昨日は、千葉県銚子市のKIMG3181犬吠埼に行っておりました。銚子は生活圏なので犬吠埼にも時折足を運んでいますが、考えてみると久しぶりでした。

犬吠埼は、大正元年(1912)、光太郎が油絵の写生旅行に訪れ、前年、光太郎と知り合った智恵子もそれを追ってすぐ下の妹・セキ、それから智恵子姉妹と同じ日本女子大学校出身の藤井勇(ゆう)を伴い、犬吠に来ています。智恵子一行ははじめ御風館という宿に泊まっていましたが、智恵子はセキと藤井を先に帰し、光太郎が投宿していた暁鶏館という宿に移りました。二人の婚約は約1年後、信州上高地でのことですが、おそらくこの犬吠埼でお互いにその気持は固まったのではないかと思われます。

光太郎の回想文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)から。

丁度明治天皇様崩御の後、私は犬吠へ写生に出かけた。その時別の宿に彼女が妹さんと一人の親友と一緒に来てゐて又会つた。後に彼女は私の宿へ来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。様子が変に見えたものか、宿の女中が一人必ず私達二人の散歩を監視するためついて来た。心中しかねないと見たらしい。智恵子が後日語る所によると、その時若し私が何か無理な事でも言ひ出すやうな事があつたら、彼女は即座に入水して死ぬつもりだつたといふ事であった。私はそんな事は知らなかつたが、此の宿の滞在中に見た彼女の清純な態度と、無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた。君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまつたく子供であつた。しかし又私は入浴の時、隣の風呂場に居る彼女を偶然に目にして、何だか運命のつながりが二人の間にあるのではないかといふ予感をふと感じた。彼女は実によく均整がとれてゐた。

その後、光太郎は暁鶏館の雑用を務めていた、知的障害があった「太郎」こと阿部清助をモデルに、「犬吠の太郎」(大正元年=1912)という詩も書いています。太郎の印象はかなり強烈だったようで、光太郎はのちに油絵でも太郎を描きましたし(現存は確認できていません)、かなり後、昭和3年(1928)に作った詩「何をまだ指してゐるのだ」でも太郎を登場させています。


犬吠埼のシンボルである灯台。明治7年(1874)竣工ですので、光太郎智恵子が訪れた大正元年(1912)にはすでにここにありました。

KIMG3180

灯台の北側は、君ヶ浜。上記「智恵子の半生」で、「君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまつたく子供であつた」と記されています。

KIMG3179

KIMG3184


灯台の南側。突き出た岬の形状から、「長崎」と呼ばれる地区。太郎も地元では「長崎の太郎」と呼ばれていたそうです。太郎の墓も現存します。

KIMG3182


その手前に、光太郎智恵子が愛を確かめ合ったであろう暁鶏館(中央下の2階建て)。建物は建て替えられ、宿の名も「ぎょうけい館」と変わりましたが、同じ場所で営業中です。創業は灯台と同じ明治7年(1874)です。

KIMG3183


さらに手前は中生代の地層。この辺り一帯、地質学的に貴重な場所だそうで、「銚子ジオパーク」として整備されています。

KIMG3188


ところで、昨日はいつものように一人ではなく、妻と一緒でした。愛想を尽かされる前に、たまには女房孝行ということで(笑)。妻が何かのテレビ番組で紹介されているのを見た、ということで、灯台の並びにある「犬吠テラステラス」さんという、今年出来た商業施設に行ってみました。

KIMG3189

以前はひなびた土産物屋、食堂などがあった記憶があるのですが、それが一変、実にシャレオツな店に様変わりしていました。

KIMG3186

「テラステラス」の名前の通り、2階にはゆったりしたテラス。ハンモックが張られていたりします。上記、長崎地区やぎょうけい館さんなどの画像はここから撮りました。

KIMG3187

灯台を模したオブジェ。顔ハメ的に、ここでKIMG3185写真を撮れということでしょう。台座部分に足形が作られています。


ちなみに昼食はこちらに行く前に、もう少し南の銚子電鉄犬吠駅前にある「島武」さんというところで摂りました。これまで、行列が出来ていて断念したこともあったのですが、昨日は奇跡的にすいていました。基本、回転寿司ですが、チェーンの安い店とは違いそれなりの値段、しかし廻らないお寿司屋さんよりはリーズナブルなので(笑)、当方、時折足を運んでいます。回転寿司コーナー以外にも、海鮮丼系などの魚料理コーナーも設置されています。どちらも銚子港で水揚げされた素材を使っています。

回転寿司は、とにかくネタがでかいことで有名です。タコは「大ダコ」と頼むと、短冊のようなタコが乗ってきます(笑)。他のネタも、ほぼほぼシャリが見えない状態です。


というような犬吠埼。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

因みに「天上の炎」といふ題名は星を意味してゐるのである。

雑纂「訳書『天上の炎』白玉書房版序文」より 昭和25年(1950)

『天上の炎』は、ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(光太郎の表記では「ヹルハアラン」)の詩集。光太郎は大正14年(1925)に単行書としてその翻訳を新しき村出版部から刊行、戦後に白玉書房から復刊されました。上記は復刊版の序文から採りました。

無理くりですが、光太郎にとっての智恵子は「天上の炎」だったようにも思われます。

ちなみに当方もやったことがありますが、時折「天井の炎」と誤植されることがあるのが残念です。