新刊です。

モニュメント原論 思想的課題としての彫刻

2023年11月30日 小田原のどか著 制度社青土社 定価4,200円+税

破壊される瞬間に、彫刻はもっとも光り輝く
彫刻を「思想的課題」と自らに任じ、日本近現代の政治・歴史・教育・芸術そしてジェンダーを再審に付す。問い質されるは、社会の「共同想起」としての彫像。公共空間に立つ為政者の銅像が、なぜ革命・政変時に民衆の手で引き倒される無残な運命に出遭うのか――。画期的かつ根源的な思索の書。
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目次
 プロローグ
 1部 彫刻をめぐって
  1.彫刻という名前
  2.われ記念碑を建立せり――「水俣メモリアル」を再考する
  3.彫刻の問題――加藤典洋、吉本隆明、高村光太郎からの回路をひらく
  4.不可視の記念碑
  5.モニュメント・マスト・フォール?――BLMにおける彫像削除をめぐって
  6.彫刻とはなにか――「あいちトリエンナーレ2019」が示した分断をめぐって
  7.女性裸体像はいつまで裸であらねばならないのか?
  8.なぜ女性の大彫刻家は現れないのか?
  9.箱(キューブ)をひらく――ジャコメッティの彫刻とコレクション/
キューレイション/エキシビジョン
  10・三島由紀夫への手紙
 2部 固有の場所から
  1.爆心地の矢印[長崎]――矢形標柱はなにを示したか
  2.この国の彫刻のために[長崎]
  3.彫刻を見よ[東京]――公共空間の女性裸体像をめぐって
  4.拒絶から公共彫刻への問いをひらく[福島]
ヤノベケンジ《サン・チャイルド》撤去をめぐって
  5.被爆者なき後に[広島]――広島平和記念資料館
  6.“私はあなたの「アイヌ」ではない”[白老]――ウポポイ(民族共生象徴空間)
  7.「過去」との絶え間ない対話のために[韓国]――《平和の女子像》をめぐって
  8.旧多摩聖蹟記念館[東京]――台座の消失と彫刻/彫塑のための建築
 3部 時代との共鳴
  1.ウェブ版「美術手帖」ファイル
   1.ナガサキのあとに彫刻は作れるのか――「森淳一 山影」
   2.共産主義と資本主義の裂け目で――
The Nature Rules 自然国家:Dreaming of Earth Projects
   3.彫刻という困難――小谷元彦「Tulpa-Here is me」
   4.なぜ女性の大彫刻家は現れないのか? Ⅱ――青木野枝「霧と山」
   5.私たちは何を学べるのか?――「表現の不自由展・その後」評
   6.公共建築から芸術祭へ――到達/切断地点としての「ファーレ立川」
   7.美術史という「語り」を再考する――コレクション特集ジャコメッティと Ⅱ
   8.名の召喚――柳幸典展
   9.「傷ついた風景の向こう」に見えるもの――
DOMANI・明日2020 傷ついた風景の向こうに
   10.帰宅困難と自宅待機――Do'nt follow the Wind
   11.コロナ禍は美術館に何をもたらすか?
――『ラディカル・ミュゼオロジー』『美術館の不都合な真実』を手がかりに
   12.女性器が「選ばれない」世界で――遠藤麻衣×百瀬文 新水晶宮
   13.「歌う」から「語る」へ――彼女たちは歌う Listen to Her Song
   14.「個」と「公」を仲立ちし、たぐり寄せる。――加藤翼「Supersturing Secrets」
   15.マテリアル・マテリアリズム・マテリアリスト
――カタルシスの岸辺「光光DEPO」
   16.相次ぐ告発、美術業界の変化のただ中で――居場所はどこにある?
  2.「東京新聞」ファイル
   1.彼女たちは歌う
   2.アイヌの美しき手仕事
   3.性差(ジェンダー)の日本史
   4.石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか
   5.小泉明郎+オヤマアツキ「王の二つの身体」
   6.シアターコモンズ/第13回恵比寿映像祭/TPAM
   7.アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド――建築・デザインの神話
   8.女が5人集まれば皿が割れる
   9.膠を旅する――表現をつなぐ文化の源流
   10.白川昌生展 ここが地獄か、天国か。
   11.山城千佳子リフレーミング
   12.ロニ・ホーン――水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?
   13.Vira Video!――久保田成子展
   14.イミグレーション・ミュージアム・東京多国籍美術展
  3.ぐるぐるキョロキョロ展覧会記――『芸術新潮』ファイル
   1.コレクションを活かす/隠す
   2.越境者を照らす光――ヤン・ヴォーーヴ・ンヤ
   3.“世界初”の国際芸術祭は新たな基準となるか
――ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW――光の破片を捕まえる」
   4.選べない私を選ぶ
――鴻池朋子 ちゅうがえり ジャムセッション 石橋財団コレクション×鴻池朋子
   5.名品という視座を味わう――もうひとつの江戸絵画大津絵
   6.排除と収奪の日本史――性差(ジェンダー)の日本史
   7.サイレンスを見つめる――ミヒャエル・ボレマンス マーク・マング
――ダブル・サイエンス
   8.希代のプロモーターの原点を知る――式場隆三郎「脳室反射鏡」
   9.幻視者(ヴィジョナリー)が問いかけるもの
――平成美術:うかかたと瓦礫1989-2019
   10.どっちだと思う?――アネケ・ヒューマン&クミ・ヒロイ、
潮田登久子、片山真理、春木麻衣子、細倉真弓、そして、あなたの視点
   11.時の可能性と対峙する――3.11とアーティスト:10年目の想像
   12.歴史の編み目をくぐり抜ける――
ホーツーニェンヴォイス・オブ・ヴォイド――虚無の声
   13.風穴を開け、空気を入れ換える
――SIDE CORE presents EVERY DAY HOLIDAY SQUAD soloexbition"underpressure"
   14.差異に宿るエナジー――アナザーエナジー展:挑戦し続ける力
――世界の女性アーティスト一六人
   15.破滅と熱狂、その先に――加藤翼 縄張りと鳥
   16.残/遺されたものを見る――Walls & Bridges 世界にふれる 世界を生きる
   17.むき出しの写真と対峙する――
ユージン・スミスとアイリーンスミスが見たMINAMATA
   18.背後の戦争画――3.11とアーティスト小早川秋声 旅する画家の鎮魂歌
   19.「3.11から一〇年」の影に
――せんだいメディアテーク開館二〇周年展 ナラティブの修復
   20.開かれた「フェミニズム」へ向かって
――ぎこちない会話への対応策――第三波フェミニズムの視点で
   21.地球を感知する場――池内晶子あるいは、地のちからをあつめて
   22.「人類よ消滅しよう」――生誕一〇〇年 松澤宥
   23.稀有な複数性の発露 Chim↑Pom展
   24.未然の迷宮――森村泰昌:ワタシの迷宮劇場
   25.版画に宿る抵抗の精神――彫刻刀が刻む戦後日本
   26.見ること、極限の問い――ゲルハルト・リヒター展
   27.交差点としての美術展――アーティスト支援プログラム
 あとがき


目次を書き写すだけで疲れました(笑)。

彫刻等の実作のかたわら、この手の文筆活動を盛んに行われている小田原のどか氏の評論集です。目次にあるとおり、あちこちに発表されたものの集成で、雑誌『群像』2020年7月号に載った「彫刻の問題――加藤典洋、吉本隆明、高村光太郎からの回路をひらく」他、ところどころで光太郎に触れて下さっています。

先週末、『朝日新聞』さんに書評が出ました。

モニュメント原論 思想的課題としての彫刻 小田原のどか〈著〉 平和プロパガンダと女性裸体像

 この国には街や公演の随所で女性の裸体像が立っている。なぜ「裸の女」なのか。本書によると、日本の公共空間に「平和」を冠するその第一号がお目見えしたのは1951年のこと。東京・三宅坂に「平和の群像」と題された三体の彫刻が設置された。同じ台座には、戦時中には軍閥の力の象徴として「寺内元帥騎馬像」が置かれていた。
 ところが戦時中の物資不足で騎馬像が金属回収されると台座だけが残される。そこに戦後、当時の電通社長、吉田秀雄の指針で「軍服を脱ぎ捨てた『三美神』」を建立し、新生日本の平和と自由を「広告宣伝とタイアップの彫刻」により広く演出したのだ。著者はそこに連合国軍総司令部(GHQ)が関与した可能性についても触れている。
 街中に氾濫(はんらん)する女性の裸体像は、この平和の宣伝戦略(プロパガンダ)が行き届いた結果だった。だが、そのことで起源は忘れられる。「彼女」たちは「無言」で「立つなら幾千年でも黙って立ってろ」(高村光太郎)と命じられるしかなかった。しかし忘れてはならない。先の騎馬像の作者は現在、長崎の「平和公園」にそびえる「平和祈念像」と同じ彫刻家、北村西望で、筋骨隆々な裸体の巨人像は力の顕現そのものに見える。先に新生日本と書いたが「ここに『新しさ』はない。むしろ、分かつことのできない戦時との連続性がある」――そう著者は書き「戦後日本の彫刻を考えるうえで、長崎は最も重要な場所」と断言する。
 戦後、日本に「自由と平和」をもたらしたのは、歴史的に言えば「敗戦と占領」にほかならない。ゆえに著者はこの国に氾濫する女性裸体像を「戦後民主主義のレーニン像」と名付ける。そしていつか、それらが引き倒される時が来るかもしれないことに思いを馳(は)せ、長崎に、広島に、水俣にあるモニュメントに「無言」ではなく「応答」しようとし、あえてこれらの「彫刻を見よ」と呼びかけるのだ。
評・椹木野衣 美術評論家・多摩美術大学教授

近年、公共の場に設置された彫刻作品についての論考等がちょっとした流行りになっていますが、平瀬礼太氏などともに、小田原氏もその急先鋒のお一人ですね。

彫刻の場合、同じく昔からある美術作品でも、絵画との大きな相違点の一つがこの辺りにあるような気がしています。絵画でも戦時中の藤田嗣治らの戦争画、戦後も各地に設置された巨大壁画的なもの、或いは大きくないものでもバンクシーの作品群など、プロパガンダ性、メッセージ性を色濃く持つものも存在しますが、3Dの表現である彫刻の方がそうした性格を色濃く持たざるを得ないと感じています。「屋外」ということも大きいと思われます。肖像画が屋外に出ることはめったにありませんが、肖像彫刻は銅像として乱立していますし。

とにもかくにも、ご興味おありの方、お買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

右掌の切開手術をうけに花巻病院長邸に起居。六月末やうやく全治、十日程前に帰つて来ました。右手で文字が書けるやうになつたのも昨今です。畑が遅れ、今大多忙です。


昭和21年(1946)7月7日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村で、生まれて初めての本格的な農作業を始めたところ、掌にできたマメが潰れて化膿し、手術まで受ける羽目になりましたが、ようやく完治。

しかしそのため5月16日から7月16日まで、まるまる2ヶ月、日記は書きませんでした。この間(またはやはり日記が欠けている9月21日~10月9日)に昨年国の重要文化財に指定された花巻市御田屋町にある「旧菊池家住宅西洋館」を訪れたのではないかと推定されます。