定期購読している雑誌から。
まずは毎月ご紹介しております『月刊絵手紙』さん。「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載がなされています。今号は昭和28年(1953)に書かれた評論『書の深淵』の一節です。
まずは毎月ご紹介しております『月刊絵手紙』さん。「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載がなされています。今号は昭和28年(1953)に書かれた評論『書の深淵』の一節です。
曰く、
われわれは書の意味を忘れることが出来ない。天と書いてあれば、まずスカイとよむが、外国人ならただ四本の線の面白い組み合わせ、書かれた線と空白との織り成す比例均衡の美だけを見るだろう。書の制限から解放せられて、自分でも自由自在な抽象美を創り出すことの出来る芸術境に進むことが無理なく行われるであろう。その点われわれにとっては相当の無理と抵抗とに悩むことになるであろう。
晩年、書に並々ならぬ関心を寄せ、書の個展を開くことまで夢想していた光太郎ならではの書論です。書は書かれている文字の意味抜きには成立せず、さりとて造型性ももちろん重要。詩での言葉による芸術と、彫刻で造形芸術とを極めようとした光太郎、その二つを融合させたところに「書」のありようを見ていたのかもしれません。
続いて『日本古書通信』さん。
元慶應義塾大学教授の田坂憲二氏による「古田晁記念館のことなど JR五
路線で巡る信州路」という記事が載っています。
光太郎や、当会の祖・草野心平と交流の深かった、筑摩書房さんの元社長の故・古田晁を顕彰する古田晁記念館さん(長野県塩尻市)、そして安曇野市の碌山美術館さんのレポートです。
古田晁記念館さんには、筑摩さんの社長室に永らく飾られていたという高田博厚作の光太郎像(昭和34年=1959)や、心平の書画(昨年、山梨県立文学館さんで開催された企画展「歿後30年 草野心平展 ケルルン クックの詩人、富士山をうたう。」にも展示されました)などが並んでいます。残念ながらそのあたりの記述がありませんでしたが。
碌山美術館さんの方は、現在開催中の企画展「荻原守衛生誕140周年記念特別企画展 傑作《女》を見る」についてでした。こちらでも光太郎についての記述がなかったのが少々不満ですが(笑)。
『月刊絵手紙』さん、『日本古書通信』さん、よく言えばいずれも派手さのない堅実な、悪く言えば地味な雑誌ですが、末永く続いていただきたいものです。
われわれは書の意味を忘れることが出来ない。天と書いてあれば、まずスカイとよむが、外国人ならただ四本の線の面白い組み合わせ、書かれた線と空白との織り成す比例均衡の美だけを見るだろう。書の制限から解放せられて、自分でも自由自在な抽象美を創り出すことの出来る芸術境に進むことが無理なく行われるであろう。その点われわれにとっては相当の無理と抵抗とに悩むことになるであろう。
晩年、書に並々ならぬ関心を寄せ、書の個展を開くことまで夢想していた光太郎ならではの書論です。書は書かれている文字の意味抜きには成立せず、さりとて造型性ももちろん重要。詩での言葉による芸術と、彫刻で造形芸術とを極めようとした光太郎、その二つを融合させたところに「書」のありようを見ていたのかもしれません。
続いて『日本古書通信』さん。
元慶應義塾大学教授の田坂憲二氏による「古田晁記念館のことなど JR五
路線で巡る信州路」という記事が載っています。
光太郎や、当会の祖・草野心平と交流の深かった、筑摩書房さんの元社長の故・古田晁を顕彰する古田晁記念館さん(長野県塩尻市)、そして安曇野市の碌山美術館さんのレポートです。
古田晁記念館さんには、筑摩さんの社長室に永らく飾られていたという高田博厚作の光太郎像(昭和34年=1959)や、心平の書画(昨年、山梨県立文学館さんで開催された企画展「歿後30年 草野心平展 ケルルン クックの詩人、富士山をうたう。」にも展示されました)などが並んでいます。残念ながらそのあたりの記述がありませんでしたが。
碌山美術館さんの方は、現在開催中の企画展「荻原守衛生誕140周年記念特別企画展 傑作《女》を見る」についてでした。こちらでも光太郎についての記述がなかったのが少々不満ですが(笑)。
『月刊絵手紙』さん、『日本古書通信』さん、よく言えばいずれも派手さのない堅実な、悪く言えば地味な雑誌ですが、末永く続いていただきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
私は此の哄笑の中に含まれるもの、又此の含まれるものから起る哄笑のひびきに対する同感から敢て此の翻訳を世に送るのである。
雑纂「訳書『リリユリ』序文」より 大正13年(1924) 光太郎42歳
『リリユリ』は、大正8年(1919)に刊行されたロマン・ロランの短い戯曲です。ロランの作の中ではあまり有名な作品ではなく、なぜわざわざこれを翻訳し、単行本化までしたのかというと、例え短いマイナーな作品であっても、そこに見るべきものがちゃんとあり、有名か否か、大作かどうかを判断の基準にすべきでないという光太郎の姿勢が反映されているからです。
同じ文章での『リリユリ』評。
「リリユリ」はむしろロマン ロランの主要な著作には属せないものである。偉大な交響楽にも比すべき小説「ジヤン クリストフ」、「ラアム アンシヤンテ」などの間に挟まつて、あの快活極まりなき「コラ ブリユニヨン」と共に、そのゴオル精神の奥底から迸出した気魄に満ちた好個の小さな一中間曲である。
なるほど、音楽に例えるとわかりやすいかもしれません。