昨日は午後から横浜市に行っておりました。
メインの目的は「元井美智子自作自演コンサート2023」。港の見える丘公園内のイギリス館さんでの開催でした。
そちらは18:30開演で、一旦、会場を通り過ぎ、当初予定通りすぐ近くでよく足を運ぶ神奈川近代文学館さんにまず行きました。
ただし、展示室の方ではなく閲覧室に(だいたいいつもそうですが)。
側溝に猫が二匹。最初「死んでるのか?」と思ったのですが、どうやらあまりの暑さに涼をとっているだけのようでした(笑)。
国会図書館さんのデジタルデータリニューアルでいろいろ新情報を得ましたが、同データの「館内限定閲覧」扱いのもののうち、何点かはこちらにも所蔵があるので、閲覧。さらにそれとは別個の光太郎について書かれた部分がある現代の書籍で、必要な箇所をコピーして参りました。
閲覧室の利用が17:00までで、その後、早めの夕食を摂りに中華街へ歩きました。考えてみると、コロナ禍が始まって以後、初めてでした。
再び港の見える丘公園へ歩いて戻り、イギリス館さんへ。まだ時間がありましたので、館内を拝観。
外観の模型。こちらの建物、昭和12年(1937)の竣工だそうで、元は英国総領事の公邸でした。そのあたり、いかにも、という造作です。
壁や天井など、お約束のコテコテ装飾等は施されていませんで、古建築好きとしてはちょっと物足りないなと思いつつも、却って質素な感じには好感が持てました。
さて、開演時間が迫り、一階ホールへ(ホールといっても、元は大広間)。
何とまあ、観客は当方一人でした。
元々、あまり大々的に宣伝をなさっていたわけでもなく、また、申し込みがあったものの、この暑さで体調を崩されキャンセル、という方が複数いらしたそうで。
というわけで、なんとも贅沢な一人だけのコンサート(笑)。すぐ目の前で弾いて下さいましたし、至福のひとときとなりました。ただ、配信のための動画撮影はなさっていたので、純粋に当方だけのためというわけではありませんでしたが(笑)。
オリジナルの曲にのせ、元井さんご自身が詩の朗読。「あどけない話」「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」。あくまで「朗読」で、故・米川敏子氏作曲の歌として歌われる「千鳥と遊ぶ智恵子」や、故・小山清茂氏による節回しがつく語りという形式の「樹下の二人」などとは異なっていました。それがかえって自然な感じで良かったと思いました。
ちなみに琴で朗読、というと、故・清水脩氏が昭和34年(1959)に作曲、レコード化されています。しかし、こちらは朗読が主で琴は伴奏、という感じでした。レコードでは故・竹脇無我さんと栗原小巻さんが朗読をなさっていました。
その点、元井さんのそれは、朗読と琴の一体感、不即不離感という意味では、実に良かったと思いました。
聴きながら、二本松の智恵子生家には智恵子が少女時代に使っていた琴があったっけな、と思い出しました。
ただ、あまり熱心ではなかったようで、琴に関するこれといったエピソードは残っていませんが。
その後、「茶摘み」「夏は来ぬ」をオリジナルの編曲で。さらに、完全オリジナルの「青女」。「青女」とは、中国の古典に出て来る霜・雪を降らすという女神で、俳句の季語にも使われる語です。「季節外れですけど、猛暑の毎日なので、これを聴いて少しでも涼んでいただきたい」とのことでした。
アルペジオの部分など、たしかに舞い散る粉雪のような感じ。なるほど、と思いました。
コンサートの前後、途中でもいろいろお話をさせていただきました。何しろ当方一人でしたので(笑)。琴に関する豆知識や、光太郎智恵子についても。元井さん、花巻郊外旧太田村の高村山荘、光太郎記念館にも行かれたそうで、「記念館の解説板を書いた者です」というと、目を丸くなされていました。ぜひ二本松の智恵子生家にも行って下さい的なお話(智恵子の琴の件は言い忘れてしまいましたが)、それから例によって連翹忌の御案内。来年の第68回連翹忌の集いにはいらしていただけるようです。
というわけで、以上、横浜レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
皆さまがおよろこび下さつたので私もこれほどうれしい事はないと思ひました、今度の制作であなたからうけた御親切は到底忘れる事が出来ません、
「今度の制作」は「成瀬仁蔵胸像」。智恵子の母校・日本女子大学校から制作依頼があったのが大正8年(1919)でした。その後、造っては毀しの繰り返しで、完成までに何と14年。そりゃまぁ「あなたからうけた御親切は到底忘れる事が出来ません」となりますね。
同像は現在も日本女子大学さんの成瀬記念講堂ステージ上に鎮座ましましています。昨日、横浜へ向かう途中、カーナビのテレビでNHK Eテレさんの「宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる (4)あまねく「いのち」を見つめて」が再放送されていて、拝見しながら行ったのですが、賢治の早世した妹・トシも同校卒業生ということで、この像がちらっと映りました。
メインの目的は「元井美智子自作自演コンサート2023」。港の見える丘公園内のイギリス館さんでの開催でした。
そちらは18:30開演で、一旦、会場を通り過ぎ、当初予定通りすぐ近くでよく足を運ぶ神奈川近代文学館さんにまず行きました。
ただし、展示室の方ではなく閲覧室に(だいたいいつもそうですが)。
側溝に猫が二匹。最初「死んでるのか?」と思ったのですが、どうやらあまりの暑さに涼をとっているだけのようでした(笑)。
国会図書館さんのデジタルデータリニューアルでいろいろ新情報を得ましたが、同データの「館内限定閲覧」扱いのもののうち、何点かはこちらにも所蔵があるので、閲覧。さらにそれとは別個の光太郎について書かれた部分がある現代の書籍で、必要な箇所をコピーして参りました。
閲覧室の利用が17:00までで、その後、早めの夕食を摂りに中華街へ歩きました。考えてみると、コロナ禍が始まって以後、初めてでした。
再び港の見える丘公園へ歩いて戻り、イギリス館さんへ。まだ時間がありましたので、館内を拝観。
外観の模型。こちらの建物、昭和12年(1937)の竣工だそうで、元は英国総領事の公邸でした。そのあたり、いかにも、という造作です。
壁や天井など、お約束のコテコテ装飾等は施されていませんで、古建築好きとしてはちょっと物足りないなと思いつつも、却って質素な感じには好感が持てました。
さて、開演時間が迫り、一階ホールへ(ホールといっても、元は大広間)。
何とまあ、観客は当方一人でした。
元々、あまり大々的に宣伝をなさっていたわけでもなく、また、申し込みがあったものの、この暑さで体調を崩されキャンセル、という方が複数いらしたそうで。
というわけで、なんとも贅沢な一人だけのコンサート(笑)。すぐ目の前で弾いて下さいましたし、至福のひとときとなりました。ただ、配信のための動画撮影はなさっていたので、純粋に当方だけのためというわけではありませんでしたが(笑)。
まず、「智恵子抄より」。
オリジナルの曲にのせ、元井さんご自身が詩の朗読。「あどけない話」「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」。あくまで「朗読」で、故・米川敏子氏作曲の歌として歌われる「千鳥と遊ぶ智恵子」や、故・小山清茂氏による節回しがつく語りという形式の「樹下の二人」などとは異なっていました。それがかえって自然な感じで良かったと思いました。
ちなみに琴で朗読、というと、故・清水脩氏が昭和34年(1959)に作曲、レコード化されています。しかし、こちらは朗読が主で琴は伴奏、という感じでした。レコードでは故・竹脇無我さんと栗原小巻さんが朗読をなさっていました。
その点、元井さんのそれは、朗読と琴の一体感、不即不離感という意味では、実に良かったと思いました。
聴きながら、二本松の智恵子生家には智恵子が少女時代に使っていた琴があったっけな、と思い出しました。
ただ、あまり熱心ではなかったようで、琴に関するこれといったエピソードは残っていませんが。
その後、「茶摘み」「夏は来ぬ」をオリジナルの編曲で。さらに、完全オリジナルの「青女」。「青女」とは、中国の古典に出て来る霜・雪を降らすという女神で、俳句の季語にも使われる語です。「季節外れですけど、猛暑の毎日なので、これを聴いて少しでも涼んでいただきたい」とのことでした。
アルペジオの部分など、たしかに舞い散る粉雪のような感じ。なるほど、と思いました。
コンサートの前後、途中でもいろいろお話をさせていただきました。何しろ当方一人でしたので(笑)。琴に関する豆知識や、光太郎智恵子についても。元井さん、花巻郊外旧太田村の高村山荘、光太郎記念館にも行かれたそうで、「記念館の解説板を書いた者です」というと、目を丸くなされていました。ぜひ二本松の智恵子生家にも行って下さい的なお話(智恵子の琴の件は言い忘れてしまいましたが)、それから例によって連翹忌の御案内。来年の第68回連翹忌の集いにはいらしていただけるようです。
というわけで、以上、横浜レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
皆さまがおよろこび下さつたので私もこれほどうれしい事はないと思ひました、今度の制作であなたからうけた御親切は到底忘れる事が出来ません、
昭和8年(1933)4月23日 仁科節子宛書簡より 光太郎51歳
「今度の制作」は「成瀬仁蔵胸像」。智恵子の母校・日本女子大学校から制作依頼があったのが大正8年(1919)でした。その後、造っては毀しの繰り返しで、完成までに何と14年。そりゃまぁ「あなたからうけた御親切は到底忘れる事が出来ません」となりますね。
同像は現在も日本女子大学さんの成瀬記念講堂ステージ上に鎮座ましましています。昨日、横浜へ向かう途中、カーナビのテレビでNHK Eテレさんの「宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる (4)あまねく「いのち」を見つめて」が再放送されていて、拝見しながら行ったのですが、賢治の早世した妹・トシも同校卒業生ということで、この像がちらっと映りました。