9月1日(金)は、関東大震災からちょうど100年となります。
区切りのいい年ですので、各種メディア等でも取り上げていますし、関連するイベント等も多く計画されているようです。
一昨日の『毎日新聞』さん夕刊。
区切りのいい年ですので、各種メディア等でも取り上げていますし、関連するイベント等も多く計画されているようです。
一昨日の『毎日新聞』さん夕刊。
震災時の写真を手に探した影 関東大震災100年
関東大震災から100年の移り変わりを写真に収めるため、本社に残る1世紀前の写真を手に街を歩いた。1923(大正12)年9月1日に発生し、近代以降で最大規模の被害となった災害の死者・行方不明者は10万人以上に及んだ。
発生当初の惨状を記録した数百枚から人の営みが伝わる写真を選定した。当時のカメラマンの正確な撮影位置を探し求めて炎天下を汗だくになって歩いた。東京大空襲や高度成長を経た首都圏の風景は形を変え、結局、当時と比較できたのはわずかだった。
2枚を見比べると、私たちが見慣れた風景に100年前の未曽有の災害が現実味を帯びてくる。東京都防災会議の昨年5月の発表によると、最大震度7の「都心南部直下地震」は今後30年以内に70%の確率で起こると予想されている。
もし再び大地震が発生したら、我々も公園や駅などの開けた場所に逃げるかもしれない。ファインダーの中に地続きの歴史を垣間見た気がした。
記事本体は短いものですが、写真が大きく掲載されていました。そのうちのトップの1葉が、光太郎の父・光雲を主任として東京美術学校総出で制作された上野公園の西郷隆盛像。この画像だけでB4判ほどの大きさでした。
まったく同じアングルから撮影した写真を合成したもので、左が現在の様子、右が震災時の古写真。長いキャプションがついています。
彫刻家の高村光雲作で1897年に完成した上野公園の西郷隆盛像。その周辺は震災直後から行方不明者を捜す張り紙であふれていた。火災を免れた公園内は救護所などが設置されたという=写真右は1923年9月
同じ手法で、銀座、浅草、日暮里駅、そして鎌倉鶴岡八幡宮の画像も。
オリジナルの写真がこちら。
この伝言板と化した西郷像のインパクトは大きかったようです。
こちらは古絵葉書。
日本画家の堅山南風の描いた「大震災実写図巻」の一部。昨日、NHK Eテレさんで放映された「日曜美術館 アートシーン」内で映りました。
こちらは千代田区の半蔵門ミュージアムさんで開催中の特集展示「堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 大観・玉堂・青邨・蓬春」で展示されているそうです。フライヤーにも使われていました。
【折々のことば・光太郎】
一日に小生二三時間の睡眠でもう二週間ばかりやつてゐます、病人の狂躁状態は六七時間立てつづけに独語や放吟をやり、声がかれ息がつまる程度にまで及びます、拙宅のドアは皆釘づけにしました、往来へ飛び出して近隣に迷惑をかける事二度、器物の破壊、食事の拒絶、小生や医師への罵詈、薬は皆毒薬なりとてうけつけません、
心を病んだ智恵子の病状、親交のあった歌人の中原綾子に宛てた複数の書簡に細かく記されています。
記事本体は短いものですが、写真が大きく掲載されていました。そのうちのトップの1葉が、光太郎の父・光雲を主任として東京美術学校総出で制作された上野公園の西郷隆盛像。この画像だけでB4判ほどの大きさでした。
まったく同じアングルから撮影した写真を合成したもので、左が現在の様子、右が震災時の古写真。長いキャプションがついています。
彫刻家の高村光雲作で1897年に完成した上野公園の西郷隆盛像。その周辺は震災直後から行方不明者を捜す張り紙であふれていた。火災を免れた公園内は救護所などが設置されたという=写真右は1923年9月
同じ手法で、銀座、浅草、日暮里駅、そして鎌倉鶴岡八幡宮の画像も。
オリジナルの写真がこちら。
この伝言板と化した西郷像のインパクトは大きかったようです。
こちらは古絵葉書。
日本画家の堅山南風の描いた「大震災実写図巻」の一部。昨日、NHK Eテレさんで放映された「日曜美術館 アートシーン」内で映りました。
こちらは千代田区の半蔵門ミュージアムさんで開催中の特集展示「堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 大観・玉堂・青邨・蓬春」で展示されているそうです。フライヤーにも使われていました。
堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 大観・玉堂・青邨・蓬春
期 日 : 2023年7月19日(水)~11月5日(日)
会 場 : 半蔵門ミュージアム 東京都千代田区一番町25
時 間 : 10時00分~17時30分
休 館 : 毎週月曜日・火曜日(月曜日・火曜日が、祝日や振替休日にあたる場合も休館)
料 金 : 無料
歴史に学び、防災意識を高めるためにも、ぜひ足をお運び下さい。1923年の関東大震災から100年の節目をむかえる本年、堅山南風《大震災実写図巻》を展示します。巣鴨で被災した南風は浅草や上野に出向いて、被害状況や復興に至る様子を描き留め、のちに31枚の絵を3巻に仕立てました。その描写から、当時の人々の苦悩・悲哀や助け合いの様相が伝わります。
あわせて、南風と同時代の画家による作品12点を初公開します。会期前半の9月10日までは、日本の風景を題材とした、横山大観、川合玉堂、棟方志功、山田申吾の作品です。9月13日以降の会期後半は、竹内栖鳳、鏑木清方、小杉放菴、前田青邨、山口蓬春による人物や動植物の絵画を紹介します。
【折々のことば・光太郎】
一日に小生二三時間の睡眠でもう二週間ばかりやつてゐます、病人の狂躁状態は六七時間立てつづけに独語や放吟をやり、声がかれ息がつまる程度にまで及びます、拙宅のドアは皆釘づけにしました、往来へ飛び出して近隣に迷惑をかける事二度、器物の破壊、食事の拒絶、小生や医師への罵詈、薬は皆毒薬なりとてうけつけません、
昭和10年(1935)1月8日 中原綾子宛書簡より 光太郎53歳
心を病んだ智恵子の病状、親交のあった歌人の中原綾子に宛てた複数の書簡に細かく記されています。