新潟県から市民講座の情報です。

二葉アーツスクール2023「めだかの学校 高村光太郎にとっての新潟」

期 日 : 2023年12月23日(土)
会 場 : ゆいぽーと(新潟市芸術創造村・国際青少年センター)
      新潟市中央区二葉町2丁目5932番地7
時 間 : 14:00~15:30
料 金 : 無料

講 師 : 山浦健夫氏(美術史家)

「めだかの学校」は、ゆいぽーとの自主事業として2018年の開館年にスタートしました。施設の前身である旧二葉中学校の学び舎としての特性を活かし、広く市民に開かれた生涯学習の場として親しまれています。新潟の文化や歴史など独自なテーマ設定と多彩な講師陣が人気を集める連続講座です。

高村光太郎(1883~1956)は彫刻家であり詩人であった。特に詩集『智恵子抄』はあまりにも有名である。その智恵子が光太郎と結婚する前に現在の阿賀野市に滞在していたことは、知られていない。また、光太郎が実業家で文人の渡辺湖畔(1886~1960)の招きで佐渡にわたり作品をのこしたり(大正7年10月)、長岡へも父光雲の遺作展(昭和12年5月)や鯉の制作で何度も訪ねたことも知られていない。今年は高村光太郎の生誕140年にあたる。新潟県に関わるこれらのエピソードをあわせて紹介したい。
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全4回の講座で今回が最終回。これまでに光太郎と縁のあった彫刻家・武石弘三郎や東京美術学校で同級生だった藤田嗣治らについての講座が持たれていました。

そして光太郎。案内にある通り、光太郎、そして智恵子も何度か新潟に足を運んでいます。

智恵子が光太郎と結婚する前に現在の阿賀野市に滞在していたこと」は以下。
探検バクモン「男と女 愛の戦略」。
スキーと智恵子。
『文豪たちのラブレター』。
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渡辺湖畔(1886~1960)」についてはこちら。
新潟よりいただきもの。
『大正文士のサロンを作った男 奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』。
平塚市美術館「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」レポート。
碌山美術館夏季特別企画『生誕140周年高村光太郎展』。
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そして「長岡」関連。
長岡市駒形十吉記念美術館「駒形十吉生誕120年  駒形コレクションの原点」。
新潟長岡レポート 駒形十吉記念美術館「駒形十吉生誕120年 駒形コレクションの原点」他。
和歌山県立近代美術館 小企画展「原勝四郎と同時代の画家たち」/駒形十吉記念美術館「2023年第3回展 茶の湯を楽しむ-併設展 墨の魅力」。
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002他にも智恵子の祖父・長沼次助が南蒲原郡田上町の出身で、杜氏として赴いた二本松に居着いて長沼酒造を興したことなども新潟との関わりですね。

平成23年(2011)、田上町郷土研究会さん発行の『郷土たがみ』第22号に掲載された松井郁子氏「高村智恵子と幕末の起業家長沼次助について」によれば、次助の血縁に連なる方々が田上町にご健在とのことです。ただ、さらに遡ればご先祖は元々は福島の須賀川の出だったそうですが。福島と新潟、現代も磐越道で繋がっていますが、昔は阿賀野川を使った水運などで交流が深かったようです。

こういった光太郎智恵子と新潟との関わり、確かに地元ではかえってあまり知られていないのでしょう。

これを機に新潟の皆さんに広く光太郎智恵子の世界に興味関心を抱いていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

まだ山の分教場に厄介になつてゐますが、いよいよ此の十七日から小屋に移住します。毎日通つて大工仕事をやつてゐます。道具類から造つて仕事を進めるので中々大変です。墨壺、錐、水平器などといふにびに皆自製です。机もつくり、お膳もつくり、重箱も戸棚も床の間も井桁も下水も雨戸も自分でつくります。


昭和20年(1945)11月16日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎63歳

いよいよ花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での7年間に及ぶ生活が始まります。