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創造の現場―映画と写真による芸術家の記録

期 日 : 2023年9月9日(土)~11月19日(日)
会 場 : アーティゾン美術館 東京都中央区京橋1-7-2
時 間 : 10:00 〜 18:00 祝日を除く毎週金曜日は20:00まで
休 館 : 月曜日 祝日の場合は開館し翌平日は振替休日
料 金 : 一般1,200 円(ウェブ予約チケット)
      ※予約枠に空きがある場合、窓口販売チケット(1,500円)購入可

 1953 年、アーティゾン美術館の前身となるブリヂストン美術館は映画委員会を発足しました。「美術映画シリーズ」と冠し、1964年までに61人の芸術家を取材して17本の記録映画を製作しました。これらは梅原龍三郎(1888-1986)や高村光太郎(1883-1956)、前田青邨(1885-1977)と いった日本の芸術家たちの制作風景や日常の様子を記録した、大変貴重な映像資料です。プロジェクトの発案者は当館創設者石橋正二郎の長男、石橋幹一郎でした。映画委員会の委員長に就任した幹一郎は「本当に美術を愛し、理解に努力している人びとの助けとなり、また芸術の先達たちの動く肖像画を伝える」ことを念願し、事業を主導しました。その結果、1950年代に盛んになる美術映画において特に近代美術の分野で先駆的な役割を果たし、イタリアの国際映画祭で受賞するなど国内外で評価を得ました。

 また、近年当館は現代美術の現場を記録し続けた写真家、安齊重男(1939-2020)の作品を収集しています。安齊は自らを現代美術の伴走者と称し、1970年代からアーティストのポートレイトや、一過性のインスタレーション、パフォーマンスなどの撮影を手がけてきました。本展では「美術映画シリーズ」の全貌をご紹介するとともに、その取材対象となった芸術家たちによる作品、そして安齊による写真作品を展観します。当館のコレクションに国内の美術館からの借用作品を加えた約80点で構成します。「美術映画シリーズ」と安齊作品とを並列することで、日本の近現代美術の制作現場を概観することにもなるでしょう。「創造の現場」を捉えた映画と作品の魅力をお楽しみください。

見どころ
1 ブリヂストン美術館映画委員会製作「美術映画シリーズ」を一挙公開
 ブリヂストン美術館は開館翌年の1953年から1964年までに61人の芸術家 を取材し17本の映画を製作しました。日本映画近代化の立役者ヘンリー小谷の甥で記録映画プロデューサーの高場隆史や、抽象画家の小谷博貞、青木繁の一人息子で尺八奏者の福田蘭童らが製作に携わり、記録性だけでなく芸術性にも配慮された内容でした。これまであまり紹介されてこなかったこれらの映画について、その全貌をご紹介します。

2 安齊重男によるアーティストたちの
制作現場を捉えた写真約30点を展示
 安齊重男は自らを現代美術の伴走者と称し、国内外のアーティストたちのポートレイトや制作現場を写真によって記録してきました。当館には安齊が生前自ら選んだ206点の写真作品が収蔵されており、それらのなかから特に石橋財団コレクションと関連の深い作家の肖像写真や制作風景などをおさめた約30点をまとめて展示します。

3 日本近現代美術の「創造の現場」を一堂に
 「美術映画シリーズ」では1950~60年代、安齊重男の作品では1970年代以降の日本の芸術家たちのアトリエでの制作風景や日常の素顔などが記録されています。映画には梅原龍三郎が実際に左手に絵筆を持って描く姿や川合玉堂の肉声などがおさめされ、貴重な記録となっています。本展はこれらの映画と写真を一堂に集めて日本近現代美術の「創造の現場」を展観する試みです。

展覧会構成
第1章 映画のなかの芸術家たち─美術映画シリーズ
 梅原龍三郎、川合玉堂、高村光太郎、前田青邨など美術界の巨匠たちを取材し、アトリエでの制作風景や日常の様子を記録した、ブリヂストン美術館「美術映画シリーズ」。本章では、これらに登場する作家たちの映像とともに彼らの作品をご紹介します。

第2章 写真のなかの芸術家たち─安齊重男の眼
 安齊重男(1939-2020)は、自らを現代美術の伴走者と称し1970年代からアーティストのポートレイトや、一過性のインスタレーション、パフォーマンスなどの撮影を手がけてきました。本章では、現在200点以上所蔵する当館の安齊作品のなかから約30点ご紹介します。
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というわけで、美術家たちのまさしく「創造の現場」を追う展示です。

光太郎のそれ(昭和29年=1954)を含む、旧ブリヂストン美術館時代に制作された「美術映画」17本と、それらとその他のスチール写真、関連する作品等の展示。光太郎彫刻は、竹橋の国立近代美術館さん所蔵の「手」(大正7年=1918)が出ます。ただし、大人の事情があるようで、9月12日(火)からの展示だそうです。
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「美術映画 高村光太郎」は、光太郎が生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、7年ぶりに岩手から上京して入った中野の貸しアトリエでの制作風景が映ります。また、像の除幕後、一時的に帰村した花巻郊外旧太田村での映像も。

他に取り上げられる作家は、梅原龍三郎、川合玉堂、鏑木清方、坂本繁二郎、前田青邨ら。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

よく観察してゐますと智恵子の勝気の性情がよほどわざはひしてゐるやうに思ひます、自己の勝気と能力との不均衡といふ事はよほど人を苦しめるものと思はれます、智恵子に平常かかる点で徹底した悟入を与へる事の出来なかつたのは小生の無力の致すところと存じます、


昭和10年(1935)2月8日 中原綾子宛書簡より 光太郎53歳

療養先の九十九里浜から引き取られた心を病む智恵子を評しています。この頃は郊外に静かな貸家を探していましたがことごとく断られていました。