早世した碌山荻原守衛を除き、光太郎がほぼ唯一高く評価した同時代の日本人彫刻家・高田博厚。光太郎連翹忌が縁で、高田本人と、埼玉県東松山市の元教育長の故・田口弘氏が親しくなり、同市では高田の顕彰活動にも力を入れています。

平成29年(2017)、鎌倉にあった高田のアトリエが閉鎖された際に、大量の高田作品が同市に寄贈され、翌年から「彫刻家 高田博厚展」がこの時期に開催されるようになりました。

で、今年。

彫刻家 高田博厚展2023

期 日 : 2023年10月16日(月)~11月7日(火)
会 場 : 東松山市民文化センター 埼玉県東松山市六軒町5番地2
時 間 : 午前9時から午後5時まで
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

東松山市では、高田博厚のアトリエに残されていた彫刻作品や絵画等を2017年にご遺族から寄贈していただきました。以来、顕彰事業として展示会や講演会を毎年開催しています。今回は彫刻作品に加え、デッサンの一部を展示します。ぜひこの機会に彫刻家、高田博厚の世界をご堪能ください。

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関連行事が充実しています。

彫刻家 高田博厚展2023 特別講演会

演 題 : 「粘土から生まれる芸術~高田博厚の彫刻作品から見えるもの~」
講 師 : 陶芸家 畠山圭史氏
      東松山市在住
      日産自動車のカーデザイナーから陶芸家へ転身、
      NHK連続テレビ小説「スカーレット」で陶芸指導及び
      作品「水が生きている皿」を提供
期 日 : 2023年10月28日(土)
会 場 : 東松山市民文化センター 埼玉県東松山市六軒町5番地2
時 間 : 午後2時から午後3時30分
料 金 : 無料

定 員 : 80名(定員に達した場合は抽選)
申 込 : 9月1日(金曜日)から10月20日(金曜日)まで
      電子申請フォームにてお申し込みください。
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ひがしまつやまアートフェスタin高坂彫刻プロムナード

期 日 : 2023年10月22日(日)
会 場 : 高坂彫刻プロムナード 東武東上線高坂駅西口 埼玉県東松山市高坂1333-2
      雨天時は東松山市民文化センター
時 間 : 10時00分から15時00分まで

ワークショップ
 1.ECONECOペーパークラフト体験(イラストレーター 絵子猫)
 2.木に絵を描いてオリジナルストラップを作ろう!(うらら工房)
 3.絵本のせかいであそぼう~ぐりとぐらの帽子をつくる~(市立図書館)
 4.だれでもできる石こうアート(彫刻家 中澤庸江)
 5.作品展示(東松山美術協会)
 6.高田博厚に挑戦!一日彫刻家体験(東松山文化まちづくり公社)
 (注)2~6は参加無料、1はシャカシャカしおり作り500円、ミニ缶バッジ作り300円
 (注)6は事前申し込み制

ステージイベント
 10時00分 オープニングセレモニー
       ミニコンサート ヴァイオリニスト 榎本郁 ソプラノ歌手 利根川佳子
 10時40分 紙芝居「高坂彫刻プロムナードの偉人たち」 
 11時00分 大東文化大学ギタークラブ
 12時10分 白山中学校アンサンブル
 12時30分 白山中学校吹奏楽部
 13時00分 紙芝居「高坂彫刻プロムナードの偉人たち」ガンジー 宮沢賢治 新渡戸稲造
 13時30分 二胡演奏者 石崎幹夫
 14時00分 バイオリニスト 小澤薫 ピアニスト 宮林薫
 14時50分 閉会​

彫刻ガイドツアー
 きらめき市民大学の学生クラブ「高田博厚と遊ぼう会」によるガイドツアー。
 作品の説明を聞きながら、彫刻プロムナードをお楽しみください。
 集合時間(所要時間約1時間)
  1回目11時00分から
  2回目13時30分から
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高坂彫刻プロムナードには、光太郎胸像(昭和34年=1959)も含まれています。
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画像は平成30年(2018)、高田博厚彫刻展の関連行事として行われた堀江敏幸氏との公開対談で同市を訪れた、故・野見山暁治氏と光太郎胸像。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

本当にあるのですね。 あたたかい十三文の靴下。送つていたゞいて、小生の特大の足もよろこんでゐます。ばけもの屋敷で、あたたかい冬がこせそうです。有り難う存じます。


昭和16年(1941)12月10日 西倉保太郎宛書簡より 光太郎59歳

006身長が180センチ以上あった光太郎、当時としては大男。足のサイズはさらに規格外で、昭和5年(1930)のアンケート回答「自画像」には、「十三文半」と書いています。一文が約2.5㌢ですので、おおむね33.75㌢となります。

普通に売られていない特大サイズの靴下を送られた礼状ですが、「十三文半」ではなく「十三文」。それでもありがたかったようです。

ちなみに先述の故・田口弘氏も、戦後、花巻郊外旧太田村に蟄居していた光太郎にやはり特大の短靴を送りました。

光太郎曰く「小生の足のサイズを御記憶ありて心にかけてこの短靴をお探し下さつた御厚情に心をうたれました。使用中のものは既に破れはてて居りましたので此の春から早速役に立ち、まことにありがたく存じます、