昨日は北鎌倉に行っておりました。
光太郎の直ぐ下の妹・しづの令孫夫妻がやられているカフェ兼ギャラリー「笛」さんで、「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その10」展示と、関連行事としての朗読会にお邪魔。
まずは展示を拝見。光太郎、そして光太郎と交流が深く、晩年は笛さんの近くに居住していた尾崎喜八に関わるさまざまです。
光太郎から尾崎の結婚祝い(新婦は光太郎の親友・水野葉舟息女)に贈られたブロンズの「聖母子像」(ミケランジェロ模刻)も。
一度火災に遭って、現在は読めなくなってしまった台座裏面の但し書きの画像。
店名の由来となった世界各国のさまざまな笛。店主の山端氏が集められ、ご自身で演奏もなさいます。
午後3時、朗読会の開始です。
店主の山端氏は、尾崎のエッセイ「音楽への愛と感謝」から、光太郎との出会いを語る部分を。奥様は光太郎詩「こころに美をもつ」(昭和17年=1942)と「深夜の雪」(大正2年=1913)で。
ご常連の方、尾崎令孫の石黒敦彦氏、奥様のはとこに当たられる、高村豊周令孫も。
当方は光太郎が戦後になって「智恵子抄」収録詩を朗読した肉声の入ったCDを持参、皆さんに聴いていただきました。
最後に再び山端氏。光太郎詩「山からの贈物」(昭和24年=1949)。
その後、歓談タイム。「山からの贈物」ということで、鎌倉の山の方で採れたという巨大なトウガンなどが振る舞われました。
展示の方は、11月28日(火)までの火・金・土・日曜日に見られます。
「あじさい寺」として有名な明月院さん(尾崎家の墓所もあるそうで)の裏手です。ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
炭化沈香木 一寸珍に候へば少々進じまゐらせ候 茶にでもお使ひ下さらば幸甚
「沈香(じんこう)」は香木の一種です。東南アジア原産で、おそらく日本では産出しないものでしょう。木彫の材としても使われます。
その沈香の炭を進呈するよ、茶を点てる時にでも使って下さい、と。宛先は「笛」店主山端氏の奥様の御尊父(光太郎の妹・しづの四男)です。この書簡、今年は出ていませんでしたが、昨年は展示されていました。
なぜ炭? というと、4月13日の空襲で焼けたということでしょう。光太郎、転んでもただでは起きません(笑)。
光太郎の直ぐ下の妹・しづの令孫夫妻がやられているカフェ兼ギャラリー「笛」さんで、「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その10」展示と、関連行事としての朗読会にお邪魔。
まずは展示を拝見。光太郎、そして光太郎と交流が深く、晩年は笛さんの近くに居住していた尾崎喜八に関わるさまざまです。
光太郎から尾崎の結婚祝い(新婦は光太郎の親友・水野葉舟息女)に贈られたブロンズの「聖母子像」(ミケランジェロ模刻)も。
一度火災に遭って、現在は読めなくなってしまった台座裏面の但し書きの画像。
店名の由来となった世界各国のさまざまな笛。店主の山端氏が集められ、ご自身で演奏もなさいます。
午後3時、朗読会の開始です。
店主の山端氏は、尾崎のエッセイ「音楽への愛と感謝」から、光太郎との出会いを語る部分を。奥様は光太郎詩「こころに美をもつ」(昭和17年=1942)と「深夜の雪」(大正2年=1913)で。
ご常連の方、尾崎令孫の石黒敦彦氏、奥様のはとこに当たられる、高村豊周令孫も。
当方は光太郎が戦後になって「智恵子抄」収録詩を朗読した肉声の入ったCDを持参、皆さんに聴いていただきました。
最後に再び山端氏。光太郎詩「山からの贈物」(昭和24年=1949)。
その後、歓談タイム。「山からの贈物」ということで、鎌倉の山の方で採れたという巨大なトウガンなどが振る舞われました。
展示の方は、11月28日(火)までの火・金・土・日曜日に見られます。
「あじさい寺」として有名な明月院さん(尾崎家の墓所もあるそうで)の裏手です。ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
炭化沈香木 一寸珍に候へば少々進じまゐらせ候 茶にでもお使ひ下さらば幸甚
昭和20年(1945)4月 山端敏夫宛書簡より
「沈香(じんこう)」は香木の一種です。東南アジア原産で、おそらく日本では産出しないものでしょう。木彫の材としても使われます。
その沈香の炭を進呈するよ、茶を点てる時にでも使って下さい、と。宛先は「笛」店主山端氏の奥様の御尊父(光太郎の妹・しづの四男)です。この書簡、今年は出ていませんでしたが、昨年は展示されていました。
なぜ炭? というと、4月13日の空襲で焼けたということでしょう。光太郎、転んでもただでは起きません(笑)。