1月13日(土)、世田谷文学館さんにお邪魔しました。
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こちらで開催中の「コレクション展 衣裳は語る――映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事」拝見のためです。
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会場内部は撮影禁止でした。

映画史上に残る数多くの映画で衣裳デザインを担当された故・柳生悦子氏の原画を中心とした展示で、約3,000点の寄贈を受けたうちの厳選されたものが並んでいました。
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お目当ては昭和42年(1967)封切りの松竹映画「智恵子抄」衣裳デザイン原画。光太郎役の丹波哲郎さんのものが1点、岩下志麻さん演じる智恵子のものが約30点。
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上記はX(旧・ツイッター)に上げられた同館のポスト(ツイート)です。それぞれにいろいろと書き込みがしてあり、こりゃ現物を見ないとしょうがないなと思って参じた次第です。

で、書き込みも細かく読んで参りました。映画の「原作」という位置づけになっている佐藤春夫の『小説智恵子抄』や、当会の祖・草野心平が書いた随筆の一節、それからそれぞれの衣裳に於ける注意事項等がびっしり。驚きました。

上記画像を事前に見て、そうだろうな、と思っていたのですが、左上から始まって右下まで、シーンの順に並んでいます。光太郎と出会う前の若き日の智恵子から、最晩年まで。当然と言えば当然ですが、結婚前の恋愛時代の衣裳は華やかなものが多く、結婚後、特に心を病んでからのそれはシックな感じに移っていきます。

驚いたのは、一番左下のエプロン。同一のものがあと2ヶ所でも描かれていますが。
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雑誌『婦人之友』第18巻第7号(大正13年=1924 7月)に掲載された「変つた形のエプロン二種」という記事に写真と型紙(尺貫法で書かれています)が載った、実際に智恵子が自作し着用していたエプロンほとんどそのままです。
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こういう形のエプロンが一般的だったわけではないようで、『婦人之友』には「高村光太郎氏の御宅に伺つたとき、手を拭きながら出ていらしつた夫人が、ほんとうに面白い前掛をかけてゐらつしやいました。」と書かれていますし、少し調べてみてもこういう形のエプロン画像は見かけません。

ということは、柳生氏、大正時代の『婦人之友』のこの記事を読まれたのだと思われます。舌を巻きました。

録画して置いた映画「智恵子抄」を見返してみましたところ、ちゃんとこのエプロンを着用しているシーンがありました。
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「いや、こういうエプロン、一般的に使われていたよ」というような情報、資料をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

他の映画等のデザイン原画も拝見。ジャンルが実に多岐に亘っているのに驚きました。「裸の大将」「若大将」「風林火山」「八つ墓村」「戦国自衛隊」「敦煌」などなど。

残念ながら図録は作成されておらず、このコレクションに特化した書籍がもしかしたらあるかな、と思ったのですがありませんでした。ぜひとも3,000点をカラーで収録し、出版していただきたいものです。

会期は3月31日(日)まで。同時開催で「江口寿史展 ノット・コンプリーテッド」も2月4日(日)まで開催されています。ぜひ足をお運びください。
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【折々のことば・光太郎】

毎日荒地を掘り起して畑を作つてゐます。実にその仕事が爽快で朝起きるが待ち遠しいやうです。

昭和21年(1946)4月23日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村で、数え64歳にして生まれて初めて本格的に農作業に取り組み始めました。嬉々として取り組んでいる様子がうかがえますね。