元日には能登半島での大地震、昨日は羽田空港での事故と、大変な幕開けになってしまった2024年です。亡くなられた方々に心より哀悼の意を表したく存じます。
こんな時こそ神仏のご加護にすがり、心落ちつけたいものです。今年は辰年ということで、龍神様。台東区の浅草寺さんお水舎に鎮座まします、光太郎の父・光雲作の「沙竭羅龍王像」が注目されています。
昨年12月28日(木)の『東京新聞』さん。「想像膨らむ「辰」の由来 干支で唯一架空の生き物」という記事で取り上げて下さいました。
◆干支の起源は天体 農耕始める目安に
◆田無神社に5龍神
こんな時こそ神仏のご加護にすがり、心落ちつけたいものです。今年は辰年ということで、龍神様。台東区の浅草寺さんお水舎に鎮座まします、光太郎の父・光雲作の「沙竭羅龍王像」が注目されています。
昨年12月28日(木)の『東京新聞』さん。「想像膨らむ「辰」の由来 干支で唯一架空の生き物」という記事で取り上げて下さいました。
想像膨らむ「辰」の由来 干支で唯一架空の生き物
◆干支の起源は天体 農耕始める目安に
なぜ干支に辰(龍)が入ったか。ワニが転じて龍になったとか、インドの教典が起源など諸説あるが、天体からとられたと天文学者の新城(しんじょう)新蔵(1873~1938年)が説いている。新城は宇宙物理学を専門としたが、中国天文学の権威でもあり、戦前に京都帝国大学総長も務めた人物。
新城は「東洋天文学史大綱」に「古代中国では農作業を行う暦に恒星の『大火』を用いた。大火とは、さそり座のアンタレス」「殷(いん)の時代は大火を『辰』と呼び、守護神扱いした」と記す。十二支を制定する際に5番目が辰となったのは「大火が五月の星だから」という。さそり座は夏の星座で、赤く目立つアンタレスは農耕を始めるのに良い目安になったと想像できる。
今の時期は、夜空にアンタレスを見ることはできない。多摩六都科学館(西東京市)にお願いして世界最大級のプラネタリウムにさそり座を投影してもらった。南の空、天の川付近に輝く。「アンタレスはさそりの心臓あたり」と天文グループリーダーの齋藤正晴さん。
中国の星座ではおとめ座、てんびん座、さそり座、いて座にかけての領域を四神獣の青龍に見立てており、辰の星があるから龍に置き換わっていったのではないだろうか。
◆田無神社に5龍神
龍の神社といえば、西武新宿線・田無駅の近くにある田無神社(西東京市)だ。「鎌倉時代の創建以来、祭神の級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)は龍神として祀っている」と賀陽(かや)智之宮司。現在は五行思想に基づいて本殿内に金龍、境内各所に黒龍、白龍、赤龍、青龍が配され、五龍神として信仰されている。
青梅街道に面した南側の一の鳥居をくぐると、すぐ右に赤龍がある。参道を進んで二の鳥居の西に白龍、本殿・拝殿の東に青龍、北参道わきには黒龍が置かれている。
中国の神話にある四神獣は東が青龍、南が朱雀(すざく)、西が白虎(びゃっこ)、北が玄武だが、田無神社ではいずれも龍だ。金龍は拝観することはできないが、おみくじの入った置物には金龍もある。
中国の神話にある四神獣は東が青龍、南が朱雀(すざく)、西が白虎(びゃっこ)、北が玄武だが、田無神社ではいずれも龍だ。金龍は拝観することはできないが、おみくじの入った置物には金龍もある。
本殿・拝殿には龍の彫刻が施されている。境内にはイチョウの木が立ち並び、参拝者の中には手を触れて祈る人も。神木「龍木」として親しまれているようだ。
田無神社にはこんなエピソードもある。作家の五木寛之さんが早稲田大に入った1952年の春から夏にかけ、この神社の床下をねぐらにしていたというのだ。五木さんは「あちこちの神社にお世話になった」のだが「最も快適だったのは田無神社の床下である」と雑誌の随想に書いている。
◆金龍出現で松林1000株 浅草寺の山号に
龍と縁の深い寺といえば浅草寺(台東区)。東京最古といわれているこの寺の山号は金龍山という。飛鳥時代の628年、隅田川から本尊の観音様が現れた時、金龍が天空から舞い降り、一夜で千株の松林ができあがったという縁起がある。春と秋に奉納される「金龍の舞」の由来だ。
最初に龍がいるのは雷門。赤い大ちょうちんの底に木彫りの龍が施されている。雷門の南側には風神像と雷神像、北側には龍神像2体が奉安されている。門の正式名称は「風雷神門」だが、江戸時代後期にはすでに雷門と呼ばれるようになった。
仲見世を抜けて宝蔵門へ。「小舟町」と記された赤ちょうちんの底にも木彫りの龍がいる。本堂に向かう手前東側のお水舎(みずや)では高村光雲作の龍神像が立ち、足元では龍の口から水が注がれている。天井には東韶光(あずましょうこう)が描いた「墨絵の龍」がにらみをきかせる。
本堂の天井にも川端龍子の「龍之図」があったが今年7月に剝落してしまい、現在は高精細の複製画が掲示されている。
雑誌『家庭画報』さんの新春特大号でも。
【折々のことば・光太郎】
明日は小生の誕生日なので、取つて置いた少しばかりの小豆を煮て明朝は赤飯を祝ふつもりです。
この項、慣例により光太郎の年齢は数え年で記載していますので食い違いますが、翌13日は満63歳の誕生日でした。日記によれば、朝のうちに近くの分教場の先生が用事で訪ねてきた以外は訪問者もなく、一人で祝う誕生日でした。
雑誌『家庭画報』さんの新春特大号でも。
特集「辰年の開運祈願 龍神絶景を行く」の中の「あなたの町にも龍はいる!日本全国の社寺建築に息づく龍の傑作選」という記事です。
開運・招福にご利益のあるとされる龍神様。年明け早々の暗雲を祓っていただきたいものです。●浅草寺(東京都) 都内最古の寺院で神像を囲む8体の龍
約1400年前、今の隅田川で聖観世音菩薩の像が、漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の投網にかかったことを由緒に持つ「浅草寺」。御水舎には明治から大正にかけて活躍した彫刻家・高村光雲作の龍神像を据え、その周りを8体の龍が囲む。天井にも「墨絵の龍」が描かれている。
浅草寺 住所:東京都台東区浅草2-3-1 TEL:03(3842)0181
【折々のことば・光太郎】
明日は小生の誕生日なので、取つて置いた少しばかりの小豆を煮て明朝は赤飯を祝ふつもりです。
昭和21年(1946)3月12日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳
この項、慣例により光太郎の年齢は数え年で記載していますので食い違いますが、翌13日は満63歳の誕生日でした。日記によれば、朝のうちに近くの分教場の先生が用事で訪ねてきた以外は訪問者もなく、一人で祝う誕生日でした。