光太郎の父・光雲作品が出ます。

彫刻って面白い!〜これってなんだ?からそっくりまで〜

期 日 : 2023年12月22日(金)~2024年2月12日(月・祝)
会 場 : 石川県七尾美術館 石川県七尾市小丸山台1-1
時 間 : 午前9時〜午後5時
休 館 : 毎週月曜日 ※1/8(月.祝)、2/12(月.祝)は開館、1/9(火)
      12/29(金)から1/3(水)までの6日間
料 金 : 一般350円(280円) 大学生280円(220円) 高校生以下無料
      ( )は20名以上の団体料金

 開館時の平成7年(1995)、400点に満たなかった当館の所蔵品は、現在800点を超えました。これらの所蔵品は、七尾市出身の実業家・池田文夫氏が蒐集した美術工芸品「池田コレクション」289点と、能登七尾出身の長谷川等伯の作品6点を含む「能登ゆかりの作品」に大別されます。ジャンルは絵画・工芸・彫刻・書・写真など幅広く、時代も中世から現代までと多岐にわたっています。
 当館ではこれらの作品を多くの方にご鑑賞いただくため、年に数回テーマを変えながら展覧しています。今回は「自然とともに」「彫刻って面白い!」の2テーマで計57点を紹介します。
 一言で「彫刻」といっても、粘土・石膏・ブロンズ・FRP(繊維強化プラスチック)・石・木・金属などの素材があります。技法においても、粘土のように肉付けして成形する塑像(そぞう)や、型を作って制作するもの、石や木を彫ったり組み合わせたりしたもの、さらには様々な金属を加工した作品など多種多様です。
 また、「これはなんだろう?」と思う抽象作品から、「本物そっくり!」と思える具象作品まであって、それら彫刻作品の多様性が、面白さや魅力でもあるのです。ここでは、様々な素材による、味わい深い彫刻作品34点をお楽しみください。
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七尾市出身の実業家で、美術品コレクターでもあった池田文夫氏(1907~87)が蒐集した美術工芸品を「池田コレクション」として収蔵している石川県七尾美術館さん。

光雲作の「聖観音像」(昭和6年=1931)も含まれ、これまでもたびたび展示して下さっています。他に光雲高弟の一人・山崎朝雲の彩色木彫「土部」(昭和27年=1952)、光太郎と縁の深かった高田博厚の「うずくまる女」(昭和50年=1975)なども。
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お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

「記録」一巻は大本営を過信した小生の不明の記録となりました。


昭和20年(1945)12月26日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

詩集『記録』は昭和19年(1944)3月、『智恵子抄』版元の龍星閣から刊行された翼賛詩集です。戦争終結後、光太郎の戦争責任を糾弾する声がほうぼうから上がり、その際、最も槍玉に挙げられたのが『記録』でした。

「記録」というタイトルについては、同書の序文に述べられています。

「記録」といふ題名は澤田氏(注・龍星閣社主)が撰び、私が同意したものである。むろん全記録の意味ではない。いはば大東亜戦争の進展に即して起つた一箇の人間の抑へがたい感動の記録といふ方がいいかもしれない。(略)物資労力共に不足の時無理な事は決して為たくない。この詩集とても果して必ず出版せられるかどうかは測りがたい。それほど戦はいま烈しいのである。二年前の大詔奉戴の日を思ひ、今このやうに詩集など編んでゐられることのありがたさを身にしみて感ずる。戦局甚だ重大、あの時の決意を更に強く更に新たにしてただ前進するのみである。

そして昭和22年(1947)に書かれた自らの半生を省みる連作詩「暗愚小伝」でも。

    真珠湾の日

 宣戦布告よりもさきに聞いたのは
 ハワイ辺で戦があつたといふことだ。
 つひに太平洋で戦ふのだ。002
 詔勅をきいて身ぶるひした。
 この容易ならぬ瞬間に
 私の頭脳はランビキにかけられ、
 咋日は遠い昔となり、
 遠い昔が今となつた。
 天皇あやふし。
 ただこの一語が
 私の一切を決定した。
 子供の時のおぢいさんが、
 父が母がそこに居た。
 少年の日の家の雲霧が
 部屋一ぱいに立ちこめた。
 私の耳は祖先の声でみたされ、
 陛下が、陛下がと
 あえぐ意識は眩(めくるめ)いた。
 身をすてるほか今はない。
 陛下をまもらう。
 詩をすてて詩を書かう。
 記録を書かう。
 同胞の荒廃を出来れば防がう。
 私はその夜木星の大きく光る駒込台で
 ただしんけんにさう思ひつめた

太平洋戦争が始まり、もはや抒情的な詩など書いている場合ではない、そこで代わりに叙事詩的な詩でもって、この未曾有の時を「記録」するのだ、というわけでしょう。

しかし、戦後となって振り返ってみれば、その自分の選択は大きな過ちであったということに気づかされます。『道程』、『智恵子抄』などで積み上げてきた豊かな抒情詩の世界を自らぶち壊してまで挑んだ「記録」は、ただ空虚な「不明の記録」に過ぎなかった、と。この場合の「不明」はイコール「暗愚」ですね。

何度も書きますが、こうした光太郎の真摯な反省などには目もくれず、詩「十二月八日」(昭和16年=1941)の一節をSNSに上げて喜んでいる幼稚なネトウヨには怒りを覚えます。今年の12月8日には、何ととある地方議会の議員のセンセイまで。ぞっとします。

また、「暗愚小伝」中の「詩をすてて詩を書かう。/記録を書かう。」についても、それこそが「暗愚」だったと光太郎が書いているのに、それが理解できず「光太郎、すばらしい!」と言っている輩も……。頭を抱えたくなります。