ともに光太郎とゆかりの青森県十和田市と岩手県花巻市、30年程前から友好都市の協定を結んでいます。

そもそもは光太郎ではなく、新渡戸一族の縁だそうです。現在の十和田市中心街となっている三本木地区は元々は川が通っておらず、不毛の原野でした。そこで江戸時代の文政年間、花巻出身で盛岡藩士だった新渡戸傳(つとう)が、十和田湖を源流とする奥入瀬川から水を引いて人口の河川・稲生川を作る工事に着手しました。傳は旧5,000円札の肖像だった新渡戸稲造の祖父に当たります。灌漑工事は明治まで続き、稲造の父・十次郎、兄・七郎の三代が関わり、十和田市には三人の銅像も建てられています。作者は光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作時に光太郎の助手を務めた、青森野辺地町出身の小坂圭二でした。
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そういうわけで、両市の交流事業がこれまでもいろいろありました。

さらに来月、十和田市から花巻市への探訪ツアーが開催されます。『広報とわだ』の先月号から。
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花巻高村光太郎記念館、隣接する高村山荘さんも行程に入っています。ありがたし。若干先の話ですが、申し込みが10月13日(金)までとのことで……。

調べてみましたところ、昨年のこの時期にあった同じツアーでも記念館・山荘を訪れて下さっていました。記念館には「乙女の像」の中型試作なども展示されており、その意味ではインパクトがあったということでしょうか。今年もご訪問下さいます。
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また、遡って令和元年(平成31年)には、友好都市協定締結30周年の記念イベント等もあったとのこと。
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逆に花巻市から十和田市への訪問市民ツアーは、10月21日(土)。ただ、「乙女の像」やそれに関わる展示が為されている観光交流センター「ぷらっと」のある十和田湖には行かれないようですが。

今後はもう少し光太郎を前面に押し出しての友好都市交流が為されるとありがたいところです。そうしますと、他にも光太郎智恵子所縁の自治体さんはいろいろあるわけで、各地を結んで「光太郎智恵子サミット」なども開かれるといいのですが、なかなか難しいのかもしれませんね。

さて、十和田の皆さん、11月11日(土)の「花巻市探訪ツアー」、ぜひご参加下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨日は山百合の花をたくさんお届け下され御厚志まことにありがたく存じました、早速亡父と智恵子との写真に供へましたが殆ど部屋一ぱいにひろがり、実に壮観をきはめ、家の中に芳香みなぎり、山野の気満ちて、近頃これほど爽快に思つた事はありません、智恵子は殊に百合花が好きなので大喜びでせう。厚く御礼申上げます。 尚近く詩集「智恵子抄」を龍星閣から出版しますがお送りします故御註文なさらぬやうに願ひます。


昭和16年(1941)7月20日 宮崎稔宛書簡より 光太郎59歳

「好きだったので」と過去形ではなく「好きなので」と現在形。光太郎の中ではまだ智恵子は生きているのでしょう。

『智恵子抄』の刊行は1ヶ月後でした。