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聞き書き・関東大震災

2023年9月1日 森まゆみ著 亜紀書房 定価2,000円+税

〈 1923年に起きた関東大震災から100年 〉
 著者が地域雑誌『谷根千』を始めたころ、町にはまだ震災を体験した人びとが多く残っていた。それらの声とその界隈に住んでいた寺田寅彦、野上弥生子、宮本百合子、芥川龍之介、宇野浩二、宮武外骨らの日記など、膨大な資料を紐解き、関東大震災を振り返る。
 地震の当日、人々はどのように行動したのか、その後、記憶はどのように受け継がれているのか。小さな声の集積は、大きな歴史では記述されない、もう一つの歴史でもある。そこから何を学ぶことができるのだろうか。
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目次
 ■序言………災害は忘れた頃にやってくる――寺田寅彦
 ■第1章……一九二三年九月一日004
  震災まで
  九月一日、発災当日
  谷中
  上野の美術展、初日
  根津の谷
  千駄木あたり
  本郷に火が迫る
  東京帝国大学構内の火事
  被害の少なかったお邸町
  上野桜木町
  上野の山をめざせ
  尾根沿いに日暮里へ
  田端文士村
 ■第2章……一夜が明けて、九月二日
  九月二日、発災翌日
  自警団
  九月三日朝、池之端焼ける
 コラム 林芙美子 根津神社の野宿
 ■第3章……本所から神田、浅草など
  被害のひどかった本所
  神田周辺005
  佐久間町の奇跡
  下谷区、浅草区
  浅草十二階
  溺死した吉原の遊女たち
  神奈川県の被害――横浜、鎌倉、小田原
 コラム 藤沢清造 小説家のルポルタージュ
 ■第4章……震災に乗じて殺された人びと
  朝鮮人虐殺
  中国人の虐殺
  殺された、間違われた日本人
  社会主義者の拘束
  亀戸事件
  大杉栄・伊藤野枝事件
  虎ノ門事件――摂政官狙撃  
 コラム 宮武外骨
 『震災画報』でいち早く知らせる
 ■第5章……救援――被災者のために
  行政の避難救護と食料配給
  遺体処理
  医療
  教育
  ボランティア
  鉄道輸送
  変わる暮らし
 コラム 宮本百合子 二〇代の作家がつづった関東大震災
 ■第6章……震災で変わった運命
  やってきた人、去っていった人たち
  文学者たち
  震災後に歌われた二つの童謡
  奏楽堂のパイプオルガン
  根岸子規庵の去就
  上野動物園の象
 ■第7章……帝都復興計画
  後藤新平の震災復興
  復興小学校
  復興公園・本郷元町公園
  同潤会アパート
  経済的打撃から昭和恐慌へ
  東京都慰霊堂
 ■第8章……今までの災害に学ぶこと
  江戸時代の地震
  斎藤月岑『安政乙卯江地動之記』
  鯰絵
  不忍池と上野公園の意味
  井戸のある暮らし――谷根千の水環境
  阪神・淡路大地震
  三・一一、東日本大地震
 コラム 永井荷風 江戸と明治の終わり
 ■正しく怖がり適切に備えるために――東京大学平田直名誉教授に聞く
 あとがき


森氏らがかつて発行していた『地域雑誌 谷中根津千駄木』(谷根千)などから、関東大震災に関わる主に谷根千地区の住民の皆さんの証言等を抜き出し、ほぼ時系列順に並べて、新たに解説が付されています。一部、神奈川県での被災の様子も含みます。
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千駄木に居住していた光太郎の名も。元ネタは『谷根千』第51号(平成9年=1997)に載った、画家にして詩人の難波田龍起への聞き書き「駒込林町 高村光太郎のいた頃」。難波田は光太郎住居兼アトリエのすぐそばに住んでいました。他の箇所には光雲の名もちらりと。

光雲と言えば、表紙には光雲が主任となって東京美術学校総出で作られた上野公園の「西郷隆盛像」があしらわれています。こちらの元ネタはジャーナリスト・宮武外骨の『震災画報』。上の方に元絵を載せておきました。

難波田の回想では、光太郎との交流は震災がきっかけだったそうです。

 僕が目白から早稲田の高等学院に入ったのは大正十二年。その年の秋が関東大震災で、自警団ができたときに高村光太郎さんと夜警で会って、初めてあいさつをするようになったんです。久留米絣の筒袖を着て鳥打帽をかむった高村さんがポストに手紙を出しにいくのは子どもの頃からよく見ていたんですが。

自警団」に関しては、光太郎が編集者・龍田秀吉に送った翌年2月22日の書簡に記述があります。

今日はわざわざ来て下さつたのに、昨夜徹宵したのと、今夜の夜警勤務の支度とのため、丁度寝たところで、とてもねむくてねむくて起きられなかったので、知りながら其のまま睡つてしまひ、失敬しました。(略)今夜は此から明朝まで夜警小屋に出るのです。

震災から半年近く経っても、夜警が行われていたのですね。まさか光太郎は道行く人を捕まえて「井戸に毒を投げ入れただろう!「十五円五十銭」と言ってみろ!」などということはやらなかったと思いますが……。

震災後に起こった種々の虐殺事件について、本書では一章を割いています。「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」とほざいた政府高官にぜひ読んでいただきたいところです。蛙の面に小便かもしれませんが。

閑話休題、『聞き書き・関東大震災』、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生は明日午后神戸へ急にまゐります、帰国する弟を迎へにゆくのですが、此弟とは十九年も会はないわけです、一時フランスで行衛不明にだつた弟です、どんなに変つてゐるかと思ひます、


昭和10年(1935)8月17日 中原綾子宛書簡より 光太郎53歳

」は、三歳違いのすぐ下の弟・道利。軍人志望や結婚を光雲に反対され、半ば自暴自棄になって渡欧したまま、やがて音信不通になっていました。それがフランスの大使館から慈善病院的な所に入院しているが、送還するので引き取って欲しいという知らせが来、その受け取りでした。

道利の下の弟・豊周の回想に依れば、道利の渡欧は大正10年(1921)頃とのことでしたが、「十九年も会はない」となれば1935-19=1916で、大正5年となります。

その後、道利は昭和20年(1945)、縦穴の防空壕に転落した事故が元で亡くなりました。