1962 筑摩書房/新版 平成27年=2015 花巻高村光太郎記念会)から関連する一節を抜き出したり、当時の写真をパネルにしたりで並べて展示。

フライヤーに画像が使われていた光太郎愛用の矢立は、常設展示コーナーに。
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ロビーに戻ると、こんなものが。
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昨年、同館で開催された企画展「山口山の木工展」で作品が展示された、奥州市胆沢に「木工房さとう」を構え、木のおもちゃやカラクリ作品などを製作なさっているさとうつかさ氏の新作と思われます。素晴らしい。

記念館さんを後に、隣接する高村山荘(光太郎が暮らした山小屋)へ。
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多い年ですと1㍍以上の積雪で、この時期には山荘に近づくこともできないのですが、今年はこんな感じで。

山小屋内部の光太郎遺影に「また来ました」と合掌。
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さらに山小屋裏手の智恵子展望台に。この季節に展望台に登れるというのは通常ではありえません。ある意味、そら恐ろしく感じました。
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展望台からの眺望。これだと例年の3月末から4月初めの感じです。
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展望台下の「雪白く積めり」詩碑。
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ここも雪はかすかに「積めり」状態でした。

その後、車で10分程の、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
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産直等のコーナー。光太郎肖像画も掲げられています。
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無料休憩所、図書コーナーを兼ねたインフォメーションスペース。
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その一角で、主に地元の方々によると思われる写真展が開催されていました。
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光太郎がらみの写真も出品、ありがたく存じました。

光太郎がよく足を運んだ旧山口小学校跡地。
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光太郎が歩いた道。
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この後、市街地に戻りましたが、長くなりましたので、続きは明日。

【折々のことば・光太郎】

旧盆を過ぎると自然界は急に変つてくるやうです。夏の土用までが生成の盛季であとは成熟期に入るやうです。足並揃へてゐた草木が今は銘々がそれぞれが自分流の歩き方をはじめた感じがします。昨夜の明月は山中特に冴え渡つて凄いほどでした。万籟死してただ蟲の声ばかりでした。


昭和21年(1946)9月11日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎64歳

前年5月まで東京暮らしだった光太郎、花巻郊外旧太田村に移ってことさら自然の季節による推移には敏感となりました。今年のような異常な暖冬の様子を見たら、何と言ったでしょうか。