評論家の東浩紀氏主宰の雑誌『ゲンロン』。昨秋刊行された第15集『ゲンロン15』に、光太郎がらみの論考が掲載されているという情報を得まして、慌てて購入しました。
『訂正可能性の哲学』にもつながる消費とリゾートをめぐる東浩紀の論考、アジアを代表する若手哲学者ユク・ホイ氏へのインタビュー、川上未映子氏によるエッセイ、原一男氏・大島新氏・石戸諭氏による鼎談など、豪華内容を収録。
光太郎に触れて下さった論考は、愛知県豊田市美術館学芸員の能勢陽子氏による「失われた抒情と穴が開いたレンコン状の月―梅津庸一の近年の作品」。
メインは一昨年に都内で開催された現代アート作家・梅津庸一氏の展覧会「緑色の太陽とレンコン状の月」などの紹介です。そこから梅津氏も注目した光太郎の評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)における「個」と「国家」などとの関係、さらに戦時中に翼賛詩文を書きまくった光太郎の変節、戦後の花巻郊外旧太田村での大いなる悔恨等にも拡がっていきます。そこに同時代の黒田清輝や夏目漱石、岸田劉生、「民芸」運動などにも言及されています。
目次の通り、他にも色々と充実の内容です。ぜひお買い求めを。
【折々のことば・光太郎】
詩もたくさん書いてゐます。
「たくさん書いてゐます」と言いつつ、この時期の発表が確認できている詩は、『週刊少国民』に「雲」、『新岩手日報』で「絶壁のもと」の2篇だけです。おそらく、翌年7月の『展望』に載った20篇から成る連作詩「暗愚小伝」を指しているのではないかと思います。幼少年期から始まり、戦時中の愚行を含め、自己の半生を振り返り、自らの戦争責任を省察した連作です。
2023年10月20日 東浩紀編集 株式会社ゲンロン 定価2,300円+税
『訂正可能性の哲学』にもつながる消費とリゾートをめぐる東浩紀の論考、アジアを代表する若手哲学者ユク・ホイ氏へのインタビュー、川上未映子氏によるエッセイ、原一男氏・大島新氏・石戸諭氏による鼎談など、豪華内容を収録。
【目次】
[巻頭論文]東浩紀|哲学とはなにか、あるいは客的-裏方的二重体について
[ゲンロンの目]川上未映子|春に思っていたこと
[座談会]原一男+大島新+石戸諭|
ドキュメンタリーはエンターテインメントでなければならない
[特別寄稿]三宅陽一郎|異世界転生とマルチバースと未来のコンテンツ
[エッセイ]宮﨑裕助|脱構築のトリセツ──脱構築入門(の彼方へ)の一歩
[ゲンロンの目]山内志朗|〈セカイ系〉に捧げられた花束 中世ラテン哲学のすすめ
[インタビュー]ユク・ホイ 聞き手=東浩紀 訳=伊勢康平|
「わたしは自分の問いに忠実でありたい」ポストモダンとアジアと哲学をめぐる対話
[連載]ユク・ホイ 訳=伊勢康平|
共存の言葉について 惑星的なものにかんする覚書 第2回
[連載]石田英敬|詩とアルコールと革命と 飛び魚と毒薬 第1回 + 第2回
[連載]イ・アレックス・テックァン 訳=鍵谷怜|
ベルクソンとアフリカ 理論と冷戦 第5回
[連載]田中功起|見ないこと、見損なうこと、あるいはインフラストラクチュア
3月1日から9月2日 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの 第16回
[連載]上田洋子|演劇に自由はあるのか、あるいは可視化される孤独の問題
ロシア語で旅する世界 第12回
[論考]能勢陽子|失われた抒情と穴が開いたレンコン状の月―梅津庸一の近年の作品
[エッセイ]川原伸晃|園芸とは超越の飼い慣らしである
[創作」猿場つかさ|海にたゆたう一文字に 第6回SF新人賞受賞作 [解題]大森望
[コラム]山森みか|イスラエルの日常、ときどき非日常
#10 「産めよ」「育てよ」「つがいになれ」
[コラム]辻田真佐憲|国威発揚の回顧と展望 #5 近鉄から逃れられない
[コラム]福冨渉|タイ現代文学ノート #8 変わる南の島
[コラムマンガ]まつい|島暮らしのザラシ #4
ネコデウス15
寄稿者一覧
English Contents and Abstracts
光太郎に触れて下さった論考は、愛知県豊田市美術館学芸員の能勢陽子氏による「失われた抒情と穴が開いたレンコン状の月―梅津庸一の近年の作品」。
メインは一昨年に都内で開催された現代アート作家・梅津庸一氏の展覧会「緑色の太陽とレンコン状の月」などの紹介です。そこから梅津氏も注目した光太郎の評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)における「個」と「国家」などとの関係、さらに戦時中に翼賛詩文を書きまくった光太郎の変節、戦後の花巻郊外旧太田村での大いなる悔恨等にも拡がっていきます。そこに同時代の黒田清輝や夏目漱石、岸田劉生、「民芸」運動などにも言及されています。
目次の通り、他にも色々と充実の内容です。ぜひお買い求めを。
【折々のことば・光太郎】
詩もたくさん書いてゐます。
昭和21年(1946)7月29日 大木実宛書簡より 光太郎64歳
「たくさん書いてゐます」と言いつつ、この時期の発表が確認できている詩は、『週刊少国民』に「雲」、『新岩手日報』で「絶壁のもと」の2篇だけです。おそらく、翌年7月の『展望』に載った20篇から成る連作詩「暗愚小伝」を指しているのではないかと思います。幼少年期から始まり、戦時中の愚行を含め、自己の半生を振り返り、自らの戦争責任を省察した連作です。