7月23日(日)、安曇野市の碌山美術館さんをあとに、愛車を南に向けました。目指すは松本市。

甲信方面はなぜか光太郎と交流のあった人物の記念館や、それらの人物の作品を収めた美術館等が多く、碌山美術館さんに行った際にはもう一つ、ハシゴして帰るのが昔からのルーティーンです。

今回訪れたのは、松本市のはずれ、のどかな田園地帯の一角にあるにある窪田空穂記念館さん。窪田空穂の生家のかたわらに建てられています。
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窪田は光太郎より6歳年上の明治10年(1877)生まれ。初期の『明星』に参加した歌人で、その頃から光太郎と交流がありました。そして光太郎がらみで最も多く取り上げられるのが、大正2年(1913)夏、上高地の清水屋旅館でたまたま同宿となったこと。この際には智恵子も後から光太郎を追いかけて上高地に現れ(しめしあわせていたのですが)、ここで二人は結婚の約束をしました。

窪田が下山するのと入れ違いに智恵子が登ってきて、窪田は智恵子を迎えに途中の岩魚止までやってきた光太郎と智恵子を目撃、帰京後、『東京日日新聞』に「美くしい山上の恋―洋画家連口アングリ―」というゴシップ記事を匿名で寄稿した他、複数の回想でこの夏の上高地の様子や、その前後の『明星』時代の光太郎について書き残しています。

まずは生家。
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玄関には式台があり、なかなかの格式です。名家だったことがよくわかります。
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衝立の裏側は、何やら洋画風の絵。
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座敷の感じや、むき出しの梁(はり)など、古建築好きにはたまりません。
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縁側にはちょっと変わった七夕飾り。おそらくこの辺りは旧暦で実施するのでしょう。
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庭からの外観。
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戦時中、窪田が疎開的に帰って来て暮らしていたという離れ。
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道をはさんで反対側の記念館。
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撮影禁止という表示が見あたらなかったので……。
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大正2年(1913)、光太郎と同宿だった上高地関連。光太郎の名も。
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右は昭和9年(1934)刊行の『日本アルプスへ・日本アルプス縦走記』に載った挿画。画家の茨木猪之吉が描いたもので、光太郎を含む、大正2年(1913)夏に同宿だった面々のカリカチュアです。
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馬面だった光太郎の特徴をよく捉えてはいますが、若干の悪意を感じますね(笑)。

展示はされていなかったのですが、こちらには上高地で光太郎が描いたスケッチが収蔵されているとのことです。ただし、「写真」とあるので複製と思われます。
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なかなかいい絵ですね。しかし、光太郎筆に間違いはなさそうですが、元ネタがよくわかりません。上高地からの下山後、10月に神田三崎町のヴヰナス倶楽部で、岸田劉生らと開催した「生活社主催油絵展覧会」に出品されたペン画3点のうちの一つかとも思われますが。光太郎、この際には他に彫刻1点、上高地での油絵21点も出品しました。

拝見し終わって帰途に就きました。まだ午前中でしたが、日曜でしたので夕方近くになると中央道が大渋滞になるだろうと予測。それを避けるためです。それでも韮崎付近で工事プラス事故で渋滞、小仏トンネル入り口あたりでも自然渋滞。さほどではなかったので途中で昼食を摂っても4時間少しで帰り着きました。

以上、信州レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

あなたのてがみを病院でよみました、面疔が急に出来て、診察してもらひにいつたら即刻無理に入院させられてしまひ重態扱ひなので一時閉口しましたが早い手当てがきいて間も無く快方に赴き、もう退院しました。

昭和6年(1931)7月7日 高田博厚宛書簡より 光太郎49歳

「面疔(めんちょう)」は、黄色ブドウ球菌の感染によって起こる皮膚感染症。化膿性で進行すると脳膜炎に移行すると、昔は恐れられていました。光太郎、戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活中にも面疔を発症しています。

書簡はパリに渡った高田に宛てたもの。現在確認できている高田宛書簡二通のうちの一通です。現物は高田の作品を多数展示している安曇野市の豊科近代美術館さんで所蔵しています。