戦前戦後に光太郎と交流のあった岡山県豊田村(現・赤磐市)出身の詩人、永瀬清子を中心に据えた展示です。
永瀬清子展示室企画展「マンガで読む永瀬清子」
期 日 : 2023年12月8日(金)~2024年3月31日(日)
会 場 : 永瀬清子展示室 岡山県赤磐市松木621-1 赤磐市くまやまふれあいセンター2階
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料
今春、永瀬清子の生涯がマンガになりました。永瀬清子が誕生し詩人を志す過程を中心に描いており、赤磐市立図書館などで読むことができます。この展示では、マンガを描くのに使われた資料とマンガ『詩人永瀬清子物語 わがたてがみよ、なびけ』とともに、永瀬清子の生涯を紹介します。
案内文にあるとおり、昨年、永瀬の伝記マンガ『詩人永瀬清子物語 わがたてがみよ、なびけ』(シナリオ 和田静夫氏/マンガ 藤井敬士氏/赤磐市教育委員会発行)が刊行され、それを記念しての展示です。
マンガには光太郎も登場します。昭和9年(1934)、新宿のモナミで開催された宮沢賢治追悼会の場面、昭和15年(1940)に永瀬が自らの詩集『諸国の天女』序文を光太郎に依頼するシーンなど。
展示ではそのあたり、どういうふうに扱われているのか不明ですが、永瀬の年譜等展示されていれば、触れられていると思われます。
また、期間中の2月17日(土)には第25回朗読会「永瀬清子の詩の世界―貴方がたの島へ」も開催されます。
プログラムにはシンガーソングライター・沢知恵さんのコンサートも。永瀬は生前、ハンセン病療養施設への支援活動なども行っていましたが、沢さんも同様の活動に取り組んでいて、そうした関係でしょう。
余談になりますが、沢さんのお祖父様・金素雲の訳詩集『乳色の雲』(昭和15年=1940)には光太郎が挿画を寄せており、奇縁を感じました。
お近くの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
四月十三日がまた廻りくるにつて、昨年のあの時の貴下の御厚情と一方ならぬご助力とを思ひ出し、真に忝い事だと思つてゐます。其後お訪ね下さつた宮沢家も全焼し、今年は此の山の中の一軒家で記念の日を迎へます。
「昨年のあの時」は、米軍の空襲により駒込林町のアトリエが灰燼に帰した昭和20年4月13日を指します。この際、寺田が真っ先に光太郎の元を訪れ、燃えさかるアトリエを茫然と見る光太郎の姿を回想に残しています。
マンガには光太郎も登場します。昭和9年(1934)、新宿のモナミで開催された宮沢賢治追悼会の場面、昭和15年(1940)に永瀬が自らの詩集『諸国の天女』序文を光太郎に依頼するシーンなど。
展示ではそのあたり、どういうふうに扱われているのか不明ですが、永瀬の年譜等展示されていれば、触れられていると思われます。
また、期間中の2月17日(土)には第25回朗読会「永瀬清子の詩の世界―貴方がたの島へ」も開催されます。
プログラムにはシンガーソングライター・沢知恵さんのコンサートも。永瀬は生前、ハンセン病療養施設への支援活動なども行っていましたが、沢さんも同様の活動に取り組んでいて、そうした関係でしょう。
余談になりますが、沢さんのお祖父様・金素雲の訳詩集『乳色の雲』(昭和15年=1940)には光太郎が挿画を寄せており、奇縁を感じました。
お近くの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
四月十三日がまた廻りくるにつて、昨年のあの時の貴下の御厚情と一方ならぬご助力とを思ひ出し、真に忝い事だと思つてゐます。其後お訪ね下さつた宮沢家も全焼し、今年は此の山の中の一軒家で記念の日を迎へます。
昭和21年4月9日 寺田弘宛書簡より 光太郎64歳
「昨年のあの時」は、米軍の空襲により駒込林町のアトリエが灰燼に帰した昭和20年4月13日を指します。この際、寺田が真っ先に光太郎の元を訪れ、燃えさかるアトリエを茫然と見る光太郎の姿を回想に残しています。