9月10日(日)、京橋のアーティゾン美術館さんを後に、地下鉄を乗り継いで千代田区の半蔵門ミュージアムさんへ。こちらでは「堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 大観・玉堂・青邨・蓬春」展が11月5日(日)まで開催中です。
日本画家・堅山南風が関東大震災を描いた「大震災実写図巻」全3巻を中心に、横山大観、棟方志功ら同時代の作家の作品(そちらは震災とは無関係)が展示されています。
南風は震災当時巣鴨に住んでいましたが、翌日から紙と矢立を手に東京市内、特に被害の大きかった下町方面を中心にスケッチをして廻り、二年後に31葉の絵を全3巻の絵巻として完成させました。ただし今回の展示、31葉全てが見られるように広げられているわけではありませんでした。
日本画ならではの墨が効果的に使われ、恐ろしいまでの臨場感でした。浅草凌雲閣(通称・十二階)が倒壊する様子(空中に投げ出された人まで描き込んでありました)などは伝聞や想像を元に描かれたものでしょうが、大半は自身の見た惨状。ドサクサに紛れて追い剥ぎをする人物なども描かれ、人間の暗部も描かれています。しかし、上中下と巻が進むにつれ、助け合って復興に向かう人々や、市外からの支援の様子なども題材となり、最後は犠牲者への鎮魂の祈りを込めた仏画で締めくくられています。
図録は刊行されていませんでしたが、4枚だけポストカードが販売されていました。
時系列順に。
残念ながらポストカードになっていませんでしたが、目当てはフライヤーにも使われていた中巻の「貼札ヲ着タ銅像」。光太郎の父・光雲が主任となって東京美術学校総出で作られた上野公園の西郷隆盛像が描かれています。
現物は撮影禁止だったものの、エントランスの大看板にほぼ実物大の画像があしらわれていて、そちらを撮りました。
この西郷像の姿、当時の動画にも収められていたり、現代でも森まゆみ氏の新著『聞き書き・関東大震災』では表紙に使われていたりと、いわば関東大震災を象徴するアイコンともいえるような感じですね。
再び地下鉄を乗り継いで、上野へ。
100年後のリアル西郷さん。
こちらが目的で上野に行ったわけではなく、「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」を拝観するため東京国立博物館さんに行くのが目的でしたが、ちょうど通り道だったもので。
というわけで、明日はトーハクさんをレポートいたします。
【折々のことば・光太郎】
今年のお初穂の餅は殊におめでたく早速亡父の霊前にもお供へいたしました 父光雲はすべてのたなつものの類に敬虔の念を持つて居りました 又納豆は小生の好物とて是又ありがたく頂戴いたしました
一昨日のこの項でご紹介した色紙二点の礼として、山形の銀行家・長谷川から餅と納豆を贈られた礼状の一節です。
「たなつもの」は穀物。「納豆は小生の好物」だったのですね。そういえば、花巻高村光太郎記念館さん前の「詩の森」さんで出していた「光太郎そば」には、「光太郎の好物だった」ということで納豆がトッピングされていました。「ほんとかよ?」と思っていたら本当でした(笑)。
ちなみに「詩の森」さん、先月末で閉店とのこと。残念です。しかし、キッチンカーで移動販売をなさっている方が「光太郎そば」を受け継ぐと言うお話もあるようです。
日本画家・堅山南風が関東大震災を描いた「大震災実写図巻」全3巻を中心に、横山大観、棟方志功ら同時代の作家の作品(そちらは震災とは無関係)が展示されています。
南風は震災当時巣鴨に住んでいましたが、翌日から紙と矢立を手に東京市内、特に被害の大きかった下町方面を中心にスケッチをして廻り、二年後に31葉の絵を全3巻の絵巻として完成させました。ただし今回の展示、31葉全てが見られるように広げられているわけではありませんでした。
日本画ならではの墨が効果的に使われ、恐ろしいまでの臨場感でした。浅草凌雲閣(通称・十二階)が倒壊する様子(空中に投げ出された人まで描き込んでありました)などは伝聞や想像を元に描かれたものでしょうが、大半は自身の見た惨状。ドサクサに紛れて追い剥ぎをする人物なども描かれ、人間の暗部も描かれています。しかし、上中下と巻が進むにつれ、助け合って復興に向かう人々や、市外からの支援の様子なども題材となり、最後は犠牲者への鎮魂の祈りを込めた仏画で締めくくられています。
図録は刊行されていませんでしたが、4枚だけポストカードが販売されていました。
時系列順に。
残念ながらポストカードになっていませんでしたが、目当てはフライヤーにも使われていた中巻の「貼札ヲ着タ銅像」。光太郎の父・光雲が主任となって東京美術学校総出で作られた上野公園の西郷隆盛像が描かれています。
現物は撮影禁止だったものの、エントランスの大看板にほぼ実物大の画像があしらわれていて、そちらを撮りました。
この西郷像の姿、当時の動画にも収められていたり、現代でも森まゆみ氏の新著『聞き書き・関東大震災』では表紙に使われていたりと、いわば関東大震災を象徴するアイコンともいえるような感じですね。
再び地下鉄を乗り継いで、上野へ。
100年後のリアル西郷さん。
こちらが目的で上野に行ったわけではなく、「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」を拝観するため東京国立博物館さんに行くのが目的でしたが、ちょうど通り道だったもので。
というわけで、明日はトーハクさんをレポートいたします。
【折々のことば・光太郎】
今年のお初穂の餅は殊におめでたく早速亡父の霊前にもお供へいたしました 父光雲はすべてのたなつものの類に敬虔の念を持つて居りました 又納豆は小生の好物とて是又ありがたく頂戴いたしました
昭和12年(1937)11月6日 長谷川吉三郎宛書簡より 光太郎55歳
一昨日のこの項でご紹介した色紙二点の礼として、山形の銀行家・長谷川から餅と納豆を贈られた礼状の一節です。
「たなつもの」は穀物。「納豆は小生の好物」だったのですね。そういえば、花巻高村光太郎記念館さん前の「詩の森」さんで出していた「光太郎そば」には、「光太郎の好物だった」ということで納豆がトッピングされていました。「ほんとかよ?」と思っていたら本当でした(笑)。
ちなみに「詩の森」さん、先月末で閉店とのこと。残念です。しかし、キッチンカーで移動販売をなさっている方が「光太郎そば」を受け継ぐと言うお話もあるようです。