現在、京橋のアーティゾン美術館 さんで開催中の「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」。につき、『朝日新聞』さんが光太郎の名を出しつつ報じて下さいました。

創造の現場―映画と写真による芸術家の記録 作家から迫る、日本近代美術

 運慶に雪舟、若冲と、いま日本の古美術の人気は高い。草間彌生や奈良美智らの現代美術もしかり。しかし、その間にある日本の近代美術は、どうもいま一つ。では、かつてはそこにどんな視線が注がれていたのか。今展からは、その一端が伝わる。でも主役は、絵画や彫刻ではない。作者たる芸術家たちの姿を捉えた映画や写真なのだ。
 灰が落ちそうなたばこをくわえたまま、左手に持った絵筆をぐいぐい運んでいる。
 1953年から64年にブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)が製作した「美術映画シリーズ」のうち「梅原龍三郎」(53年)に登場する、洋画壇の巨匠の姿だ。
 第1章では、梅原や高村光太郎ら6人の制作や日常の風景を捉えた約9~17分の映画6本と、5~7人の姿を約7~11分に収めた「美術家訪問」全10本を流している。前田正邨の1本を除きすべてモノクロだ。
 梅原の場合は天才性も漂うが、全体としては淡々とした演出で、ナレーションも「高村さん」とニュートラル。それでも熊谷守一は仙人然としているし、日本画家が意外にモダンな画室にいることも。
 「美術家訪問」第1集(54年、公益財団法人石橋財団蔵)の川島理一郎の制作風景では、モデルと描く画家の手による画面構成ながら、奥の鏡に川島の姿が見える、といったベラスケス風のアングルも登場する。
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 全体として感じる温かな視線は、確かな画壇の権威があればこそだろう。登場する作家の作品も並び、部屋の奥には光に満ちた戸外が見える石川寅治「農事忙」(47年、同財団蔵、)など、目にする機会の少ない作品との出あいもある。
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 第2章では、写真家・安齊重男による、田中敦子や草間ら現代作家の肖像写真群を紹介。彼らの作風や写真の画面は、ずっと洗練されている。
 作者と作品は分けるべき、という考えがある。一方で、ピカソや岡本太郎、草間らは作者像が作品と一体化する。近代美術にも当てはまるとすれば、新しいのにどこか古くさいイメージもある近代美術に、作家像から近づく手もあるだろう。今展は、その機会といえる。
▽11月19日まで、東京・京橋のアーティゾン美術館。月曜(休日の際は翌日)休館。


1ヶ月程前に拝観して参りましたが、各作家の息づかい、絵の具の香りまで感じられるような、濃密な空間でした。

11月19日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

隣組お仲間の記念として 謹呈


昭和16年(1941)8月(推定) 増倉清次郎宛名刺より 光太郎59歳

8月20日に刊行された『智恵子抄』を贈り、それに挟んであった名刺に書かれたひと言です。

戦時総動員体制の強化を目的に「隣組」制度が制定されたのは前年。同年、戦時歌謡「隣組」が、東京美術学校で光太郎の同級生だった岡本一平作詞、飯田信夫作曲、徳山璉(たまき)歌唱でレコード化されました。飯田と徳山のコンビは、この後、光太郎作詞の「歩くうた」も手がけ、ヒットさせました。

一方の手で『智恵子抄』、もう一方の手で翼賛詩歌、光太郎の大いなる矛盾でしたが、『智恵子抄』刊行後は翼賛一辺倒になっていきます。